8-7.
隣にいる俺に依頼せず、麻痺している左手を何とか操り、テーブル上の缶を掴んで白鳥に差し出そうとしている。
リハビリも始まったばかりなので当然思う通りにならず、揺れた手が接触して落ちて転がると咲紗の足元で止まった。それを見た白鳥が拾おうとする。
「取らないで下さい。私が取ります」
言い放った咲紗は車椅子から立ち上がろうとしている。
バランスを崩しての転倒に備えて、触れる程度に手を添えながら咲紗の動きだけ注視している。
車椅子から立ち上がるとゆっくりしゃがんで、揺れる左手を伸ばして缶に触れるが握れないのだろう、缶はコロコロと転がるのを繰り返している。
「白鳥さん、分かりますか? これが、貴方の彼女の有様なのですよ」
拾おうとする缶から視線を外さず、咲紗が白鳥に話し掛ける。
「手で物も掴めない、満足に歩く事も出来ない。私と手を繋げば、それは恋人などではなく――介助です」
そこまで言うと眉頭を僅かに寄せた咲紗がほんの一瞬だけ俺を見る。
それは“助けて下さい”の合図。
咲紗の腕を掴んで安定させると、しゃがんで缶を拾いテーブルに置く。
「ゆっくり立ち上がってベンチに座るぞ」
はい、と頷く咲紗の背後に立ち、脇の下から両手を胸へと回し、力を添えて立ち上がらせるとベンチに座らせた。俺の缶ジュースの口を開けて咲紗に差し出すと、洗ってくる、と言って落とした缶を手に洗い場へ向かった。
離れた場所にあった水飲み場で缶を洗い、周囲を見渡しながら沈黙が支配するガゼボに戻る。気付いた事を咲紗に耳打ちすれば、咲紗も気付いていたと言う。
白鳥の視線が、テーブルの缶に落ちた。それから、俺と咲紗を順番に見る。
「玲嗣は呼吸する様に咲紗ちゃんに手を差し伸べるんだな。咲紗ちゃんもそれが当然で、自然に玲嗣を受け入れるし。とてもじゃないけど、敵わないよ」
溜息を添えて白鳥から言われた。互いを見る俺も咲紗もきょとんとしている。
「乙女は他人の痛みも分かる優しい子です。苦しい時に傍から離れない人を大切にしてあげて下さいね」
白鳥は眼を擦りながら鼻をすすっている。
「早乙女! 白鳥にティッシュ譲ってくれないか?」
「乙女、怒ってないから出てきて」
物陰に隠れていた早乙女が姿を現した。ポケットティッシュを取り出して白鳥に差し出すとその隣に座り、眼に当て鼻をかむ白鳥を心配そうに見ている。
崖崩れ事故の後、白鳥は報道と噂に押し潰されかけていた。
ずっとその傍にいたのが早乙女だった。
泣いて、怒って、慰めて。彼女は片時も白鳥の傍を離れなかった。
最初に背中を押した多梨が、一人で見舞いに来た時に教えてくれた。
俺は挙動や表情から感情の機微を見逃すまいと、早乙女を捉え続けている。
「白鳥さん。今まで楽しい想い出を沢山頂いて有難う御座いました。乙女を大切に、二人で幸せになって下さいね」
「何でそんなに落ち着いていられるの? 男を横取りした卑怯な女が目の前にいるのよ。そんなに良い子だと……、私が――悪い女に」
早乙女が感情を零し始めると、咲紗は柔らかな声で慰める。
「私が “何もしないから自分で手に入れて下さい”って言った時から、お別れの覚悟は出来ていたのですよ」




