第二十七話 侯爵閣下のお見立て
龍生の爆弾発言から三日間。
蘭は悶々と過ごしていた。
(今更だが、子爵家のオレが侯爵家と見合いするとこ自体が何かの間違いだったんじゃないのか!?)
(白銀侯爵家本家の顔合わせって何するんだよ!!)
(そもそも、こんな男みたいな女、侯爵家にふさわしくないからって婚約破棄とかになったりするんじゃないか!?)
(婚約破棄されたらどうなる!? 十五万円なんかとてもじゃないけど返済できないぞ……!!)
だが、蘭の頭の中には、別件での恐怖も渦巻いていた。
(……水曜日に白銀が持ち帰れって言った回覧板、三日間鞄にいれっぱなしだったぁぁぁぁぁ!!!)
(思い出す機会は何度もあった! なぜ今まで忘れてたんだぁぁぁぁぁ!!!)
「…………少尉。亜嵐少尉!」
「――っは、はい! なんでしょうか!?」
「……ちゃんと僕の話聞いてた?」
「あ……すみません……」
(龍生副官、すみません……。回覧板……)
龍生は栗色の瞳を細める。
「……考えごと?」
「え、あの……少し……」
(回覧板んんんんんん!!!)
龍生は肩をすくめる。
「亜嵐少尉、ちょっと鞄持って一緒に来てよ」
「は、はい――」
(龍生副官は、オレの鞄の中で報告書が三日間、熟成されていたことを知っているんだ……!!)
(……これは、龍生副官に怒られるどころじゃないぞ!?
オレの軍人人生終了のお知らせだな――)
亜嵐が回覧板が入っている私物の鞄を抱きしめるように持ち、トボトボ歩き始めると、大部屋の同僚たちがヒソヒソ話し始める。
「……龍ヶ崎少尉、また龍生副官に連れられてるな――」
「なにかやらかしたのか?」
「最近元気なかったもんな……」
「副官、見た目によらず怒ると怖いらしいぞ」
「うわぁ、これは龍ヶ崎少尉、せっかくの土曜半休なのに午後も居残りかー?」
「上官に目をつけられてるんだ、居残りも致し方なし、か――」
「くわばらくわばら……」
大部屋の同僚たちは亜嵐に向かって合掌するのであった。
✕✕✕
龍生に連れてこられたのは案の定、大将執務室だった。
(はぁ~……、白銀の指示とはいえ、三日間出し忘れていたのはオレだ……)
(白銀直々に解雇通知か……)
(白銀家との顔合わせも失敗したら、オレの居場所はどこにもなくなるぞ!?)
――トントン。
龍生がドアを叩く。
「白銀閣下、いらっしゃいますか?」
「――入れ」
白銀の淡白な声。
「亜嵐少尉、入って」
龍生に促され、亜嵐は鞄をギュッと抱きしめながら部屋の中に入る。
「……失礼いたします」
亜嵐の入室を確認して、龍生がドアを閉める。
執務室には、紺色のスーツを纏った白銀が亜嵐を待ち構えていた。
「え? なんで軍服じゃないんだ? ――ですか?」
亜嵐の口からは率直な感想がもれる。
「亜嵐少尉、今から銀座方面に視察に行く。付き合え――」
「はあ?」
亜嵐はポカンと口を開けた。
そんな亜嵐をみかねて、龍生が耳打ちする。
「龍也は蘭ちゃんと早く銀座に行きたくてしょうがないんだって。
銀座に視察に行く名目で、亜嵐少尉を連れ出すって寸法さ!」
「な、なんだよそれ! 公私混同なんて話じゃないぞ!? 職権乱用だぞ! 職権乱用!!」
亜嵐の菫色の瞳が見開かれる。
「おい! 白銀……! さすがにそれはやり過ぎ――」
白銀が一歩、足を踏み出す。
龍生は亜嵐から離れ、手を振る。
「あとはうまくやっておくから、お買い物楽しんできてよ」
「ちょっ! 龍生副官までぇぇぇぇぇ!!」
「亜嵐少尉、諦めてよ」
「白銀閣下は狙った獲物は逃さないよ」
龍生が笑顔で白銀に連行される亜嵐を見つめる。
「ちょっ! ちょっと待って下さい!!」
亜嵐は白銀に引きずられながら必死に鞄を開ける。
「りゅ、龍生副官! これ! この前頼まれてた回覧板です!!」
「お、遅くなってすみませんでしたぁぁぁぁぁ!!!」
涙目の亜嵐が龍生に渡してきたのは、三日前に亜嵐を呼び出す口実として使った回覧板。
(あっ! この回覧板、回収するの忘れてた)
(別に大したこと、書いてなかったんだよね~)
(龍也の指示で持ち帰ったって聞いてたけど……、まぁいっか!)
「龍生副官! 何卒ご容赦お願いいたしますぅぅぅ」
亜嵐は白銀に引きずられ、大将執務室を後にした。
✕✕✕
亜嵐は白銀の案内で大将閣下専用のエレベーターと裏階段を通って駐車場にやってきた。
(また、この通路を通ってしまった……)
(でも、回覧板は龍生副官に渡せたし、取り敢えず軍人人生は助かったか――?)
「蘭。一度、家に帰るぞ」
車に乗り込むと、白銀が言い放った。
「その心は?」
蘭は不思議そうに聞き返す。
「今日は蘭の服を買いに行くのだ。亜嵐のままでは何かと不都合だろう――」
「……なるほど、確かに」
蘭は素直に頷いた。
✕✕✕
白銀邸に着くと、白銀から着物と袴を渡された蘭。
「蘭。今日はこれを着て銀座に出向くぞ」
「お、おう」
(オレが実家から持ってきた、なけなしの着物は銀座では貧相すぎるんだな――)
(そんな貧相な女とは銀座は歩けんということか――)
蘭は与えられた着物を持って、自室に急ぐ。
そして、軍服を脱ぎ始める。
「明日の顔合わせのための買い物なんだから、サラシも外した方がいいよな――」
蘭はキツく締め付けていたサラシをスルスルとほどいていく。
そして、白銀から与えられた桔梗の花があしらわれた薄紫色の着物に着替えていく。
(……これ、見合いの時に着た振り袖と同じ桔梗柄だ……)
そこに深紫色の袴を合わせて完成である。
「あとは髪型だけど……。白銀に結んでもらうかー――」
蘭は紫色のリボンを手に持ち、リビングで待っている白銀の元に向かう。
「しろが――じゃなかった、龍也ー。
これ、結んでくれよー」
蘭は一本結びしていた髪の紐を解きながら、白銀に近づく。
「……龍也?」
蘭の姿を見て、白銀は思考を停止させていた。
自分が選んだ着物を着ているという事実もさることながら、今の蘭には、三日前に見た矢絣柄の着物の時にはなかったもの――女子特有の膨らみがあったのだ。
(……サラシを、巻いていない――!?)
「――おーい? 龍也? どうかしたのか?」
蘭は停止している白銀の顔の前で手を振る。
蘭の菫色の瞳が白銀を覗き込み、解いた髪がサラサラと落ちる。
自分が贈った薄紫の着物。その上からでも分かる、蘭、本来の膨らみに、白銀は目を離すことが出来ずにいた。
その柔らかで女性らしい曲線に、白銀は固唾をのみ込む。
それに、軍服を着用している時には見えなかった白い首筋。その首筋にかかる藤色の髪が、やけに鮮明に見える。
「……っ。すまない。
あまりの美しさに見惚れていた……」
「………………は?」
蘭の表情が一気に曇る。
「……龍也さー、そういう冗談は、言わない方がいいぞ?
――言われた相手が本気になる」
「……………………冗談ではないのだが……」
(……こんな言葉一つで、本気になってくれればどれだけ楽か――)
白銀は咳払いをして、蘭に向き合った。
「……その着物、思った通りよく似合ってる――」
「…………………………。
そんな事より、これ、結んでくれよ――」
蘭は一瞬、白銀から目線を外し、紫のリボンを差し出す。
「………………」
白銀は黙ってリボンを受け取る。
「せっかくの買い物なんだから、とびきり似合う髪型で頼むぞ!」
蘭はイタズラっぽく笑ってみせた。
「……お前というやつは……」
白銀はフッと不敵に笑う。
「いいだろう。俺が仕上げてやろう――」
白銀は蘭の髪を手ぐしで梳かし、ひとまとめにして上の方でまとめる。
そこに紫色の大きなリボンを結び、女学生スタイルにしていく。
「……蘭。リボンもいいが、お前には簪も似合いそうだな――。
後で見繕ってやろう」
「はいはい。お心遣い、感謝いたしますー」
髪型が整え終わると、白銀は黒い編み上げのブーツを蘭に渡す。
「……これなら、銀座を歩き回っても疲れないだろう」
「おおー! 助かるよ龍也!
ありがとな!」
蘭は笑顔でそれを受け取り、玄関先ではき始める。
「その格好にがま口の鞄なぞ持ったらお前も一人前のハイカラさんだな――」
白銀は優しく微笑むのであった。
ご覧いただきありがとうございます!
ついに始まる土曜日の銀座お出かけ!
「回覧板熟成」でひとり勝手に軍人人生終了のお知らせに怯えるポンコツ蘭ちゃんでした笑
そして何と言っても後半の破壊力……!
理由を作って急遽連れ出し、与えた桔梗柄の着物を着て、明日のためにサラシを外して現れた蘭ちゃんに「あまりの美しさに見惚れていた……」とド直球に本音を漏らす大将。
恥ずかしそうに目線をそらしつつ「結んでくれよ」とおねだりする蘭ちゃんと、ハイカラさんスタイルに仕上げてあげる大将の距離感に、胸がいっぱいになりました!
【★次回予告★】
第28話『手を繋ぐ前に』!
銀座の大通りを二人で並んで歩く、夢のような時間。
周囲からの視線に照れつつも、人混みの中で手を伸ばす大将と、強がりながらもそれに応えようとする蘭ちゃん。
あと数センチで二人の指が触れ合う――そんな甘すぎる瞬間に、突如として鳴り響くけたたましい音。
忍び寄る「予期せぬ影」によって、二人の甘い銀座デートは思わぬ方向へと狂い始めて……!?
果たして、指が触れあう寸前で二人を待ち受けていたものとは――?
「大将の見惚れ顔が最高!」「ふたりのデートの続きが気になる!」と思ってくださったら、下にある【ブックマーク】や【星の評価(☆☆☆☆☆)】で応援していただくと、執筆の物凄い励みになります!




