第二十五話 ハイカラさんの夕餉
厨房に着いた蘭は早速、たすきを巻き始めた。
白い紐を口にくわえて腕や背中にぐるりと回し、固結びをする。
(リボンは結べないけど、“たすき”なら結べるぞ!)
紫色の矢絣の着物の袖がまとめられ、隙間から二の腕が覗く。
蘭は鼻歌を歌いながら、料理に取りかかるのだった。
✕✕✕
白銀邸に肉じゃがのいい匂いが漂う頃、玄関に大量の酒やつまみを買い込んだ龍生がやってきた。
「龍也ー、もう帰ってきてるぅー?」
龍生の声に蘭が反応する。
「龍生副官! いらっしゃいませ!」
厨房からトコトコと玄関に向かおうとして、白銀に呼び止められる。
「蘭。稜は俺が広間に案内する。
お前は料理に集中しろ――」
「わ、分かった!
よろしくな、龍也」
蘭のやる気に満ちた表情に、白銀も目を細める。
そして、蘭のたすき姿がチラッと目に入った。
本来、年頃の娘が着物にたすきを掛けると胸元の膨らみが自然と目に入る。
だが、サラシを巻いたままの蘭はその膨らみが全く感じられない。
(よく隠しているものだな――)
白銀は感心すると共に、蘭を白銀邸に連れてきた初日の夜を思い出す。
(俺はあの夜、蘭が俺の前でシャツ一枚しか身につけていない姿――サラシを外した『本来の膨らみ』を見ている)
(つまり俺は、あの隠された中身を知っているということだが――)
白銀はそこまで考えて、考えるのをやめた。
(俺は今、何を考えた……!)
(いかんな。……集中せねばならぬのは俺の方か――)
白銀は素知らぬ顔で龍生を迎えに行くのであった。
✕✕✕
広間では、すでに白銀と龍生が酒を飲み始めていた。
「……いい匂いだねぇ〜。なんかいいね、新婚さんみたい」
「……稜。前にも言ったがまだ祝言を挙げていない――」
「えー、でもさ、十五万円も結納金渡してるんだから事実上祝言挙げたようなもんだよね〜」
「――稜! 酒の回りが少し早いんじゃないか?」
「だって蘭ちゃんが僕の為に肉じゃが作ってくれるんでしょ〜? そりゃあ嬉しくもなりますよ!」
「稜、勘違いするなよ。
蘭は俺たちの為に肉じゃがを作っているのだ」
白銀は龍生が買ってきた酒を一口呑む。
「えー、そうかなぁ?
まぁ、龍也が“そういうこと”にしておきたいなら、“そういうこと”にしておくけどさ〜」
龍生も酒に口をつける。
(うわぁ〜、こんな龍也初めて見た……!)
(そんなに蘭ちゃん手放したくないんだ……)
「ところでさ、龍也は蘭ちゃんと手ぇなんか握ったりしちゃったのぉ〜」
酒をちびちび飲んでいた白銀の手がピクりと止まる。
(手……だと……?)
「そう言えば、この屋敷に来てからは手は握っていないかもしれんな――」
「ほう! 龍也って意外と“ウブ”だったんだねぇ〜」
龍生はニヤニヤし始める。
「……手はと言ったぞ」
「え!? じゃあ手以外は何らかの接触が……!?」
その時――。
「失礼します――」
障子の襖がスーッと開かれた。
そこには、髪に紫色の大きなリボンを付け、紫色の矢絣柄の着物に濃紺の袴を履いた――女学生のような蘭が正座をしていた。
「お食事をお持ちいたしました」
蘭は三つ指をついてお辞儀した。
「うわぁ〜! 蘭ちゃん!
すっごくかわいいね!」
龍生が興奮気味に蘭を褒める。
蘭ははにかんだ笑みを龍生に向け、肉じゃがが入っている大皿を持ち上げる。
持ち上げた際、たすきをほどいてふわりと戻った袖の隙間から、たすきをキツく締めていた為にできた赤い痕が見えたのを、白銀は見逃さなかった。
「……お口に合うか分かりませんが――」
蘭は大皿をちゃぶ台に置く。そして、肉じゃが以外の白米や味噌汁、漬物を順番に並べ始めた。
「蘭ちゃんがそんなことしなくても、使用人の僕がやったのに――」
「いえいえ、本日は龍生さまに昨日のお詫びと、日頃のお礼をしたく――。
旦那様にお許しをいただき、わたしの拙い料理を振る舞わせていただきました」
「蘭ちゃん……、なんかいつもと雰囲気違くない?」
首を傾げる龍生に、白銀が息を吐く。
「蘭――。この屋敷では“猫を被る必要はない”と言ったはずだ……」
「で、でも! 今日は蘭でおもてなしするって決めたんだ!
いつもの喋り方だと、“おもてなし”にならないだろ!?」
「そんなこと――」
「そんなことないよ蘭ちゃん!」
白銀の言葉を遮り、龍生が強く答える。
「僕にとっては、龍也と蘭ちゃんと一緒に、蘭ちゃんが作ってくれたご飯を食べられるなんて夢みたいなものだよ」
「……それだけで、僕にとっては最大限の“おもてなし”」
「――龍生、副官……」
「それにさ、僕は亜嵐少尉の元気な喋り方、好きなんだ〜」
「副官……!」
「…………。いい雰囲気のところすまないが、稜――。
蘭のことが好きとは、どういう意味なんだ?」
「えー! そこにツッコむの!?
今の話聞いてた? 僕は亜嵐少尉の“喋り方”が好きって言ったの!」
「では、蘭は好きではないと……!?」
「面倒くさいなこの大将閣下……。
もしかして、もう酔っちゃった!?」
「おい、龍也! 龍生副官が困ってるだろ!!」
言葉を発した直後、蘭は自分の口を押さえた。
(ヤバっ、龍生副官の前で“龍也”って呼んじゃった……!!)
「……『龍也』――」
龍生の目がキラリと光る。
「ねぇねぇ、もう『龍也』って呼んでるの〜?」
「あ、いや、これは、その……。
龍生副官を夕飯に招待する交換条件っていうか、二人きりの時だけって言われてて、その、間違っちゃって……」
「ふーーーーん!
間違って呼んじゃうほど、名前で呼んでるんだぁ〜」
「いや。だから、違くて!!
し、白銀も何とか言えよ!!」
「俺は別に二人きりでなくても、名前で呼んでかまわない」
白銀はまた盃を口元に持っていく。
「し、白銀ーーー!!」
蘭の顔が困ったように、恥ずかしさを隠すように、赤く染まっていく。
そんな様子に、白銀と龍生は口元が緩んでいった。
「まぁいい。この話はまた今度だ――」
(え? この話、まだ続くの……!?)
「蘭。せっかく作った肉じゃがが冷めてしまう。
配膳を頼めるか?」
「お、おお! 任せろ!」
蘭は白銀の言葉に、大皿に持っていた肉じゃがを小皿に取り分ける。
「はい、白銀――。
こっちは龍生副官の分!」
それぞれ渡された小皿には、美味しそうに肉じゃがが盛り付けられる。
だが、明らかに異なる点があった。
(龍也の小皿、肉だらけなんだけどぉぉぉ!!)
(え? これ何か言ったほうがいい?
それとも、これがこの二人の日常なの!?)
何も言わない白銀と蘭に、龍生は混乱した。
だが、白銀の機嫌が良くなったのは一目瞭然。
「あ! 龍生副官!
おかわりいっぱいあるから遠慮せずに食べてくれよな!」
蘭の明るい声に龍生は「ありがとー!」と元気よく返事をした。
(これは……、蘭ちゃんと龍也の間に何らかの契約が存在しているのか? それとも蘭ちゃんの天然か――)
(名探偵・稜くんはまだまだ廃業できないな!)
龍生がひとりニヤリと微笑む。
すると――。
「蘭、指に肉じゃがの汁がついているぞ」
白銀が立ち上がり、蘭の腕をグイっと引っ張る。
そして……。
――パクっ!
蘭の指をなんのためらいもなく口にくわえたのだ。
「――!!」
蘭と龍生は言葉を失う。
「な、ななななな!
なにやってんだこの馬鹿大将!!」
蘭の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「――味見だ。
甘くて、美味かった」
白銀は蘭の指に付いた汁を舐めると、蘭の指を解放した。
「――ッッ! あ、味見!?
またぁ!?」
蘭は両耳を押さえる。
(昨日も、百貨店に行く馬車の中で耳を味見されたのに、今日は指を味見されたぞ――!?)
『これからは、毎日味見をしてやろう――』
昨日囁かれた言葉が脳裏に蘇る。
(あれ、本気だったのかぁぁぁぁぁ!?)
「えっ、ちょっと待って! いきなりだからビックリしちゃったんだけど、何で蘭ちゃんは指を舐められて耳を押さえてるの!?」
「龍也ってば! 蘭ちゃんにいったい何をしてるんだよぉぉぉ!」
第25話をお読みいただきありがとうございました!
龍生副官を迎えての肉じゃが(甘煮)夕食会!
「猫を被ったハイカラさん」でおもてなししようとする健気な蘭ちゃんでしたが、大将の「俺の婚約者」アピールと独占欲で、現場は早くもカオスな展開に笑
蘭ちゃんが大将の小皿にだけ「お肉」を盛り盛りにする夫婦漫才?や、「『龍也』って呼んでるの~?」と副官に突っ込まれて顔を真っ赤にする蘭ちゃん、いかがでしたか?
そして何と言っても後半の衝撃……大将による、まさかの「指パク(味見)」!!
昨日馬車の中でされた「耳の味見」を思い出して「またぁ!?」と両耳を押さえる蘭ちゃんと、「龍也ってば蘭ちゃんにいったい何をしてるんだよぉぉぉ!」と絶叫する龍生副官……笑
毎日味見宣言の回収に、書いていてニヤニヤが止まりませんでした!
【★次回予告★】
第26話『そういうことじゃねぇだろ!』!
大将の「指パク」と過去の「食べたい」発言により、「食事的な意味で食べられる!?」と大勘違いを起こしてプルプル震え出す蘭ちゃん。
そんな二人を前に、龍生副官の激しいツッコミが白銀邸に響き渡る!
さらに無事に夕飯を終えた矢先、龍生副官から衝撃の知らせが――。
なんと、大将のご両親(元侯爵ご夫妻)が蘭ちゃんに会いたがっている……!?
突然決まった日曜日の顔合わせに大パニックの蘭ちゃんと、どこまでもマイペースな大将の掛け合いをお楽しみに!
「大将の言葉と蘭ちゃんの勘違いが最高!」「ご両親との顔合わせが楽しみ!」と思った方は、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をポチッとお願いいたします!




