09 離れないでください
帝都から北へ、馬車での移動は約1週間だという。ルーシャは揺れる馬車の窓へ額を寄せ、小さく息を吐いた。
窓の外を流れていく景色は、見慣れた帝都の華やかさとは全く違う。
石畳の整った街並み。
高くそびえる塔。
煌びやかな貴族たち。
それらはすでに遠く、今見えるのは広い草原と静かな森ばかりだった。
「……本当に遠いのね」
ぽつりと零れた声に返事はない。
当然だ。馬車の中にはルーシャしかいない。
セイレンは外。
騎士たちと共に馬を走らせている。
最初は気楽でいいと思っていた。
けれど、いざ一人になると妙に静かだった。
ガタン、と馬車が揺れる。
「……」
馬車の小窓を少しだけ開けると冷たい風が流れ込んできた。なんて穏やかな空気。
外では騎士たちが一定の距離を保ちながら周囲を警戒している。その中央。白銀の髪が風に揺れていた。彼は一度もこちらを見ない。ただ前だけを見て馬を走らせている。
「……変な人」
小さく呟いた瞬間だった。
ヒュッ
風の音とは違う鋭い風切り音がルーシャの耳を刺激する。
次の瞬間。
ガンッ!!!
馬車の外側に何かが激しく突き刺さった。
「っ!?」
馬が大きく嘶く。外が一瞬で騒がしくなる。
「止まれ!!」
騎士の怒声、続けて響く剣を抜く音。ルーシャの心臓が強く跳ねた。
なに……!?
反射的に窓から外を見ると馬車の木板には黒い矢が深く突き刺さっていた。
「殿下!!」
馬車の扉が勢いよく開く。そこにいたのはセイレンだった。いつもの静かな表情ではない。青い瞳が鋭く細められている。
「外へ」
「え……?」
「今すぐ……!」
有無を言わせない声。
その瞬間、森の奥から再び矢が放たれ、馬車へ次々と矢が突き刺さる。
悲鳴を上げる馬。騒然とする騎士たち。
「敵襲だ!!」
誰かの叫び声。ルーシャの頭が一気に真っ白になる。こんなこと、聞いていない……!
帝都を出てまだ半日も経っていないのに
「殿下!」
状況が分からず立ち尽くしているルーシャの腕をセイレンが掴む。その力は驚くほど強い。気づけば彼はルーシャを馬車から引き下ろしていた。
冷たい地面へ足が着く。
その瞬間。
ドスッ
さっきまでルーシャが座っていた場所へ矢が突き刺さった。
息が止まる。あと少し遅ければ
「下がって」
低い声。
セイレンがルーシャを背後へ庇うように立つ。
同時に白銀の剣が抜かれた。
透き通るような音だった。
と同時に美しい、と思った。
こんな状況なのに。月光のような刃だった。
「数は」
セイレンが低く問うと近くの騎士が答える。
「森に十……いや、もっといます!」
「……予想より早い」
小さく呟いた声を、ルーシャは聞き逃さなかった。
予想?どういう意味?
考える間もなく、森の奥から黒ずくめの男たちが姿を現す。顔を隠した武装集団。その殺気に、ルーシャの背筋が凍る。
「皇女を殺せ!!」
その声と同時に、空気が裂けた。騎士たちが剣を抜き放つ。
怒号。金属音。馬の悲鳴。一瞬で戦場へ変わった。
ルーシャは息を呑む。
するとセイレンが視線を向けないまま口を開いた。
「殿下」
「……な、なに」
「動かないで。そして絶対に、私から離れないでください」
その声だけは、今までで一番強かった。
ルーシャは震える指先でドレスを握り締めた。目の前では剣戟が激しくぶつかり合っている。
耳を裂く金属音。飛び散る土。馬の嘶き。こんな光景、見たこともない。
もっと遠いものだと思っていた。自分とは関係のない世界だと。
けれど今、その刃は確かに自分へ向けられている。
「殿下、下がって」
セイレンが一歩前へ出る。
次の瞬間。
黒ずくめの男が一人、一直線にルーシャへ斬りかかった。
「っ!!」
声も出ない。
キィン!!
白銀の剣がその刃を受け止め、火花が散る。
セイレンは表情一つ変えない。
「……遅い」
低く呟いた直後、銀の軌跡が夜気を裂く様に舞った。男の剣が弾き飛ばされ、そのままセイレンの一閃が相手を地へ叩き伏せる。
強い。
ただ剣が上手いだけではない。まるで“戦うこと”そのものに慣れきっている動きだった。
その時だった。
「後ろです!!」
再び騎士の叫び。ルーシャは反射的に振り返ると森の影から別の男が飛び出していた。
狙いは———私。
恐怖で足が動かない。
だが次の瞬間、強く腕を引かれた。
「きゃっ——!」
身体が大きく揺れ、そのままセイレンの胸元へ引き寄せられた。
ドスッ。
鈍い音。
男の短剣が、セイレンの肩を掠めていた。
「セイレン!!」




