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10 あなたが死ねば、全部終わる

セイレンは眉ひとつ動かさず無表情。襲ってきた男の腕を掴み、容赦なく捻る。


骨の軋む音がなり、悲鳴を上げる暇すら与えずにセイレンは刃を振るった。


舞う血飛沫と、地面に横たわる男。


「少し下がっていてください」

セイレンの肩からは襲ってきた男のものとは別の血が流れ落ちていた。


「セイレン……!血が……!」


「浅いです」

彼は全く表情を変えず淡々と答えた。まるで自分の傷など存在しないかの様に。

握りしめていた剣を再び構えるセイレンの後ろ姿をただ見守るしかできなかった。


周囲では今も尚、騎士たちの激しい戦闘が繰り広げられていた。


ただ1人セイレンだけは森の奥深くを鋭く睨む。


「……まだいる」

彼だけがこの戦闘で唯一冷静だった。まるでことの一端が起きることを知っていたかの様にさえ見えた。


「セイレン…あなた———」

そう言いかけた瞬間再び森の奥から鋭い光が見えた。セイレンは瞬時に胸元へルーシャのことを引き寄せる。羽織っていたマントでルーシャが見えない様にしっかりと隠す。


「このまま私のそばにいてください」


マントのせいでセイレンの表情は見えないが、声色は変わらず冷静だ。


未だ変わらぬこの状況にルーシャの身体は身震いした。実際に命を狙われ刃を向けられる恐怖は想像を絶するものだった。


怖い———


一度認めてしまえばルーシャの身体は最も簡単に震えた。

そんなルーシャの変化に気づいたのか、肩へ回されたセイレンの手にわずかに力がこもる。


「……呼吸を」

彼の低い声が耳元に響く。

「浅くしないでください」


全く気づかなかった。その時初めて自分がまともに息をすえていなかったことに気づいた。


セイレンはルーシャを隠しながら小さな声で呟く。


「私を見て」


「えっ……?」


「周りを見る必要はありません」


襲ってくる敵を薙ぎ払いながら彼は淡々と呟く。なぜだか彼の声だけがルーシャを不思議と落ち着かせた。


「大丈夫です」


より一層手に力が籠るのが分かった。まるで逃がさない様に。そして安心させる様に。

矛盾した熱が肩からルーシャの身体に伝わった。


「あなたは、私が守りますから」


その言葉とほぼ同じく、森の奥から赤い光が見えた。その光は松明よりも赤くどこか闇の雰囲気を感じる黒さがあった。


ドンッ———


轟音が鳴り響く中こちらに向かって飛んでくる赤い炎。それが何か理解するのに時間を要した。


魔法…?!


強く抱き寄せられた次の瞬間、轟音と共に炎が地面へ叩きつけられる。


ドォンッ!!!


爆風が森を揺らし、熱風がルーシャの頬を焼いき強い耳鳴りがする。土と火の粉が舞い上がり、視界が赤く染まった。


「きゃっ……!」


思わずセイレンの外套を掴む。こんなもの、聞いていない。魔法なんて、宮廷魔導士が儀式で使うものくらいしか見たことがなかった。


けれど今目の前にあるそれは、誰かを殺すための力だ。


「魔導士がいるぞ!!」


森の奥から黒いローブを纏った人影がゆらりと姿を現した。姿はわかるが顔はハッキリと見えない。赤黒い光が、その手の中で脈打っている。


「殿下、目を閉じないでください」


セイレンは剣を構えたまま低く言った。


「閉じたら、状況判断が遅れます」


怖い。そう言葉にするより早く、再び炎が森から放たれる。


だが次の瞬間、白銀が閃いた。


キィン―――!!


信じられないことに、セイレンは飛来した炎を剣で逸らした。爆ぜた火花が夜へ散る。


「な……」


ルーシャは言葉を失う。魔法を、剣で……?


「下級炎術です」


「直撃しなければ問題ありません」


問題あるでしょう?!と叫びそうになるが、声が出ない。セイレンは騎士たちへ視線を飛ばす。


「左翼を下げろ! 魔導士を中心に陣形を組まれる!」


「はっ!!」


セイレンの声に反応した北部騎士たちが即座に動く。その姿を見て、ルーシャは息を呑んだ。


誰もセイレンの指示を疑わないのだ。私とそう年も変わらないはずなのに、まるで長年この場を率いてきた人間のようにさえ見えた。

それほどまでに彼は強い。


その時だった。森の奥から、不気味な低い声が響く。


「……見つけた」


ぞくり、とルーシャの背筋が粟立つ。ローブを深く被る男は、真っ直ぐこちらを見ている。まるで最初から他の騎士など眼中にないように。


「皇女を殺せ」


黒い霧のようなものが地面を這い、騎士たちの足元へ絡みつく。これは……炎ではない?!


「ぐっ……!?」


周囲にいた一人の騎士が膝をついた。


「瘴気か!」


「まずい、吸うな!!」


空気が一変し、ルーシャは理解した。この襲撃。ただの盗賊ではない。


最初から、“私”を狙っている。


「殿下」


気づけば彼は半歩前へ出ていた。まるでルーシャへ届く全てを斬り落とす壁のように。


「すぐ終わらせます」


その言葉と同時に、彼の纏う空気が変わった。


———冷たい。だけど恐ろしいほど澄んでいる。

白銀の髪が夜風に揺れ、青い瞳が静かに細められる。


次の瞬間。


地面を蹴る音すら聞こえなかった。


「……?」


気づけばセイレンは私の前にはいなかった。もう十数歩先にいた。速いなんてものじゃない。

黒衣の男たちの間を白銀が駆け抜ける。


一閃。


また一閃。


血飛沫が舞うより先に、人が倒れていく。


まるで、死そのものだった。


「化け物か……!」


誰かが震えた声で呟く。けれどセイレンの表情は変わらない。そこには怒りも興奮も何の感情もない。ただ、“敵を排除する”という目的だけで動いていた。


その異様さに、ルーシャは寒気を覚えた。

そして同時に思う。この人は、一体どれだけの戦場を見てきたの?


ローブの魔導士も異変を察したのか、慌てたように後退する。


「なぜだ……なぜ貴様がここにいる!!」


その叫びに、セイレンの動きが一瞬だけ止まった。


同時にルーシャが目を見開く。


だがセイレンは何も答えなかった。ただ静かに剣を構え直した。


「それは魔法ですか?」


挑発に近いその言葉に、魔導士の顔色が変わる。


「貴様……っ!」


まるで、“知っている者同士”の会話だった。


ルーシャの胸がざわつく。


「団長!!」


突然、騎士の叫び声。反射的に振り返った瞬間、死角から一人の男がセイレンめがけて飛び出していた。


ルーシャの体が反射的に動いた。


「セイレン、後ろ!!」


叫ぶより先に、足が地面を蹴っていた。自分でも何をしようとしたのか分からない。ただ、あの刃が彼へ届くのを止めなければと思った。


けれど。


「っ……!」


次の瞬間、強い力で腕を掴まれる。


視界が反転した。


気づけばルーシャは後方へ引き戻され、男の剣は空を裂いていた。


同時に白銀が閃く。


セイレンの剣が男の喉元へ突き立ち、崩れ落ちる身体が鈍い音を立てた。

ルーシャの耳には、自分の心臓の音しか聞こえなかった。


「何をしているんですか…!!!」


振り返ったセイレンの瞳は、今までで一番冷たく感情を隠し続けていたその目が、今ははっきりと怒っている。


「っ……」


思わず肩が震える。


セイレンは血の滴る剣を握ったまま、荒くなった呼吸を押し殺すように低く言った。


「勝手に動くなとお伝えしたはずです」


ルーシャは言葉を失う。怒鳴られたわけではない。声を荒げたわけでもない。


なのに、その静かな声音は刃より鋭かった。


「でも、あなたが……!」


「もし今の一撃があなたに向いていたら?」


その瞬間、言葉が止まった。セイレンの声は怒鳴っているわけではない。なのに胸が苦しくなるほど重い。


彼はルーシャの腕を強く掴んだ。


「私は護衛です。守る側です。殿下が前へ出る必要はありません」


「だって、あなた刺されそうだったじゃない!」


「問題ありません」


「問題あるでしょう!?」


堪えていた思いを思わず叫んでしまう。その瞬間、セイレンの眉が僅かに動いた。


「あなた、ずっとそう!」


ルーシャの声は震えていた。


「傷を負っても平気な顔をして! 危険なことばかりして! どうしてそんな風に———」


「殿下」


遮る声。セイレンは静かにルーシャを見下ろした。


その青い瞳には、怒りではなく焦りに近い色が滲んでいた。


「あなたが死ねば、全部終わる」

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