02 光の間
ルーシャが住むジーナ宮は皇帝のいるタリアナ城よりも少しばかり離れていた。
移動するためには馬車が必要なほどの広大な土地だ。
「いつぶりだろう」
少しずつ近くなる城を眺めるルーシャの顔には懐かしさが浮き出す。
幼い頃はよくこの城の庭で過ごしたものだ。
母は城の離れにある庭で過ごすのが大好きだった。
私を連れ出しては良く本を読み聞かせてくれた。
懐かしさに触れる時間は長く続かず、馬車は城の前に到着していた。
「皇女殿下、到着いたしました」
馬車のそばから騎士の声がする。
「ご案内いたします」
側にいた騎士から差し出された手に手を重ねゆっくりと降りる。
城へと続く道には数え切れないほどの侍女と騎士達が私を出迎えている。
城門の前に立っていたのは、迎えの侍女ではなく――皇帝でもない男だった。
ルーシャを見るなり、手を丁寧に胸元へ当てお辞儀をする。
「帝国の花にご挨拶いたします。皇女殿下」
慣れた手つきでお辞儀をするその姿を私は見たことがある。
彼の名はジーク・ルミネ・シグルス。
帝国、そして皇帝を支える公爵家のうちの1つ。
シグルス家の公爵だ。
「お久しぶりです。シグルス公爵」
ルーシャも同じく挨拶を交わす。
黒髪を持つ公爵は顔を上げ優しく微笑む。
「ますますお美しくなられて」
ルーシャを見つめるその瞳はどこか遠くを見ているかの様な目だった。
あぁこの人も私に母を重ねているのだろうか。
「なぜ公爵がこちらに?」
「私もこれから皇帝陛下へ謁見する予定なのです」
どうやら今日は何もかもがいつもと違うらしい。
私が父に会う時の迎えは数人の侍女のみだった。
それなのに今日はどういうことだろうか?
その数倍の人で埋め尽くされている。
「私がエスコートいたします」
公爵はルーシャの側に立ち手を差し出した。
軽く重ねて進む足取りは少しばかり重たい。
久しぶりに入る城は昔とは違い静まり返っていた。
どこか冷たく寂しい雰囲気。
母がいた頃とは全然違う。
「公爵はなぜ呼ばれたのか知っているの?」
「いいえ、私も何も知らないのです」
公爵も緊張しているのだろうか。答える声はどこかいつもより低く感じられた。
光の間の扉の前には2人の騎士が扉を警護しており、ルーシャと公爵を見るなりすぐに叫んだ。
「第一皇女ルーシャ・ビア・タリアナ殿下のご入場です」
扉がゆっくりと開き中へと足を進めると、エスコートしてくれていた公爵の手が少しばかり強張った気がした。
その僅かな緊張を感じ取ったルーシャは公爵の顔を見る。
ジーク公爵の眉間には少しばかり皺が寄っていた。
何が彼の表情を曇らせたのかはすぐに分かった。
光の間の奥には玉座に座る父と傍には皇后が座っていたのだ。
母とは違う別の女。
「ルーシャ」
久しぶりに聞く父の声。
以前お会いした時よりも弱く聞こえる。
「帝国の太陽と月にご挨拶いたします」
優雅に脚をひき、頭を下げるルーシャのそれはまるで天使が舞い降りたかの様だった。
公爵も同じく皇帝と皇后に挨拶をする。
光の間はとても美しく玉座に太陽の光が当たる様設計されている。煌びやかなはずのその場所が今では静まり返っている。
「もう少し近くへ来い」
公爵は頭を下げたまま動かず、私だけが父に呼ばれた。その足取りはまるで足枷をつけているかの様に重たい。
トン…トン…
煌びやかな光の間に冷たい足音だけが響き渡る。
圧迫感と共に感じる冷たい視線。
その視線の正体は見ずともわかる。
父のそばにいる皇后からだ。
優しい女神の様な笑みを浮かべるその瞳の奥は決して笑っていない。
「今日はお前に伝えなければいけないことがある」
近くで見る父の顔は以前よりも痩せ細っていた。
あまり食事をとれていないのだろうか?
それとも休めていないのだろうか?
先ほどまで恐れていたはずの父が今ではこんなにも弱く見える。
「もうすぐ18になるお前に、私からの命令だ」
私を見ている様で目が合わない父は淡々と呟いた。
「お前にはミエルタ城に行き北部の総括を頼みたい」
想像もしていなかった父からの願いに思わず目を見開く。
「お待ちください…!」
扉の辺りから響く低い声は紛れもなく公爵のものだった。
「陛下、今一度お考え直しくださいませ。ミエルタは…」
「黙りなさい」
公爵の声を遮ったのは皇帝でもなく皇后だった。漆黒の様な黒髪に毒蛇の様な赤い目を持つ皇后は、喉をも切り裂く様な冷たい声を続けた。
「恐れ多くも我が帝国の皇帝のお言葉を遮るつもりか」
公爵は目を見開いたまま皇后を見ていたが、すぐさまその視線を皇帝へと移す。
一貫して皇帝の表情は変わらない。
「ねぇ、ルーシャ」
甘い声で私の名を呼ぶ皇后の顔は先ほどと打って変わり、猫の様な顔をしている。
「あなたには第一皇女としてこの帝国の為になることをしてほしいの」
側から見れば優しい皇后の様に見えるだろう。まるで実娘を見るかの様に話す皇后の声が冷たい光の間に響く。
「あなたにはずっとジーナ宮での生活を強いてきたでしょう?私と陛下が悩みに悩んだ上で決めた決断なのよ。”直々後継者”としての立場を固めないと」
ねぇ陛下?と言わんばかりに父を見る表情はなんとも見苦しかった。
そんなこと全く思っていないだろう言葉に嫌気がさす。
なぜなら皇后には”愛する皇子”がいるのだから。




