16 予定通りに
「あの影について現時点では私も明確に説明することができません。」「あなた方は北部へ向かっているのですよね?」
魔導士の問いにセイレンは頷く。
「先ほど申し上げた通り瘴気は本来人体に深く根付くことはありません。ましてや皇宮という帝国内でもあそこまで聖域に近い場所はありません。」
「殿下の中に元からあった”何か”が関係しているのですか?」
セイレンは低い声で魔導士に問いかけた。
「私も深くは存じ上げません。しかしあなた方が向かわれる北部には白の塔があることをご存知ですか?」
その言葉にセイレンは一瞬目を見開く。まるで何かを知っているかの様に。
だがそれもほんの一瞬だった。
「……えぇ」
すぐに彼は元の冷たい瞳へ戻す。
「ご存知なのですね」
「帝国の人間であれば誰でも知っていることです。」
淡々とした返答だったがやはりその答えには何か別のものが感じられた。
「白の塔がどう関係するのですか?」
セイレンは窓の外へ視線を向けそう呟いた。まるで未来を案じるかの様に。
「白の塔には古い記録が保管されています」
「古い記録?」
魔導士の言葉に反応したセイレンは再び視線をこちらへ向けた。
「このタリアナ帝国建国前の文献や失われた魔術について書された記録が残っていると噂で聞いたことがあります。」
魔導士は声を落として続けた。
「私は先ほどの殿下の体内にあった影は禁術に近いものを感じました。」
廊下は一貫して静かだった。変わらず遠くから客達の笑い声が聞こえるが、この場だけは別世界のように静まり返っていた。
「禁術……」
セイレンは小さく呟く。その声は妙に冷たく感じられた。
「もちろん確証はありません」
魔導士は慌てるようにそう付け加えた。
「ですが、やはり通常の魔術では説明がつかないのです」
「そうですか」
短い返事だった。だが男の顔からは彼が何を考えているのか全くわからなかった。
「建国以前の記録が本当に残されているのならば、似た事例が記されている可能性があります」
「少なくとも今の私よりは答えに近づけるでしょう」
セイレンは黙ったまま再び窓へと視線を向けた。廊下の炎がゆっくりと白銀の髪を照らしていた。
「セイレン殿……?」
「文献について他に誰が知っていますか?」
不意の質問だった。
「私を含む宮廷使いの老魔導士のみです。今の若いものはその存在すら知らないでしょう」
「そうですか」
それだけ言うとセイレンは再び黙り込んだ。その問いに魔導士は違和感を覚えた。
なぜその様な質問をしたのだろうか?まるで探るかの様な質問。
「白の塔について何かご存知なのですか?」
魔導士は考えよりも先に思わず尋ねていた。
だがセイレンは答えなかった。
数秒の沈黙が流れ
やがて
「昔の話です」
それだけだった。たったそれだけの言葉だったがどこか後悔の音がした。
「昔……ですか?」
「忘れてください」
あいも変わらず淡々とした口調だった。
だがその瞬間だけセイレンの深い青の瞳に影がさした様に感じられた。
彼は一体何を考えているのだろうか?魔導士には分からなかった。
「ともかく」
セイレンは話を打ち切るように言った。
「北部へ向かいます」
「殿下を?」
「えぇ」
迷いのない言葉だったが、次の言葉はどこか意味深だった。
「予定通りに」
魔導士は小さく眉をひそめた。まるで最初から全て決まっていたかのような言い方だった。
それは護衛騎士の言葉というより、誰かから与えられた任務を遂行する者の言葉に聞こえた。
「セイレン殿」
男は振り返らない。
「あなたは何者なのですか」
軽率な発言だっただろうか。思わず口から出た問いだった。
護衛騎士———
それは知っている。だがそれだけではない。
皇帝直属だという噂。皇后派だという話。戦場を渡り歩いたという武勲。なぜだかどれも真実でどれも嘘に思えた。
セイレンは僅かに肩を揺らしていた。その背中は笑ったようにも見えた。
「ただの騎士ですよ」
振り返ることなくそう答えた。
「では失礼します」
セイレンはルーシャのいる扉を開けて中へ入っていった。扉が閉まり廊下には魔導士だけが残された。
「ただの騎士ですか……」
本当にそうなのだろうか?魔導士はそう思ったが、それ以上考えるのはやめた。




