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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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聖女、立つ

 リリアーヌの制御訓練は佳境を迎えていた。地下室の石壁に、エミルの計測結果が貼り出されている。日付ごとの波形データ。初日の不安定な波形が、日を追うごとに安定していく。リリアーヌの成長が——数字として見える。


 今日の訓練は、これまでで最も難しい課題だった。


「聖光草のエッセンスを媒介にして、力を制御しながら放出する。放出量は——暴走の時の十分の一以下に抑えてください」


 エミルが計測器を構えた。オルガが聖光草のエッセンスを入れた小瓶を手渡した。マルクスが鍛造した、ヘルムガルド鋼の小瓶だ。蓋を開けると、金色の液体が微かに光っている。


 リリアーヌはエッセンスを手のひらに数滴垂らした。液体が肌に触れた瞬間、体の奥の力が反応した。しかし——暴走ではない。エッセンスが緩衝材になって、力の奔流を細い流れに変えている。水道管に蛇口をつけたような感覚だ。


 力が手のひらから静かに流れ出す。金色の光が指先から漏れるが、穏やかな光だ。暴走の時のような爆発的な放出ではない。制御されている。リリアーヌの意志で、量と方向を調整できている。


「いい感じです。波形は安定しています。このまま——三十秒維持してください」


 集中する。額に汗が浮かぶ。力を流し続けることは、息を止め続けることに似ている。体がもっと吐き出したいと訴えてくる。しかし——抑える。コントロールする。自分の力だ。自分の意志で、操る。


 二十秒。二十五秒。三十秒——。


「成功です」


 エミルの声に、リリアーヌは力を収めた。手のひらの光が消える。体がぐったりする。しかし——暴走はしなかった。意識も飛ばなかった。自分の足で立っている。


「リリアーヌさん。あなたは今、聖女の力を自分の意志で制御しました。三十秒間、安定した波形を維持した。これは——母上の仮説が証明された瞬間でもある。聖光草のエッセンスを緩衝材として使えば、聖女の力は制御可能である。エリザベート・フォン・ホーエンシュタインの研究仮説は——三十年の時を経て、正しかったことが実証されました」


 エミルの声が震えていた。学者としての感動だ。母の研究を引き継ぎ、自らの手で検証した。その成果が——目の前にある。ナターリアがリリアーヌの肩を抱いた。「すごいわ」と囁いた。


 しかし——ルキウスが扉の外で低く言った。


「まだだ」


「ルキウスさん?」


「実戦では、こんな静かな環境で力を使うことはない。外の圧力がある。恐怖がある。その中で制御できるかどうかが問題だ」


 ルキウスの指摘は鋭かった。地下室の安全な環境と、教会騎士団が目の前に迫る状況では——心理的な負荷が全く違う。恐怖の中で制御を維持できるか。それが真の試練だ。


 リリアーヌは頷いた。わかっている。しかし——今日の成功は、確かな一歩だ。


 その夜、北方の魔力波動がまた強くなった。地下室の壁が微かに震えた。誰もが気づかない程度の揺れだが、リリアーヌには分かった。地下の魔力脈が脈動している。聖女覚醒が近づくにつれ、魔力脈も活性化している。エミルが言った「百年周期の魔力循環」が——加速しているのだ。


 リリアーヌは自室のベッドで、北方の存在を感じ取っていた。山の向こうの巨大な意識。前回より——近い。ゆっくりだが確実に、こちらに向かっている。


 しかしリリアーヌは下を向かなかった。ルキウスの言葉を正面から受け止めた。


「教えてください。実戦の圧力を——訓練で経験したいです」


 ルキウスの眉が動いた。認めるような、感心するような微かな表情の変化だった。


 翌日、訓練を続けた。今度は——ルキウスが提案した「圧力下の訓練」だ。ルキウスが剣を抜いて、リリアーヌの近くに立つ。殺気は出していないが、武装した騎士が至近距離にいるという心理的圧力がある。鎧の金属が鳴る音。剣の刃が光を反射する。教会騎士団が来た時、彼らは武装している。その圧力に耐えなければならない。


「怖いですか」


「……はい。でも——やります」


 エッセンスを手のひらに垂らす。力を流す。手が震えている。ルキウスの存在が——圧力になっている。しかし——リリアーヌは歯を食いしばって制御を維持した。波形が乱れたが、暴走には至らなかった。


「十五秒。まだ短い。しかし——暴走しなかった。これは進歩だ」


 ルキウスが珍しく褒めた。短い言葉だが、リリアーヌの目が潤んだ。この男に認められた。剣で戦う男に、力の制御で認められた。


 五日目。訓練の質が変わった。リリアーヌは——力を「外に向けて」使うことを覚え始めた。感情読み取りの力を意図的に広げ、辺境の周囲数キロの範囲を「感知」できるようになった。


 北方の魔獣の位置が、具体的に分かるようになった。三体。一体は山の中腹に留まっている。しかし残りの二体が——森を抜けて、辺境の領地に近づいている。


「ルキウスさん。二体が、あと三日で領地の境界に達します」


 リリアーヌの報告を受けて、ルキウスが即座に動いた。護衛隊の偵察班を北方に派遣し、ラウルに指揮を任せた。リリアーヌの感知情報と護衛隊の目視情報を組み合わせれば——魔獣の動きを正確に追跡できる。


 聖女の力が、辺境の防衛に実際に活用されている。これが——エミルの言う「実績」だ。教会に対して「聖女は辺境で必要とされている」と主張するための、具体的な根拠。帳簿で言えば、黒字の決算書だ。教会に突きつける武器がまた一つ増えた。


 セラフィーナはリリアーヌの成長を見守りながら、別の感情も抱いていた。誇りだ。この子が——ここまで強くなった。王都で怯えていた少女が、辺境の防衛に力を使っている。セラフィーナが教えた商売の技術も、リリアーヌの芯を作ったのだろう。しかし——最終的にリリアーヌを立たせたのは、リリアーヌ自身の意志だ。


 七日目の朝。訓練を終えたリリアーヌが、地下室から出た時だった。


 体の奥で——何かが変わった。


 力が——一段階、深い場所から湧き上がってきた。今までの力とは質が違う。もっと純粋で、もっと強い。体の中心に——光の核が生まれた。


「——っ」


 額が熱い。手を当てると、指先に何かが浮かび上がっている感触がある。鏡がないから見えないが——エミルの顔色が変わったことで分かった。


「リリアーヌさん。額に——紋章が浮かんでいます」


 聖女の紋章。ゲームでは「聖女覚醒完了」のイベントCGで描かれていた、金色の紋様。リリアーヌの額に——浮かび上がった。


 セラフィーナが駆けつけた。リリアーヌの額の紋章を見て、一瞬だけ息を飲んだ。ゲームのシナリオが——現実で動いた。聖女覚醒の完了。シナリオ上、この次に来るのは——教会の介入。そして悪役令嬢の断罪。


「セラフィーナ様。大丈夫です」


 リリアーヌが言った。声は落ち着いていた。覚醒の衝撃の中にいるはずなのに——目が澄んでいた。


「これは私の力です。教会のものでも、ゲーム——いえ、誰のものでもない。私が選んだ力です。私が使い方を決めます」


 ゲーム。リリアーヌは「ゲーム」と言いかけた。セラフィーナがいつもゲームのシナリオに言及することを——聞いていたのだろう。理解しているかどうかはわからない。しかしリリアーヌは——自分の力を、自分の意志で受け入れた。


 エミルが静かに微笑んだ。


「物語のシナリオ通りに覚醒した。しかし——覚醒の意味を、彼女自身が書き換えた。ゲームの聖女は教会の道具だった。しかしリリアーヌさんは——自分の意志で力を受け入れた。これこそが——僕が言った『役割の拒否』です」


 物語の役割を拒否した聖女。教会の道具ではなく、自分の意志で立つ聖女。ゲームのどのルートにもない——新しい聖女の形だ。


 ナターリアがリリアーヌの手を握った。額の紋章が、二人の間で静かに光っている。


「きれいね、その紋章」


「……怖くないの?」


「怖くないわ。だってそれは——あなたの一部でしょう? 蜂蜜菓子を焼く手も、契約書を書く手も、光を放つ手も——全部あなた」


 セラフィーナが以前言った言葉と、同じ構造だ。ナターリアは——セラフィーナの言葉を、自分の言葉として受け継いでいた。言葉は、人から人へ伝わる。受け取った人がまた、別の誰かに渡す。それが——物語の書き換えの本質かもしれない。


 しかし——覚醒の波動は、隠しようがなかった。


 聖女覚醒の波動が辺境から放射状に広がっていった。王都の方角へ。南方の諸領地へ。そして——聖光教会の大聖堂の方角へ。


 王都の大聖堂で、聖遺物が共鳴して光り始めた。百年間眠っていた聖杯が、金色の光を放った。枢機卿がその光を見て、呟いた。


「百年ぶりの……真の聖女だ」


 枢機卿は机の上に広げていた調査団の命令書を、ゆっくりと巻き上げた。蝋燭の炎にかざし、燃やした。灰が机の上に落ちた。


 代わりに——新しい羊皮紙を広げた。金箔の押された最上級の公式文書だ。


「異端調査団の派遣を取り消す。代わりに——聖女迎え入れの大使節団を編成せよ。枢機卿直属の高位神官団と聖騎士。総勢五十名。真の聖女を、聖光教会の懐に迎え入れる」


 調査ではない。奪取だ。教会は——リリアーヌを手に入れるために、本気の兵力を送ることを決めた。


 辺境の地下室では、リリアーヌの額の紋章が静かに輝いていた。覚醒を選んだ少女と、奪取を決めた教会。二つの意志が——衝突する日が近づいている。

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