表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

78/123

リリアーヌの告白

 リリアーヌは毛布にくるまったまま、天井を見つめていた。客室の天井は木の梁が走っている。王都の実家の天井とも、聖堂の天井とも違う、簡素だが温かみのある天井。ここに来てから半年。この天井にもすっかり慣れた。


 しかし夜が来るたびに、体が震える。光が——溢れ出すから。


 指先を見た。薄暗い部屋の中で、爪の下がほんのり金色に光っている。消えない。ここ数日、夜になると手のひらから微かな光が漏れ続けている。隠そうとしても、感情が揺れると光が強くなる。


 隣のベッドでナターリアが眠っている。辺境に来てからリリアーヌの部屋に泊まるようになった。「一人で寝るのが怖いから」とナターリアは言ったが、本当はリリアーヌが怖がっていることに気づいているのだろう。公爵令嬢は繊細だが、人の感情を読む力がある。


 それから——もう一つ、怖いことがある。


 夜になると、人の感情が流れ込んでくる。


 領主館で働く使用人の疲労。門番の退屈。厨房で朝食の準備をする料理人の眠気。薬草園の方角から、オルガの穏やかな感情。鍛冶場の方角から、マルクスの無骨な満足感——炉の火が昨夜うまく落ちたのだろう。


 そして——領主館の二階から。


 セラフィーナの感情が、最も強く伝わってくる。不安。恐怖。それを押し殺す強い意志。帳簿を前にした時の冷静な集中。そして——時折、夜遅くに訪れる孤独。深い、底のない孤独。前世から持ち越した、誰にも見せない孤独。


 リリアーヌは知っている。セラフィーナが、辺境に来る前から孤独だったことを。他人の感情が流れ込むようになって、初めてわかった。セラフィーナの強さは——孤独を知っている人間の強さだ。一人で立つことに慣れた人間の強さ。そしてその孤独が、辺境の人々との繋がりの中で少しずつ溶けていっていることも。


 泣きそうになった。感情が溢れる。止められない。自分の感情なのか、他人の感情なのか、もう区別がつかない。


 朝になるのを待って、セラフィーナの部屋を訪ねた。


 ノックすると、すぐに「どうぞ」と声がした。セラフィーナは既に着替えて、窓際に立っていた。朝日が横顔を照らしている。


「リリアーヌさん。どうしましたか」


「……あの。お話ししたいことがあるんです」


 椅子に座った。手が震えている。光っている指先を、膝の上で組んで隠した。


「私の体に——変なことが起きています」


 セラフィーナの表情が変わった。知っている。既にエミルから聞いているのだろう。しかし何も言わず、黙って聞いてくれた。


「夜になると体が光るんです。手とか、胸のあたりが。それだけじゃなくて——人の感情が流れ込んでくるようになりました」


「感情が?」


「はい。辺境の人たちの感情が。特に——セラフィーナ様の感情が、一番強く伝わってきます」


 セラフィーナが一瞬だけ表情を崩した。何を感じ取られているか想像したのだろう。しかしすぐに立て直した。


「他には?」


「辺境の人たちの——幸福が、すごく強く感じられるんです。ここに来る前は、こんなことなかったのに。この場所の人たちは幸せなんです。大変なことがたくさんあるのに。鍛冶場で鉄を打つマルクスさんも、薬草園のオルガさんも、市場の人たちも。みんな、自分の仕事に誇りを持っている。その幸福が、私の胸に直接流れ込んでくる」


 涙が出た。こらえられなかった。


「それは——セラフィーナ様のおかげなんです。この場所を作ったのは、あなただから。だから——」


 声が詰まった。ナターリアが横に来て、背中をさすってくれた。いつの間にか起きて、ついてきていたのだ。


「リリアーヌさん。あなたの力は——」


 セラフィーナが言いかけて、止まった。ゲームの知識を口にしかけたのだろう。一呼吸置いてから、言い直した。


「あなたの力は、あなたの一部です。怖いかもしれないけれど——それはあなたの優しさの延長にあるものだと、私は思います」


「でも……自分が自分じゃなくなるみたいで。夢の中の私は——笑っているのに、泣きたいんです。白い聖堂の上に立って、みんなに見られて、光に包まれて。でもそれは私じゃない。誰か別の人のような気がする」


 セラフィーナの目が揺れた。聖堂の夢の話を聞いて、何かを思い出しているのがわかった。リリアーヌの感情読み取りの力で、セラフィーナの中に走った恐怖の波を感じ取った。


「大丈夫です」


 セラフィーナがリリアーヌの手を取った。光っている手を、両手で包んだ。温かかった。


「あなたは、蜂蜜菓子が好きで、契約書を書くのが得意で、見本帳に絵を描く人です。聖女でも何でもない——リリアーヌという名前の、一人の女の子です。それは何があっても変わりません」


 泣いた。声を上げて泣いた。ナターリアが隣で手を握り、セラフィーナが肩を抱いてくれた。二人の温もりに包まれて、体の光が少しだけ落ち着いた。


 しばらく泣いた後、リリアーヌは顔を上げた。目が赤い。しかし——泣いた後の方が、表情が軽くなっていた。抱え込んでいた恐怖を、声にして出せたから。


「……ごめんなさい。泣いてしまって」


「謝ることはないですわ。泣きたい時に泣けるのは、強さですから」


 セラフィーナの言葉に、不思議な説得力があった。この人もかつて泣いたことがあるのだろう。秘密を打ち明けた夜に。あの夜のセラフィーナの涙を、リリアーヌは直接は知らない。しかし今——感情が流れ込む力のおかげで、あの夜の残像を微かに感じ取ることができた。


「リリアーヌさん。一つ聞いてもいいですか」


「はい」


「あなたはこの辺境にいたいですか」


 迷わなかった。


「はい。ここにいたいです。セラフィーナ様のそばにいたい。この場所が好きです。市場も、薬草園も、マルクスさんの鍛冶場も。この場所の人たちの感情が温かいから——ここにいると、怖くても耐えられるんです」


 セラフィーナの目が潤んだ。一瞬だけ。すぐに戻した。


「わかりました。なら——あなたを守ります。教会が何と言おうと」


「セラフィーナ様……」


「ただし。あなた自身も、逃げないでください。あなたの力と向き合って——自分で選んでください。教会に行くのも、ここに残るのも。全てあなたの意志で」


 自分で選ぶ。セラフィーナがいつも言う言葉だ。ナターリアも、この言葉に背中を押されて辺境に来た。


「……はい。自分で選びます」


 ナターリアが微笑んだ。リリアーヌの手を握ったまま。


「私も、自分で選んでここに来ました。リリアーヌさんも、自分で選んでください。その選択を、私は応援します」


 同じ年頃の二人の少女が、互いの手を握っている。一人は公爵家を捨てた妹。もう一人は聖女の力に怯える少女。どちらも——自分の意志で、ここにいる。


 午後、エミルが報告に来た。エリザベートの研究ノートに、聖女の力に関する記述を発見したという。


「エリザベート様の研究によると、聖光草には聖女の力を安定させる効果がある可能性があります。聖女と聖光草は本来、共生関係にある。力を暴走させるのではなく——制御する鍵になるかもしれない」


「母上の研究が——」


「はい。しかし同時に——」


 エミルが声を落とした。


「研究ノートの余白に、走り書きがあります。『聖女の力は祝福ではない。代償がある』と」


 代償。その言葉の重さが、午後の日差しの中に影を落とした。


 代償とは何か。歴代の聖女が短命だった理由。力を使うたびに生命力を消耗する——そう書かれている。セラフィーナの顔から血の気が引いた。リリアーヌには、まだ伝えるべきではないと判断した。


「制御法を研究しましょう。聖光草の煎じ薬が鍵になるなら、オルガに相談しますわ」


「僕も協力します。母上の研究を引き継ぐ形で——リリアーヌさんの力を安定させる方法を見つけます」


 エミルの目が真剣だった。学者としての興味と、リリアーヌへの配慮が同居している。この人は冷徹な分析者であると同時に、守りたいものを持つ人間でもある。


 夕方、リリアーヌは薬草園を訪れた。オルガが聖光草の世話をしていた。


「オルガさん。聖光草って——私が触ると、どうなりますか」


「触ってごらん」


 恐る恐る手を伸ばした。指先が葉に触れた瞬間——聖光草が一斉に光を放った。金色の光が薬草園全体を包み込む。花が開き、蕾が膨らみ、種が芽吹いた。生命の爆発だ。


 リリアーヌは手を引いた。光がゆっくりと収まっていく。


「すごい……」


「怖がらなくていいのよ」


 オルガが穏やかに言った。


「この草は、あなたを待っていたのかもしれない。私の夫——フリードリヒが生きていたら、きっと大喜びしたわ。『聖光草と語り合える人が現れた』って」


 フリードリヒ。かつてエリザベートと共に聖光草を研究した薬草師。オルガの亡き夫。この薬草園には、何世代もの想いが重なっている。


 リリアーヌは手を見た。光はもう消えている。しかし——指先に、聖光草の温もりが残っていた。怖い。でも——嫌いではない。この力が誰かの役に立つなら。


 窓の外で、聖光草の金色の花が風に揺れていた。美しかった。しかしその美しさの裏に、母が見つけた真実が眠っている。代償の影が、春の光の中に潜んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ