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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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母の残した言葉

 エミルが母の遺品から発掘した、革装丁の手帳だ。一冊目は聖光草の生態記録。二冊目は魔力脈の観測データ。そして三冊目が——聖女に関する研究だった。


 三冊目だけ、紙の質が違う。教会の公式記録用紙だ。つまりエリザベートは教会の内部にいた頃に、この研究を行っていた。


「母上は、聖光教会の修道院で研究員を務めていました。教会の文献庫にアクセスできる立場だった。この三冊目は、その時期に書かれたものです」


 エミルが丁寧にページをめくる。インクの色が二種類ある。黒は通常の記録。赤は注釈と警告だ。赤い文字が、ページの後半に増えていく。


 セラフィーナは隣に座って、ノートを覗き込んだ。研究室の窓から朝日が差し込んでいる。昨夜のリリアーヌの告白が、まだ胸に残っていた。あの子の手が光っていた。震えていた。


 ——代償がある。


 昨日見つけた走り書きの意味を、今日こそ解明しなければならない。


「ここです」


 エミルが三冊目の中盤を開いた。赤い文字で、几帳面に書かれている。


『聖女の力は、術者の生命力を媒介として発現する。魔力を外部に放出するたびに、術者の肉体は不可逆的な損耗を受ける。この損耗は修復されない。蓄積する』


 セラフィーナの指が止まった。不可逆的な損耗。蓄積する。つまり——使えば使うほど、体が壊れていく。


「続きがあります」


 エミルがページをめくった。


『教会記録によれば、過去三百年間に確認された聖女は七名。うち六名が三十歳以前に死亡している。唯一の例外は第四代聖女カタリナで、三十五歳まで生存。しかし彼女は力の行使を極端に制限していたため、教会から「怠惰な聖女」と非難された記録がある。力を使わなければ長生きし、使えば短命に終わる。これは祝福ではない。呪いである』


 呪い。エリザベートは聖女の力を「呪い」と断じていた。教会が「神の祝福」と呼ぶものを、科学者の目で見たら呪いだった。


 前世の記憶が重なった。佐藤凛が最後に読んだ健康診断の結果——過労による臓器への慢性的な負荷。「不可逆的な損耗」は、前世の自分の体にも起きていたことだ。働けば働くほど壊れていく体。休めば生きられるが、休めば価値がないと言われる。聖女もOLも、構造は同じだった。


「母上がこの研究を教会に提出したのですか」


「いいえ。提出していません。しかし——」


 エミルが三冊目の最後のページを開いた。赤い文字が乱れている。走り書きだ。


『研究を察知された。大司教が修道院長に命じて、私の文献庫へのアクセスを停止した。明日、審問がある。覚悟はしている。しかしこの記録だけは残さなければならない。未来の聖女のために。未来の——私の子のために』


「母上は、審問の翌日に修道院を追放されています。表向きの理由は『教義に反する研究活動』。しかし実際は、聖女の力が呪いであることを証明しようとしたから追放された。教会にとって、聖女の力が呪いであってはならないのです。神の祝福でなければ——教会の権威が揺らぐ」


「追放された後、母上はどうしたのですか」


「没落伯爵家に戻りました。しかし研究は続けた。二冊目のノートがその証拠です。修道院の文献庫にアクセスできなくなっても、独力で聖光草の研究を続けていた。辺境の薬草師——オルガさんの夫フリードリヒと書簡を交わしていた記録もあります。追放されてなお、研究を止めなかった」


 エミルの声に、母への敬意が滲んでいた。学者として、母の執念を理解しているのだろう。アクセスを断たれ、信用を失い、それでも研究を続ける。それがどれほど困難なことか、学者であるエミルには肌で分かる。


 セラフィーナは椅子の背にもたれた。母の筆跡を見つめている。会ったことのない母。前世では母の愛を知らないまま死んだ。今世でも、エリザベートは出産後すぐに亡くなった。しかし——この研究ノートは、母が命を懸けて残した遺言だ。


 「未来の——私の子のために」。


 エリザベートは、自分の子が聖女になる可能性を予見していたのだろうか。それとも——自分の子が聖女に関わる未来を、母の直感で感じ取っていたのか。


 リリアーヌは自分の子ではない。しかし今、セラフィーナの庇護下にいる。母が守ろうとした「未来の聖女」は、リリアーヌかもしれない。母の遺志を、自分が継いでいる。


「エミル殿。この研究の核心は——聖光草ですか」


「はい。母上は追放後も研究を続けていたようです。二冊目のノートに、聖光草が聖女の生命力消耗を緩和する可能性が記されています。聖光草は魔力の媒介になると同時に、緩衝材にもなる。聖女が直接魔力を放出する代わりに、聖光草を介して放出すれば、体への負荷が軽減される——という仮説です」


「つまり聖光草は盾になる」


「盾であり、手綱でもある。暴走を防ぎ、代償を軽減する。ただし——」


 エミルが声を落とした。


「検証されていません。母上は検証する前に亡くなった。そしてこの仮説が正しいとしても、聖光草の量と質が十分でなければ効果は期待できない。現在の薬草園の聖光草だけでは足りない可能性がある」


 足りない。つまり、もっと聖光草を栽培する必要がある。しかし聖光草の栽培は——魔力脈の上に生育するという特殊な条件がある。辺境の地下に走る魔力脈。母のノートが警告した「地下に眠るもの」。聖光草を増やすことは、封印を刺激することにもなりかねない。


 矛盾している。リリアーヌを守るためには聖光草が必要だが、聖光草を増やせば地下の封印が不安定になる。どちらを選んでも危険だ。


「選択肢を整理しましょう。帳簿と同じです。全ての選択肢を書き出して、それぞれのリスクとリターンを算出する」


「あなたらしい」


「経理の基本ですわ」


 軽口を叩いたが、手が震えていた。隠した。エミルは気づいたかもしれないが、何も言わなかった。


 昼食の時間に、ヘルガが茶を持ってきた。研究室にこもりきりの二人を気遣ってのことだろう。銀の盆にカップが二つと、蜂蜜菓子が載っている。リリアーヌが焼いたものだ。


「お嬢様。少し休まれませんと」


「ありがとう、ヘルガ。……一つ聞いてもいいですか」


「何でございましょう」


「母は——エリザベートは、どんな人でしたか」


 ヘルガの手が止まった。盆を机に置き、背筋を正した。四十年分の記憶を整理しているように、少しだけ間を取った。


「優しい方でした。しかし——頑固でもありました。自分が正しいと思ったことは、誰に反対されても曲げなかった。修道院を追放された時も、泣きませんでした。荷物をまとめて、馬車に乗って、ただ一言『これで自由に研究ができる』と仰った。追放を自由と呼ぶ方でした」


 追放を自由と呼ぶ。婚約破棄を好機と呼んだ自分と、似ている。血は争えないのか。それとも——同じ構造の中に生まれた人間は、同じ反応をするのか。


「エリザベート様は、あなたに似ています。逆境を逆手に取る強さ。人を頼ることが苦手な弱さ。どちらも——よく似ていらっしゃいます」


 ヘルガの目が潤んでいた。しかしすぐに微笑んで、盆を持ち直した。


「お茶が冷めます。お召し上がりください」


 ヘルガが去った後、蜂蜜菓子を一つ口に入れた。甘かった。リリアーヌの焼いた菓子は、辺境の蜂蜜の味がする。この甘さを守りたい。この場所の温もりを守りたい。


 午後、ギュンターが執務室に来た。表情が硬い。ギュンターがこの顔をする時は、悪い知らせだ。


「フェルディナント殿から急報です。王都の聖光教会で動きがあった」


「動き、とは」


「大司教クレメンスが、枢機卿に面会を求めたそうです。議題は『北方辺境における聖女候補の確認』。マルガレーテの報告が、既に上層部に届いている」


 予想より早い。マルガレーテが一時撤退してからまだ数日だ。教会の情報伝達は早い。伝書鳩ではなく、魔力通信を使っているのだろう。


「大司教が動いたということは——」


「次に来るのは、審問官ではなく教会騎士団です。マルガレーテは偵察だった。本隊が来る」


 教会騎士団。武装した神官の部隊だ。ゲームでは聖女を「保護」する名目で派遣され、実際には聖女を教会の管理下に置くための部隊だった。聖女覚醒イベントの第二段階。シナリオが加速している。


「時間はどれくらいありますか」


「わからん。しかし——三十年前と同じだ」


 ギュンターの声が低くなった。


「三十年前、教会がエリザベート様を追放した時も、最初は静かな調査だった。修道院長が面会に来て、穏やかに質問をした。そしてある日突然、審問が始まった。教会が動いた時は——もう手遅れになりかけている時だ」


 三十年前の母と、今の自分が重なった。教会に研究を潰された母。教会にリリアーヌを奪われようとしている自分。歴史は繰り返す。しかし——母は一人だった。自分には仲間がいる。


「ギュンター殿。フェルディナント殿に伝えてください。教会騎士団の動向を最優先で監視するように」


「承知した。しかしセラフィーナ様——一つだけ」


「何ですか」


「エリザベート様は、最後まで一人で戦おうとした。それが敗因だった。あなたは——同じ轍を踏まないでいただきたい」


 ギュンターの目が真剣だった。四十年仕えた老臣の目だ。かつてエリザベートを守れなかった悔恨が、その瞳の奥に眠っている。


「……踏みません。約束しますわ」


 ギュンターが去った後、セラフィーナは窓の外を見た。薬草園で聖光草が揺れている。金色の光。母が研究し、命を懸けて守ろうとした草。


 母のノートを胸に抱いた。革の手触りが温かかった。


 ——母上。あなたの研究を、私が完成させます。


 声には出さなかった。しかし心の中で、初めて母に語りかけた。前世でも今世でも、母に語りかけたことは一度もなかった。

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