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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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灰の中から——新たな戦線

 白い紙面に、インクが滲む。まだ左腕が痛むので、右手だけで書いている。字が歪む。しかし数字は正確だ。数字だけは、嘘をつけない。


 復興計画の第一ページ。被害集計から始める。


 城壁の損壊——北面と西面の三割が崩落または亀裂。修繕費用概算八百ギルダー。焦げた森の面積——北方約二キロメートル四方。自然回復に十年以上。薬草園の被害——軽微。聖光草は全株を触媒に使用したため残存ゼロ。再植栽に二ヶ月。鍛冶場——稼働中。マルクスが投石器の部品を通常生産に戻し始めている。


 人的被害。死者六名。ハインツ、ゲルト、フリードリヒ、ベルンハルト、コンラート、ディーター。名前を一文字ずつ丁寧に書いた。戦闘で命を落とした六人の領民。彼らの功績と、遺族への補償を記録する。補償金は一家族あたり五十ギルダー。合計三百ギルダー。安すぎる。命の値段に「安い」も「高い」もないが——帳簿はそれでも数字を求める。


 負傷者四十三名。うち重傷十二名は回復に向かっている。リリアーヌの聖光治療が効いている。触媒を使った制御された聖光は、暴走時の十分の一の消耗で同等の治癒効果を発揮している。母の仮説通りだ。


 ペンを置いた。右手が攣りそうだ。左腕が使えないだけで、これほど効率が落ちるとは。前世でも一度、右手を骨折した同僚が左手でキーボードを打っていたのを思い出した。あの時、なぜ休まないのかと不思議に思った。今ならわかる。やるべきことがあるから、手が動く限り動くのだ。


 窓の外を見た。晴れている。北の空に赤黒い瘴気はもう見えない。ただの——秋の空だ。雲が高い。風が冷たい。冬が近い。冬が来る前に城壁の修繕を終わらせなければ、寒風が城壁内に吹き込む。復興の工程表を脳内で組み立てた。優先順位は——城壁の修繕、食料の確保、負傷者の完全回復、薬草園の再植栽。同時並行で教会と父への対応。やることが多い。しかし——やることがあるのは、生きている証拠だ。





 大広間に全員が集まった。レオンハルト、ルキウス、エミル、リリアーヌ、ナターリア、ギュンター、ヘルガ、ヨハン。負傷者のセラフィーナは椅子に深く座り、帳簿を膝の上に開いている。


「今後の方針を話し合いますわ」


 レオンハルトが最初に口を開いた。


「余は王都に戻る。議会に正式な報告をしなければならない。魔獣侵攻の実態と、教会が聖女に対して行ってきたことを。証拠は——お前たちが命がけで地下から持ち帰ったものがある」


「証拠を公にすれば、教会との全面対決になりますわ」


「なる。だが——避けては通れない。リリアーヌを道具のように扱う連中を、放置はできん。カーティスの件も含めて、余が議会で片をつける」


 レオンハルトの声に、以前にはなかった怒りが混じっていた。政治家としての冷静さの奥に、個人としての怒り。聖女を消耗品にしてきた教会への、人間としての義憤。


 ルキウスが腕を組んだ。右腕の聖光火傷の痕が袖口から覗いている。三日間、城壁の外で戦い続けた男の顔は傷だらけだが、目は澄んでいた。


「俺も王都に戻る。騎士団に正式報告を上げる。辺境防衛の戦闘記録と、魔獣の地下巣穴の情報を。——それと、教会の使節団の動きを監視する。あの老人は撤退したが、去り際にこう言った。『魔核の封印は聖女なしには不可能。いずれ必ず聖女をお迎えに参ります』と」


 リリアーヌが身じろぎした。しかし——怯えてはいなかった。


「来ればいい。今度は——準備ができている」


 静かな、しかし揺るぎない声だった。聖光の暴走で血を吐いた少女は、もうそこにはいない。触媒で制御された力を持つ聖女が、そこにいた。


 エミルは辺境に残ると宣言した。


「地下の教会紋章と封印装置の残骸を調べます。五百年以上前の遺構です。教会の歴史そのものが——あの空洞に刻まれている。学者として、見過ごせません」


「危険ではありませんか」


「魔核は鎮静化しています。しかし——破壊はされていない。いずれ再活性化する可能性はある。恒久的な対処法を見つけるためにも、調査は不可欠です」


 ギュンターが報告した。山岳ルートからの物資搬入は順調。ノーヴァルの物資制限令については、レオンハルトが王都で撤回させる手筈が整っている。ヴェーバー領のカウフマンが「戦時に辺境を支えた商人」として名を上げ、三領地の経済圏はむしろ結束が強くなった。


「戦争は——商売の敵だが、信用の種でもある。火事場で逃げなかった奴は、平時も信用される。それはこの辺境も同じだ。魔獣と戦って生き残った土地は、どんな嵐にも耐えられると商人に思わせる」


 ギュンターの言葉に、全員が頷いた。


 セラフィーナは父への返書を読み上げた。


「『辺境は独力で守り抜きました。領地管理権の返還も、帰京も必要ありません。公爵家の護衛兵五十名と食料三ヶ月分の申し出は感謝いたしますが、辞退いたします。セラフィーナ・フォン・ヴァルトシュタイン』」


 ナターリアが小さく笑った。


「父は怒るでしょうね」


「怒るでしょうね。しかし——事実を突きつけることが、父との対話の始まりですわ」


 レオンハルトが立ち上がった。


「セラフィーナ。辺境は——お前が思っている以上に強い。お前が作った街だ。誇れ」


 言葉少なに。しかし重い言葉だった。ルキウスが頷いた。エミルも。リリアーヌが微笑んだ。ナターリアが姉の肩にそっと手を置いた。ギュンターが鼻を鳴らし、ヘルガが目頭を押さえた。ヨハンは——いつも通り、静かに控えていた。しかしその目に、誇りの光が見えた。





 夕方、焦げた森の前に立った。ナターリアと二人。


 黒く焦げた幹が並んでいる。かつて緑に覆われていた森が、灰と炭に変わっている。足元に灰が厚く積もり、歩くたびに小さな煙が舞い上がる。焦げた木の匂いが鼻に沁みる。夕日が焦げた幹を赤く照らしている。


 しかし——足元に、小さな緑が見えた。


 焼け跡の灰の中から、一本の新芽が顔を出していた。小さな葉が二枚。灰に養分を吸い、焼けた土から芽吹いている。森の再生は——もう始まっていた。


「見てください、ナターリア」


「……強いですね。植物は」


「人もですわ」


 姉妹で並んで焦げた森を見ていた。背後には復旧が進む街がある。槌の音。人の声。馬車の車輪の音。生活の音だ。


「ここからまた始めますわ」


 声に出して言った。自分のために。ナターリアのために。焦げた森のために。死んだ六人のために。残った二千人のために。


 前世では、こんな言葉を言える場所がなかった。壊れたものを直す場所がなかった。佐藤凛は壊れたまま終わった。しかしセラフィーナは——壊れても立ち上がれる。立ち上がれる場所がある。


「はい。姉様」


 ナターリアが手を握った。妹の手は——温かかった。風が吹いて、焦げた灰が舞い上がった。その灰の向こうに、新芽の緑が揺れていた。





 同じ頃、地下ではエミルがランタンの光で封印装置の残骸を調べていた。


 崩れかけた金属枠を丁寧にひっくり返した。裏側に、さらに古い刻印を見つけた。教会の紋章ではない。もっと古い。もっと個人的な刻印。封印を施工した者の名前だ。


 ランタンを近づけた。指先で文字の凹凸をなぞった。風化した文字が——指の下で形を成す。


 エリザベート・ローゼンクランツ。


 セラフィーナの母の旧姓。しかしその名前の横に——もう一つの肩書きが刻まれていた。


 「第七代聖女」。


 ランタンが手から落ちそうになった。慌てて握り直す。エミルの手が止まった。眼鏡の奥の目が、見開かれたまま動かない。


 セラフィーナの母は——聖女だった。教会に「消費」される前に逃げ出した、先代の聖女。辺境に身を隠し、娘を産み、聖光草を研究し、聖女を犠牲にしない方法を探し続けた女性。


 そしてもし母が聖女だったなら——セラフィーナにも、聖女の血が流れている可能性がある。


 教会の古文書『異界接続論』に記された一節がエミルの脳裏に蘇った。「聖女の血統は魂を呼ぶ。異界から。次元の境を越えて」。転生者と聖女。二つの概念が——一人の女性の中で交差する。


 エミルはランタンを持ったまま、しばらく動けなかった。この発見の重みが——計り知れない。セラフィーナに伝えるべきか。今の段階で。彼女はまだ傷が癒えていない。しかし——真実を隠す権利は、誰にもない。


 ランタンの光が揺れた。地下の冷たい風が、炎を煽っている。魔核は眠っている。しかし——眠りは永遠ではない。百年後に再び目覚める。その時までに——恒久的な答えを見つけなければ。


 封印装置の金属枠に、最後の一行が刻まれていた。母の字だ。


 「この子を、守って」


 エリザベートが最後にここを訪れた時に刻んだのだろう。出産前に。「まだ眠っている」と確認した後に。生まれてくる娘のために——祈りを刻んだ。


 エミルはその文字を手帳に写した。震える手で。一文字ずつ、正確に。


 地上では、槌の音が響いている。鍛冶場の音。復興の音。新しい一日が始まる音。


 しかしエミルの手帳には、まだ書き終えていない物語がある。セラフィーナの母の物語。聖女の血脈の物語。そして——転生者と聖女が交差する、この世界の物語が。

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