目覚めた朝に
窓の外で小鳥が鳴いている。戦いの間、鳥たちは森から消えていた。瘴気と魔獣の咆哮に追われて、どこかに逃げていた。それが——戻ってきている。
目を開けた。天井が見えた。見慣れた天井。領主館の自室の天井だ。木目が横に走っている。蝋燭の灯りではなく、自然光が部屋を満たしている。窓から入る朝の光。
体が重い。左腕に包帯が巻かれている。胸を動かすと、肋骨のあたりに鈍い痛みが走った。生きている。痛みが証明している。
首を動かした。ベッドの脇に——ヨハンが座っていた。椅子に座ったまま、壁に背をもたせて眠っている。いつからそうしていたのか。顎に無精髭が生えている。この几帳面な従者が髭を剃り忘れるほど——長く、ここにいたのだ。
「ヨハン」
声が掠れた。喉が乾いている。三日も水を飲んでいなかったのだろうか。
ヨハンの目が開いた。一瞬の間があった。それから——この寡黙な従者の目に涙が浮かんだ。
「——お目覚めですか。三日間、お眠りになっておられました」
「三日……」
「はい。三日と四時間です。正確に」
正確に数えていたのだ。一時間ごとに。いや、一分ごとに。ヨハンはそういう人間だ。
水を持ってきてくれた。震える手で受け取り、一口飲んだ。冷たい水が喉を潤し、体の中を洗い流していく。生きている。本当に生きている。
ドアが開いた。ヘルガが入ってきた。白髪が乱れている。エプロンに泥がついている。城壁の上で戦場指揮官をしていた時のまま、着替えてもいないのだろう。
ヘルガはセラフィーナの顔を見た。数秒、黙っていた。それから——泣いた。
「この馬鹿娘が! 死ぬなら帳簿の引き継ぎをしてからにしなさい!」
泣きながら怒っている。涙を拭いもせずに怒鳴っている。三十年間この屋敷を仕切ってきた女傑が、子供のように泣いている。
「すみません、ヘルガ」
「すみませんじゃないよ! あんたが死んだら、この辺境の帳簿は誰がつけるんだい! あたしじゃ複式簿記は使えないよ!」
怒りの中に——愛情が滲んでいた。前世では——こんなふうに叱ってくれる人はいなかった。上司は叱責した。同僚は距離を置いた。誰も——泣きながら怒ってはくれなかった。
「ヘルガ。領民は——」
「全員無事だよ。死者は——戦闘で六名。怪我人は四十三名。しかし全員、治療が進んでいる。リリアーヌちゃんの聖光のおかげで、重傷者も回復が早い」
六名。名前を聞かなければ。しかし今は——体が動かない。後で帳簿に記録する。名前と、功績と、遺族への補償を。一人ずつ、丁寧に。
ヘルガがスープを持ってきてくれた。温かい。野菜のスープだ。匙を口に運ぶ手が震えたが、味は確かにわかった。塩が効いている。ヘルガの味付けだ。
「ギュンター殿は?」
「商品の馬車をバリケードにした分の損失を早速計算してるよ。あの男、戦が終わった翌日には見積書を書いていた」
「……ギュンター殿らしいですわね」
「ルキウスは——三日間、一度も剣を置かなかった。あんたが倒れたと聞いても、持ち場を離れなかった。城壁を守り抜いてから、最後に剣を鞘に収めた。あの男は——本物の騎士だよ」
ルキウスの背中を思い出した。城門の外に出ていく、傷だらけの背中を。「戻る」と言った二文字を。
「エミル殿は?」
「あんたを地下から担ぎ上げて、そのまま三時間、治療の指示を出し続けた。魔力が空っぽなのに、知識だけであんたの命を繋いだ。その後倒れて、今も薬草園の横で寝てるよ」
全員が——全力を尽くした。自分だけが倒れたのではない。全員が倒れかけた。しかし全員が——踏みとどまった。
「リリアーヌは?」
「元気だよ。触媒のおかげで、前回のような消耗はなかった。今はナターリアと一緒に負傷者の回復を手伝っている。あの子の聖光は——もう暴走しない。制御できている」
母の答えが——正しかった。聖光草の触媒が、聖女の力を守った。
「ナターリアは?」
「あの子は——強い子だね。姉が倒れても泣かなかった。泣く暇がなかったんだろう。オルガの補助をし、エッセンスを地下に届け、戦後は負傷者の看護に回った。公爵令嬢とは思えない働きぶりだったよ」
妹が——成長している。辺境に来てから。
◇
午後になって、足音が近づいてきた。速い足音。廊下を走っている。従者も兵士もこんな走り方はしない。
ドアが開いた。
レオンハルトが立っていた。鎧は脱いでいるが、旅装のまま。長い金髪が乱れ、頬に埃がついている。馬で何日も走り続けた顔。王太子としての威厳は——今は、どこにもなかった。
「セラフィーナ」
名前を呼ばれた。「殿」も「嬢」もない。ただの名前。初めて——レオンハルトがそう呼んだ。
「……レオンハルト殿下」
「殿下はいい。今は——ただのレオンハルトだ」
ベッドの脇に膝をついた。王太子が、領主のベッドの脇で膝をついている。手を伸ばし——セラフィーナの右手を握った。温かい手だった。長時間馬に乗っていた手。硬い。しかし震えている。
「三日間——走り続けた。増援を率いて。しかし着いた時には——もう終わっていた。魔獣は鎮まり、城壁は立っていて——お前が倒れていた」
「間に合いませんでしたわね」
「間に合わなかった。——すまない」
「謝ることはありませんわ。増援を勝ち取ってくれたのはレオンハルト殿下でしょう。議会で一票差で」
「……なぜ知っている」
「帳簿をつけていれば、数字から推測できますわ」
嘘だ。ギュンターの情報網で知った。しかし——少し格好をつけたかった。
レオンハルトが笑った。疲れ切った顔に、不器用な笑みが浮かんだ。
「二度とこんな無茶をするな」
「無茶をしなければ生き延びられない状況を作ったのは、カーティスと教会ですわ」
「だから——余が来た。次は間に合う。必ず間に合わせる」
手を握る力が強くなった。痛い。しかし——離さないでほしかった。
「有給をください……」
呟いた。前世の言葉が口をついて出た。レオンハルトは意味がわからなかったらしく、首を傾げた。
「ゆうきゅう?」
「休暇のことですわ。少し——休みたいです」
「好きなだけ休め。——余がここにいる間は、何も心配するな」
その言葉が温かかった。前世では「休め」と言われたことがなかった。言ってくれる人がいなかった。自分でも言えなかった。休むことを——許されていないと思っていた。
窓の外を見た。ヘルガに体を支えてもらい、上半身を起こして窓に目を向けた。
辺境の景色が広がっていた。北の森は焦げている。城壁の一部が崩れている。広場には瓦礫が散らばっている。戦いの爪痕が、至る所に刻まれていた。
しかし——その瓦礫の中で、人が動いていた。
鉱夫たちが崩れた城壁の石を一つずつ運んでいる。女性たちが焦げた木材を片付け、子供たちが広場のゴミを集めている。フランツが——あの八歳の伝令少年が——城壁の上から旗を振って連絡をしている。戦闘中と同じ動きで。しかし今度は、復旧作業の連絡だ。
マルクスの弟子の少年が鍛冶場の前で金床を叩いている。あの投石器を作った手で、今度は城壁の補修用の金具を打っている。槌の音が、窓の外から聞こえてくる。規則正しい、力強い音。戦場の轟音とは違う。ものを作る音。
ギュンターの商隊が既に動いていた。山岳ルートを通って、最初の物資が到着したのだろう。馬車が広場に止まり、食料と木材が運び出されている。ギュンターの声が聞こえる。「こっちに干し肉! 木材は鍛冶場の横に!」——商人は、戦場でも復興でも、物を動かすのが仕事だ。
レオンハルトが率いてきた増援二百五十名の兵士たちも、戦闘ではなく復旧作業に参加していた。王都の兵が辺境の鉱夫と並んで石を運んでいる。身分も立場も関係ない。
復興がもう始まっていた。戦いが終わった翌日から。誰に命じられたわけでもなく。自分たちの街だから。自分たちの手で直す。当然のように。
涙が出た。今度は——堪えなかった。
「泣いているのか」
「嬉し泣きですわ。……帳簿に泣きの費目はありませんけれど」
レオンハルトが手を握ったまま、窓の外を見ていた。焦げた森と、復旧を始めた街と、その上に広がる青い空を。
「教会の使節団は——撤退した」
レオンハルトの声が変わった。王太子の声に戻っていた。
「しかし——お前たちが地下で見つけた証拠。教会の機密文書。あれを王都に持ち帰る。枢機卿と教会の幹部が聖女を消耗品として扱ってきた証拠だ。これを公にすれば——教会との全面対決になるかもしれない」
「なるでしょうね」
「覚悟はあるか」
窓の外で、槌の音が響いている。鍛冶場の音。新しいものを作る音。壊れたものを直す音。
「覚悟なら、とうに決まっていますわ」
レオンハルトが頷いた。その横顔に、王太子の重みと、一人の男の決意が重なっていた。
窓の外で鳥が鳴いた。戦場から戻ってきた小鳥が、焦げた木の枝に止まって歌っている。森が焼けても、鳥は歌う。街が壊れても、人は立ち上がる。
帳簿が欲しい、と思った。復興の計画を立てなければ。城壁の修繕費用、食料の補充、負傷者の療養費、遺族への補償。やるべきことが山のようにある。しかし——今は休む。少しだけ。レオンハルトがいる間だけ。
目を閉じた。手を握られたまま。鍛冶場の槌の音を聴きながら。




