天才を殺す時代
オリンピックの前日に演出家かなんかが干された話があるのはご存知かと思う。
知らない人のために、うろ覚えながら書いておくと、過去にいじめを行っていた事実を吹聴してた演出家が「オリンピックにはふさわしくない」として急遽演出家としての役を降ろされた……みたいな話だ。実際はちょっと話が違うかもしれない。しかし調べるつもりもない。
こういう、スネに傷がある者を糾弾し重用しないことをキャンセルカルチャーというらしい。そういう名前がついている以上、どこかで定着している考え方なのだろうし、これから、より広まっていくのだろう。
私にはこの話がなんとなく感慨深くて、いまさらになって思うことを並べたくなった。
いや、分かるんだ。被害者の心情を考えれば、「過去にあんなことをやっていた奴が、平気な顔して正義ヅラして活躍するのは許せない」と思うのは普通だ。過ちも度合いによるだろうが、その度合いによっては、一生を棒に振ってしまっても仕方のない部分もあるとは思う。例え司法が許したとしてもだ。
それよりなにより、それが「人や立場によっては許される」みたいなことがあれば、それこそ本当に許されない。
そういう"過去"が情報化社会となって顕著となった。
ツイッターなどの自爆も多いが、ちょっと調べればその人間が過去に何をやって、何を言ってきたかがすべてログで残る時代となってしまった。それがあからさまな犯罪じゃないにしても、ログ内での問題発言、失言も含めれば、糾弾できる機会は昔に比べても非常に増えてしまった。
そして、そういう過去が、将来を可能性をすべて洗い流す時代になっていくとする。……すると何が起こるかと言えば、天才の消滅……ではないだろうか。
天才という奴は、どこか壊れた人間なのだと思う。
人と同じ枠組みにハマれない。人と同じことができない。人が思いもしないことを考えてしまう。……だから、天才なのだ。
それは必ずしも社会に対してプラス方向とは限らない。……突然だけど発酵と腐敗の違いって知ってるだろうか。人間の役に立つかどうかの差でしかないらしい。結局はどちらも腐っている事には変わりない。
天才だって腐りモノみたいなものなのだ。プラスがあってマイナスがあるのが、天才である。可もあり不可もあり。薬になる分、毒にもなるのが天才なのだ。
しかし、マイナス方向へ傾いた(ことのある)人間を排除するのがこれからの世の中なのだとすれば、当然天才に居場所はない。
「著名人は、現在過去においても潔癖に生きてきた者でなければ、その功績をたたえることはできない」
となれば、可もあり不可もある天才はおのずと削られやすい環境となる。代わりに居座るのは、これまで毒にも薬にもならなかったユートーセイだ。
ユートーセイも、そりゃまぁすごい人もいるだろうが、やはり、天才でなければ凡人でしかない。一つの毒もない人間からは、毒のない発想しか生まれない。(あるいは毒を隠せる聡明な天才もいるかもしれないが、1%の天才のさらに1%を探すようなものだ)
社会には、個性がなくなってしまっているように思う。
最適化……ともいえる。大多数が受け入れるものが残り、他は淘汰され、結局同じようなものばかりが進化する時代となってしまった。私は勝手にそれを、"文化のコンビニ化"と言っているが、本当に今の社会は、コンビニ弁当のようなものだ。人間もな。
弁当を買うとなればコンビニか巨大資本のスーパー、弁当屋に限られる昨今、人間は存在する物の中で弁当を選ばざるを得ない。それが無個性であることに気づいても、それしかないのが、今の世の中だ。(比喩表現)
"最適化"なのだから、行きつくところに行ったのだと思うが、そしてさらにどこか壊れた天才たちが排除されていくとすれば、さらに無個性な"文化のコンビニ化"に拍車がかかっていくと思わざるを得ない。
いや、言っとくけど、"加害者"を擁護している文章ではない。繰り返す。決してそうではない。
ただ、社会の現象として"こういう人間でなければならない"人間しか表舞台に立てない世の中になれば、つまりは枠内の個性を持つ者しか残れないだろうと、私は考える。
まぁ、今の世の中youtubeみたいな場所もあるから二極化していくのかもしれないが、なんとなく今後さらにつまらない世の中になる予感がしてならない。




