戦友
知り合いに役者がいる。
知り合ったのはもう何年前になるだろうか。十五年くらい経つかもしれない。当時は彼もまだ駆け出しで、海の物でも山の物でもなかった。
役者というのも厳しい世界だ。雲を掴む話のレベルでは、作家とまったく変わらない。下積みの頃など、時間とかをすべて犠牲にして取り組まないと仕事がないので、「仕事の合間の空いてる時間に」など実質無理な仕事であるにもかかわらず、ほとんど収入など見込めない。挙句の果てには使い捨てられる世界だ。
だれも補償してくれないわりに当たり前のように拘束はされる。
ボーナスが、有給が~と、つむじを曲げている世界にいる人たちには分からないどさまわりの泥沼が、彼らの入り口に広がっている。
彼の消息は数年間確認していたが、やがて見失った。その後、互いに消息を知ることはなかったが、今年の初め、ひょんなことから彼をネット上で発見したのだ。
そんな厳しい役者の世界に、今も生き残っているという。……私は嬉しくなって、思わず彼にメッセージを送ってしまっていた。
彼からの返事は数ヶ月なかった。私にとっては思い入れのある人だったが、向こうもそうとは限らないので、「俺のことは忘れたかな?」とさびしくなったものだが、それが先日になって、ひょっこりと連絡をくれたのだ。
その内容を見て思った。彼は私を忘れていたわけでも、返信がめんどくさかったわけでもない。
「お互い、まだ、話すことなんて何もない」のだ。
互いに夢を追いかけて長い年月が過ぎても、「続けています」と言わなければそれを確認できないほどまだ世間に響いておらず、「コレ!」と言えるものを確立していない。
過去を振り返ってるような余裕もなく、そういうわけで今を語れない、そして未来を語るには、なまじ現実を知って、そしてその現実が理想とかけ離れすぎて、とても口にできない。
……話すことなんて、何もないのだ。
それでも彼はメールの文面で、言葉少なにつぶやいていた。
「年取ってから夢を叶えた方がかっこいいなと思う」と。
最近、私も気づいたことがある。
夢の大きさ、目標の大きさ……これがどれだけ大きなものを描けるかは、素質だ。「大きな目標を持て」と言ったところで、描けないヤツには描けない。
そのことを馬鹿にしてるのでは決してなく、実際描けたところで到達するかは別問題なので、描けるからいいというものではない。が、描ける夢の大きさというのは、生まれ持った素質(器)であることを、最近感じるようになった。
言えるか?いい年こいて、「年取ってから夢かなえたほうが……」とか。
俺は言えるけどな。「明日億万長者になるために今日乞食をやってる」くらい、だれにでも吹いてる。自分は作家稼業やらせたら第一線で通用すると思っているし、作家で大成する暁には、日本規模に有名作品を出してると思ってる。
しかしそれを、「世界レベル、ノーベル賞!」みたいに言えないから、私の夢を描く素質はそこまでなのだ。ホンダの創業者、本田宗一郎(敬称略)は、世界とレベルに雲泥の差があった頃から世界を見据えていたらしい。彼の素質は世界規模だった。
それが……『夢を描くキャパシティの差』なのだと思う。
スゴイネ。ホンダさんはそこまででかい器いっぱいに水を注ぎ込んだんだから。
いつかそうなる。私も、彼も。自分の器の限界までは到達するだろう。
そしてその時、二人でメシでも食いたい。
その時はきっと……今は話せない多くのことを、ゆっくり話せるのだと思う。
互いにかけた言葉は、「自分もがんばる」
……相手ががんばっていることなど、語るまでもなく知ってる。
別の道を歩いてはいるけれど、どこかつながっていた気がした夜だった。




