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ちょっときいて  作者: 矢久 勝基


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迷子の最中に拾ったもの

それは、当たり前のものかもしれない。

ただのガラクタかもしれない……が。

 前項、迷子の稿から先、まだ迷子のままだ。

 しかし、迷子というのは出口を求めるから迷子であって、諦めてしまうのは捨て人、容赦ない言い方をすれば脱落者だ。私はまだ迷子であるだけ自分の希望を捨てきれないということになる。

 迷子だから考える。どこに出口があるのか。

 『世の中にある何が面白い作品なのか』について、さまざまなプロの作品に触れながら、ハタと行き当たったことがある。

 今から書くことは、あるいは当たり前なことかもしれない。自分自身の記録も兼ねて書いておく。


 物語において"面白い"ってヤツは、つまり夢中になるってことだ。ハプニングによる単発の笑いも"面白い"というのかもしれないが、こと物語においては単発で笑えてもそれ自体はそれほど重要視されない気がする。

 人間は本当に集中している時、パッと時計を見たら「もうこんな時間かよ!」となる。それはなにもマジメに黙って事を行っている場合とは限らない。なんなら笑ってたって踊ってたって、「もうこんな時間かよ!」は訪れるものだ。

 で、思うのだが、集中できている瞬間、多くの人間は潜在的に楽しさを感じているのではないか。

 極論なんだけど、何かをやらかした部下を一時間くらい叱責する上司が「もうこんな時間かよ! 無駄な時間をすごしたわ!!」と後悔する場合においても、「こんな時間かよ」と思えるほどにエキサイトして相手を罵倒している間は、あるいは快感物質が分泌されているのではないかと思う。

 逆にその時部下が「おい、もういい加減にしろよ」と思っていたら、そんな彼にとってはその一時間は半日にだって感じられるはずだ。

 人間は何かに集中する時、時間を忘れる。それはきっと、潜在的に楽しい状況が作り出せているからなのだと、思う。

 で、その集中力はどこから得られるか。これは、『そのことに夢中になれるか』にかかっているのではないかと思う。

 文章の世界において、読者を夢中にさせる要素は何か。

 私はそれが、読者ごとに持つ趣味(好きな世界観)だったり、気を引く展開だったり、リズム感だったり、気の効いたセリフだったり、文章力だったり、薀蓄の量だったり、奇抜で愉快な設定だったり……そういうことだと思っていた。

 違うかと言えば違わない。しかし、その根底になにが必要か。……これが、今日の『ちょっと聞いて』だ。


 もったいぶった言い方はなしにして、結論を言えば、

『読者が、その文章を信じられるか。その物語の信者になれるか』

 こういうことなんだと思う。

 これは、例えばその作品に説得力があるかどうか、ということとは、必ずしも結びつかない。ぐうの音も出ない説得力が必要ならSF、ファンタジー分野……いや、フィクションの多くは破綻する。

 実際、だからフィクションを馬鹿馬鹿しいと感じる人だっているだろう。そういう人はきっと、フィクションを楽しめない人だ。理由は、信者になれないから。

 逆に、信じられるなら、タイムマシンが出てこようが、『昨日までA子さん一途だった人が今日B子さんに告白し』ようが、何でもかまわないのだと思う。

 しかもこれは、作中に描かれた、いいわけじみた設定の説明が妥当かどうかとも関係ない。それで「あーなるほど」と信じられるうちは"信者"となれるし、そうでなければ、その物語に夢中になることはない。

 その基準が人それぞれであって、先ほど挙げた『読者ごとに持つ趣味(好きな世界観)だったり、気を引く展開だったり、リズム感だったり、気の効いたセリフだったり、文章力だったり、薀蓄の量だったり、奇抜で愉快な設定だったり』……という要素もあるだろうが、極論、同じ人間でもその日の気分にも左右される要素なのだと思う。他のことが気になっていたら『内容を信じる』とか、それ以前の問題な時もあろう。

 いずれにせよ、その個人基準をクリアして、その物語の信者となった時、そこから初めて『面白いかどうか』が決まるわけだ。

 私自身が『最近、面白い話が何か、分からなくなってしまった』というのなら、それはつまり、目の前に広がる文章の世界が信じられないからに相違ない。

 きっと疑っているのだ。この世の中の面白さを。


 つまり何をいいたいかといえば、目の前にあるものがどんな面白い物語だとしても、その作品を疑ってかかれば、それは読者にとって駄作となる、わけだ。

 これは、いろいろな賞で寸評もらう身として、そう思う部分でもある。

 寸評も人間が書いているものなので、その文章から温度感を感じるものなのだが、『コノヒト信者になって読んでくれたな』というものは、駄目な部分があっても「まぁこういうこともあるよね」といったニュアンスで流される。

 しかし『コノヒトまったく信者になれなかったんだな』という寸評を見ると、すべての部分に疑ってかかった書き方をされる。たぶん良い場所があっても馬鹿馬鹿しく見えていたのだろう。

 これが、同じ作品の中で起きたりする。まるで同じ作者の同じ作品とは思われない評価がされることもあったことで、今日の話に確信を持てている。


 そして、同時に思うんだけど、作品の人気って、必ずしも物語だけじゃなくて、"作者の信者"になることでも始まるのかなと思う。この作者だから作品が信じられる。"あばたもえくぼ"になるのかもしれないな……とか思ったり。

 もちろんそれがすべてとは言わない。多少のアドバンテージでしかないかもしれなくても、そういう要素もあるいはあるのかもしれないなと、とくにweb小説投稿サイトで通り過ぎていく風景を見るだに思う。

 するとエッセイを更新し続けるのもあるいは武器なのかもしれないか……。

 まぁ、魅力ある人間じゃなければ逆効果だし、その部分についてはまったく自信がないから無意味だろうがな!!(笑)

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