↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちょっときいて  作者: 矢久 勝基


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
134/228

サバイバル ~描く苦悩~

 長編作品を二作品コンテストに送り出した。とりあえず一段落。

 そのため、ちょっと時間が空いたので、つまんないことを書く。

 モノを描くことについてここに書き始めると、特に最近はろくなことが書けないが、それだけ自分の精神も追い込まれているんだろう。

 ただ、乾ききった言葉というのは、自分の人生が乾いている間にしか書けない。これは間違いない。だから表現者にとして餓えるまで追い込まれることは、引き出しの一つなのだろう。

 そして干からびそうだとは言いながら、現実は銃口を突きつけられて描かされているわけでも、寒い公園でゴミ箱をあさりながらモノを描いているわけでもない。

 日本という、どうあっても豊かな国で、悲劇のヒーローを気取りながら、まだ余裕のある喉の渇きに大げさな苦しみを感じつつ、日々水を求めてさまよう自分がいる。


 ともあれ長編作品を二つ送り出した。

 いまだに一度も勝ったこともない矢久の小説だ。登場人物たちはいつも勝ち目の薄い戦いに投入されて、無視されて、やがて忘れられてゆく。

 その人数はどれくらいになるだろう。もしこれが実在する人物なら、俺はどれだけの人間に「死んでこい」と命令したことになるんだろう。

 今回も決して少なくない人数が戦場に飛び込んでいった。結果が分かるのは半年近く後だったりするけれど、彼らが戦場に長く踏みとどまって、少しでも勝利に近づいてくれることを切に願う。


 長編を描くというのは、そりゃぁ苦しい作業だ。

 今まで仕上げた長編作品の数はにわかに数えられないが、それらの作品を思い起こすだに、途中で「やめてしまいたい」と思わなかった作品など一つもない。

 俺にとって小説は旅だ。

 テーマ……例えば『生きる』ってどういうことだろう。人間の言う『正義』ってなんだろう。……そういう、答えの容易に見つけることのできないテーマを、登場人物たちと共になって探すために、物語を描いている。

 俺自身の周囲を取り巻く日常生活ではなかなか悟ることのできない答えを求めるのだから、自分の頭の中に答えなんかない。それを、登場人物たちがそれぞれの世界で踊ってくれることにより、ある一定の答えを見つける旅をする。

 答えが見つかるまで頭を捻り続け、幾度も挫折しかける。


 文章を書く、物語を描くのは好きだが、だからって楽しいわけじゃない。

 ここはよく勘違いされるし、「好きなことを仕事にしてる奴は……」とうらやましがる人間は多い。

 が、ちょっとまて。ここには物申したい。

 俺はまだプロのモノ描きじゃないから文学については言えないが、今行ってる本業も好きが高じて仕事になっている。だから言える。

 『まずは自分が楽しむことが一番』なんていってる奴は、素人だ。

 楽しさを原動力にしている奴なんて素人だと言っている。

 『自分に向いてる』と思えば、そりゃ何でも初めは楽しい。0を1にできることは喜びだし、毎日がさぞ新しく見えることだろう。

 しかし、レベルというのは跳び箱のようなものだ。一段が二段になっても誰もが飛び越せるだろうが、九段が十段になる頃には、一段二段の時と「同じ一段なのに」飛び越すのは非常に困難となる。

 加えて、一を二にするのは二倍だが、九を十にするのは一、一倍でしかないように、レベルが上がっても自分のレベルアップの実感なんてどんどんなくなっていく。

 にもかかわらず、一段二段を飛んでた頃と同じ楽しさを感じる奴がどれだけいるか。……いないとは言わないが、そんなのは上を目指してないのにそこまでこれた天才か、よほどの天職かだ。


 だから"楽しさ"を原動力にしてる奴なんか続かない。それを原動力にしてる奴はつまり「楽しくなくなったら辞める」ということだろう?

 楽しくなくなったら辞める奴に、何が大成できるというのだ。

 何かの技術でプロになるっていうのは、

「それが楽しくなくなってから、その世界でどう立ち回っていくか」

 なんじゃないだろうか。口ではどう言ったって、何かを極めようとしていく人種は皆多かれ少なかれそういう腹づもりがあるんじゃないかと思う。

 もちろん、それに当てはまらない天才というのもいるのだろう。しかし少なくともそれら"当てはまらない"方の例を挙げて一般的とするほど、世界に天才は多くない。また、天才は天才だけに、その分野で長く続くとも限らない。(当たり前に出来すぎて、自分の持ってる能力が尊いものだと気付かない)

 なににしても好きだから楽しいわけではないというのは一つ、真理だ。「好きなことを仕事にしてる奴は……」とうらやましがる奴には、即脱サラでもして、一度好きなことを極めに行ってみろと言いたい。

「楽しくなければ辞めれば?」……ド素人の言うことだ。

 楽しかったことが楽しくなくなってからが、本当の勝負なのだと、俺は思う。


 脱線したが、小説も同じことがいえると思う。

 長編はどうあったって苦しい。ちゃんと物語を完結させる気がなく『日記のように書き進めた結果、長くなっちゃった』ような作品はそれほどでもないが、物語が収束に向かうにつれて、どの物語も厳しくなる。これは、多く物語を描いてきた立場から言わせてもらえば、ごくごく日常の、当たり前のことだ。つらい。楽に描いてると思うな。

 しかし、「だからやめてしまう」のは、何かを目指す人間のすることではないと言い聞かせ、だいたい乗り切る。乗り切れるうちは、まだ自分がこの分野に賭けていいってことなんだろうと思ってる。


 そして未だ勝利のない矢久は、描き終わればまた描き始めなければならない。いや、そこに関しては、勝利をすればなおさらそうなのだろう。その道のりを考えると、未来が明るくなんて見えやしない。

 まぁもともと、別にこの世界に希望なんて持ってない。ただ、「俺が自分の人生で勝負できることは文章だけだ」という事実が存在するだけ。

 さらに何がつらいって、この合間だったりする。

 苦しい思いして長編作品を仕上げた。次を描き始めて、それに手ごたえを感じる段階になれば、またその物語で打ち上げたテーマについて苦悩を覚えるわけだが、それ以前の今。何も描いていない時。

 ……この時が、実は一番苦しい。立ち止まっていることに対する不安が半端ない。


 インプットを勧める人もいる。正しいと思う。

 しかし、どうも俺は馬鹿にできているようで、巷の作品に目を転じてみれば、基本的にはライバル心しか沸かない。素直には楽しめない。

「この程度の作品なら俺の作品の方がいいじゃないか」とか

「うわぁ……この設定はもう使われているのか」とか、

「ちょっとこれ、俺この作品に影響されたと思われるんじゃないか?」とか、

「うわ、すげぇ、かなわねぇ……」とか、

 ……そんな目でしか、他作者の作品が見られない。だいたいの場合、イラつく。

 それは小説に限らず、漫画、映画、ゲーム等、さまざまな創作に言える。

 俺はアンテナが極端に低い方だから、恐らく一般的な方よりもはるかにそれらに触れる機会は少ないと思うのだが、個人的にはインプットする作品が増えるほど、俺個人は描けなくなっていくだろうと、巷でよく言われていることとは逆のことを、よく思っている。

 知っとかなきゃいけないことも多いのだろうが、とりあえずそう思う。(これについては別項でいつか取り上げるかもしれない)


 とにかく他作品が素直に楽しめない。長編作品を描いてる時、描き終えて次の作品に向かうまで……もれなく苦しい。

 俺は……そんな呪縛の中にいる。

 誰に頼まれているわけでもないのに、なんて独り相撲なんだと思う。そんな奴は本来、その世界に向いてないのかもしれない。

 しかし、自分は、まだ自分の可能性を信じている。……そういう呪縛の中にいるわけだ。


 ……そんな呪縛から解放される日っていつなんだろうって思う。

 そして、開放された日に感じるのは、開放感か敗北感か。

 開放感であること、そういう場所に到達している未来だけを願い、今を生きている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。