パクリ
京都アニメーションの事件について話していますが、主題はそこではありませんし、この事件に盗作が関係しているかを掘り下げた内容ではありません。
とても大切なところですので、勘違いなきよう気持ちをフラットにして、読むなら読んで下さい。
京都アニメーションの話を聞いた。
記録のために書いておくと、スタジオを放火され、多くの技術者達が殺された事件だ。
いたたましい限りであり、被害者のご冥福をお祈りする。
事件で語るべきはいろいろあるだろう。しかしそれとは別に、このようなサイトで作家を目指しているなら、犯人が口走った言葉に、何かがしかの感情を抱くのではないだろうか。
「小説を盗んだから放火した」
……真偽のほどは知らないし、小説のネタをパクったからとて放火をしていいものではない。もちろんこのコラムはそんな犯人へのフォローではまったくない。
ちなみに、わたしはアニメというものをよほどのことがないと見ないため、京都アニメーションという老舗がどのような作品を手がけているかすら知らない。こちら被害者に対するフォローでもないことを書き添えておく。
わたしの感性が、この事件を通して思ったことを書き連ねる。
「小説を盗んだ」
この言葉は、アマチュアのどん底作家にとって、どのように耳に響くだろうか。
今回の話ではなく、Ifの話として……、どん底作家が生み出した作品を有名プロダクション会社が盗んで、誰が気付いてくれるだろう。
わたしは個人的に、こういうサイトとというのはアイディアの源泉だと思っている。しかしその中の98%(とか、いい加減な数字だけれども)は世に知られることはない。
このサイトの利用規約も『何らかの紛争が発生した場合(中略)当グループになんら迷惑又は損害を与えないものとします』とあるように、このサイトに羅列されている文字が他の誰かに守られることはない。
実際、『パクるなら、分からないところ(無名作品)からパクれ』とのたまっていた、とあるプロを知っている。プロだからパクらないわけでないのだ。
そんな状態で、無名の作品を有名な媒体が拝借したとしても、誰が気付くだろう。
多くは偶然だろうと思うだろうし、大手がそんなどん底作品を見てるはずがないと思うだろうし、メディア媒体(表現方法)を変えれば、なおさら設定の差など分かりづらくなる。
無名のアマチュア作家が何かを訴えてみても、有名なプロダクションに勝てることはよほどまれなのだろうと思う。それどころか訴えた奴なんて変人扱いされるだけだろう。
それとは逆のことを言うが、作家なんてものは自意識が高いものだと思う。「だから文章なんて書くんでしょ?」っていうのは偏見か?……いや、そうだと思う。
パクッた方はほんの「1」を借りたつもりでも(もしくは「0」であっても)、パクられた方には「10」にも「20」にも見えてしまうのは、矢久だけが特別自意識過剰だというわけではないのではいだろうか。訴訟の判例がいくつか思い浮かぶが、そう思う。
だから、パクられたわけでもないのにパクったという主観に囚われることは、作家というものの性格上、充分にありえることだと思う。
こういう問題は、先入観が非常に厄介だ。
プロ(大手)がパクるわけがないという先入観。俺のネタがパクられたという先入観。実際にパクっている場合もあるのだろうし、パクられた側の思い込みであることも普通にあろう。パクっていた場合も被告側は否認を決め込むだろうから、双方が苦しいばかりの議論となりがちになるだろうことが、クリエイターたちには悩ましい。
そもそもどこからをパクリというかという話も非常に微妙で、いっそのことジャンルでくくれるものなんてみんなパクリじゃね?と思ったりする。
このサイトでも『異世界転生モノ』とか『テンプレ』とかいう言葉が普通に横行してるけど、つまり骨子は同じですよと言っているようなもので、それをどこまでパクリと見るかは本人の主観でしかないんじゃないだろうか。
『異世界転生モノ』『テンプレ』が悪いと言ってるんじゃない。だって、創作を行いたい人なんて、何かの世界に憧れたり、影響を受けて描き始めるのだろうから、そこに似たようなテイストをまったく含めないことは無理だ。
今の創作に完全オリジナルなど存在しない。
だからこそ、どん底作家が自分のオリジナルを守ることの難しさを思う。パクられても誰もパクったなどと思ってくれない可能性も高く、いくら吼えたって吼えるほどに空しいだけだろう。
パクられたという主観が自分の自意識過剰であることも多いだろうし、自分自身も何かを模倣していることに気付かなかったりする。
だけど、パクられていたら腹が立つ。これは自作品にプライドを持つクリエイターなら誰もが思うことだ。
そのような世界で、一体どうやって自分の権利を守ればいいんだろうか。
作品を公開しない?……そんな馬鹿なことがあるか。
冒頭の事件は狂気だけれども、作品を描く者たちにとっては、オーバーなことを言えば、いきなり他作品に対して火をかけたくなる瞬間もあれば、いきなり自作品に火をかけられる瞬間もあるということだろう。
繰り返し、京都アニメーションが実際何かをパクッたかどうかという話ではない。パクったパクってないって話は、それほどに先入観と主観が入り乱れる混沌とした世界だということだ。
だからとて基準などを作られては創作を行う上での弊害にしかならないし、とにかくアイディアに対する権利というのは悩ましい話だなと、事件とは全然関係ないところで、深い感慨(?)に突き落とされたわけだが。
……読めばおそらく、「お前のネタなど誰もパクらねーよ」と思った人が大半だろう。
その先入観こそ、この問題の源流なのだろうと思う。
冒頭の事件の犯人の動機が、彼我のそういう意識の違いであるなら、クリエイターたちにとっては結構他人事じゃないんじゃないかと、自意識過剰の矢久は思ったりしている。




