井の中の蛙
俺は自分のことを井の中の蛙だと思っている。
見識が広い方じゃないし、そもそも気質が蛙気質(?)だ。
大海を知らず、井戸の中で一人、自分という人間を見つめる毎日である。
そのことはコンプレックスでもある。
蛙は、海があることは知っているのだ。外界には果てしない海が広がっていて、その塩辛い世界にはさまざまな生き物がしのぎを削って生き残ろうとしていることは、おぼろげに知ってはいる。
その本質を知ろうとしない俺が、同じ水の中で生きていこうとするなど、本来笑い話にもならないのかもしれない。
しかし興味がない。本当に、大海の事情などどうでもいい。
たまに大嵐などがあって、海の潮水が風に乗って井戸の中にしぶきとなって飛んでくるが、その"しぶき"が伝えてくる、現在評価されている物語のすばらしさに、まったく追随できない。
何?……何がいいの?
『類まれなる構成力で、本当に面白い作品です』
マジか。俺、その作品、半分も読めないけど。
しかし、世間の評価はそこだ。たぶん俺が面白いと思う作品は、世間一般とは乖離しているのだ。
確かにホームグラウンドである井戸の中には塩分からして含まれちゃいない。その水がうまくてしかたない俺は、やはり井の中の蛙なのだろう。
最近気付いてきた。
俺の住んでいるところは海じゃない。潮水のよさを研究しない俺は確かに井の中の蛙かもしれないが、どちらにしてもこの井戸に潮水を混ぜるつもりはないのだ。
だって、潮水のうまさなど知らなくても、井戸水はうまいのだから。
井の中の蛙、大海を知らず
されど、空の蒼の深さを知る
俺は海を知らない。潮水のうまさを知らない。むしろまずいくらいにしか思っていない。
しかし、井戸の中から見上げる空がどれほど無垢に蒼いかは知っている。
俺は井の中の蛙かもしれないけれど、この井戸は本当に美しい。大海から俺を見る方々は「なんと小さな世界で喜んでいるか」と嘲笑うかもしれない。大きな海から井戸を覗き見て、見当違いな批評に酔いしれる方々もいるかもしれない。
しかし俺にしてみれば、この小さな世界の美しさがかけがえないのだ。
そこまで一般と意識が乖離しているのなら、これはもはや仕方がないんじゃないか。
井の中の蛙は、この井戸のよさを伝える蛙であればいいんじゃないか。
それがどこの海にもない、最高の井戸であればいいんじゃないか。
それはつまり、自分自身が自分のブランドを作っていくしかないんじゃないか。
……などと、蛙は、深く蒼い空を眺めながら、今日も井の中を生きている。
大海に溺れる者 井戸の深遠を知らず




