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テツが穴を掘りはじめて二十分が経った。
ユリは機会を窺うのだが、横に村井が張りついているので、テツに知らせようにも行動に移せない。また話しても、すぐ信じるテツではないだろう。単純なわりには頭が硬い。
「そろそろ奉仕をしてもらおうか。テツ君のペースが落ちているみたいだ」
村井が押し殺した声で言った。
ペースが落ちているわけじゃない。もう十分な穴を掘ったから手を休めているのだ。なら、いよいよ計略を実行しようというのか。
「下へ降りたほうがいいの」
「どちらでもかまわないが、できるのであればテツ君に負担をかけたくない。いい考えだ」
「分かった」
村井がしてやったりとほくそ笑むのを見て、ユリは、ここぞとばかり距離を置き、まず逃走に邪魔なハイヒールを脱いだ。時間をかけて、降りやすい場所を探す振りをした。穴へ降りてしまえば目論見は霧散する。そのためタイミングが掴めないうちはとにかく時間稼ぎをするしかない。
一か八かの賭けだが、焦れて近づいてくる村井を逆に突き落とすつもりでいる。
落として、テツに村井の本心を知らせてから車で逃げる。鍵が差してあるのは確認済みだし、ロックしてしまえば完全な密室。迂闊に手を出せない。気がかりなのは、ノブの死体を埋めるために開け放した後部ドアだけだが、そのぐらい閉める時間はあるだろう。
「早くするんだ」
案の定、焦れた村井が不用意に近づいてきた。ユリがぐずぐずしていればテツが穴から上がってくる。上がってしまえば、スコップとアイスピックだけではテツに勝てる自信がないからなのだろう。その時点で村井の計画は水泡に帰す。
「もしや、何か企んでいるのか」
村井が声を荒くした。
「企んでいるのは、あなたのほうだわ」
感づかれたと思った。ならばここが生死の分かれ目。ユリは振り向きざま村井を押した。穴へ突き落とした。
「テツ! この男は、この場所に、あなたを埋めようとしている!」
叫んだ。しかしテツは鈍い。きょとんとしている。
「何を言ってんだ、ユリ」
「真に受けるな! 仲間割れをさせて逃げるつもりだ。追うんだ、テツ君」
間髪入れず、村井がテツの迷いを振り払った。受けて、テツがユリを睨みつける。
無理だ、頭が弱すぎる。
ユリは仲間割れをあきらめる。車へ走った。後部ドアを閉めると、素早くロックしてエンジンをかけた。本道へ出た。
が、追ってくるはずのテツの姿が見えない。その代わりに、ぎゃ! という悲鳴が耳にとどいた。
ユリはバックミラーを見た。かすかに懐中電灯の明かりが見える。揺れながら、もの凄い速さで追いかけてくる。
おそらく村井だ。
追うんだ、と煽って、不用意に背中を見せたテツの首をアイスピックで貫いたに違いない。だから耳にとどいた悲鳴はテツの断末魔の叫び。人一倍頑丈なテツに一ヶ所では不安だから、滅多刺したのだ。
鬼だ。ユリは寒気を覚え、アクセルを強く噴かす。
エンジンばかりか心臓が過熱して爆発しそうになっている。
雪の残る山道を、人が運転するのと自分で運転するのではぜんぜん違った。まして真っ暗闇の下り坂、アクセルを踏みすぎたら急カーブを曲がりきれずに崖下へ転落してしまう。そうでなくとも悪路で滑りやすいのだ。地獄に向かって一直線に降りていく気にさせられる。
ハンドルを握りしめるユリの手は、極度の緊張で半分以上麻痺していた。速度は三十キロていどしか出ていないのだろう。どうにか、全速力で走る人より速いだけだ。
あれから五分、辛くも村井の追跡を振りきったみたいだが、まだ安心できない。村井の秘密のすべてを知ってしまったのだ。生きている限り、このままで済むはずがない。どこへ逃げようとも追跡してくるに決まっている。
もう生きていても意味がないのだから、いいじゃないか。そう思う気持ちはある。けれど怯えて生きるのは嫌だ。今まで何一つ自分で選べないまま運命に翻弄されてきた。なら、せめて死に場所ぐらい自分の意思で選びとりたい。ここで死ぬのは村井の本懐であってユリの願いではないのだから。
村井はこの場所へ何度も下見にきている。ユリと違って、ここらの地理には詳しい。もしかして姿が見えないのは回り込むために迂回をしている可能性だって否定できない。
そう考えただけで凍りつくような強迫観念に駆られた。冗談じゃない。しかしその強迫観念が、知らず車を加速させる。
つづら折りの下り坂。しまった! と我に返ったときは遅かった。スピードを出しすぎていた。
左カーブを辛うじて曲がり、谷底転落の危機を避けたものの、次の右カーブで車を思いきり山側にぶつけてしまったのだ。
激しい音がした。
土かと思っていたが岩肌だった。衝撃でハンドルをとられた。立て直そうにも車が勝手に横滑りしていく。慌ててブレーキを踏んだ。しかし車は半回転して後方から反対の谷底へ向かっていく。
落ちる! 地獄が一気に現実味を帯びてくる。
嫌だ。必死にハンドルをコントロールした。が、後輪の左側が脱輪した。
アクセルを踏んだ。だが空回りするタイヤ音しか聞こえない。
死んでしまうかもしれない。
したたか頭も打っているし、意識もかすむ。そうだとしたら近づくのは死。それも薄気味悪い夜の国。むりやり花畑を想像したが、見えるのは真っ暗な闇ばかりだ。
地獄? 愕然として見渡すと、車に当たって削りとられたような、ごつごつとした岩が散乱していた。
現実だ。
ユリは車が四輪駆動であることを確認すると、もう一度アクセルを踏み込んだ。後輪の一つが浮いただけ、助かる可能性はある。優しく踏み込んでみた。すると少しだが前へ車が動いた。
よし、これで脱出できる。
そう思った矢先、前方から、山の斜面を滑るようにして降りてくる村井の姿が見えた。にたっと笑いながら走ってくる。
「可哀そうに、脱輪したのかね。どんなに足掻こうが、お前は最初からこうなる運命なのだ」
村井がボンネットに手をかける。「単細胞君も死んだ。後追いをさせてあげよう」
ユリは返事をしない。村井を睨みつける。
「なかなか可愛い表情だ。だが、そこまでだ」村井の目の赤さに狂気が帯びる。「落ちてしまえ! シンシアが地獄で待っているぞ」
ぐいぐい車を押してきた。
「あなたは、涼子も殺したの……」
だとしたら人間じゃない、鬼畜だ。絶対に許せない! 怒りとともに、残存していた良心が消失した。胸に巣喰う悪魔が全身を支配した。殺してやる!
「地獄へ行くのは私じゃない、あなただ!」
ユリは、アクセルペダルを限界まで踏み込んだ。




