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「明日、迎えにくるからね」

 ユリは未練を残しながら純二の部屋を出た。

「私の用は済んだ。あとは自力で解決させるのだ」

 昨夜、ほどなく老人が姿を消した。それからしばらくして、ユリと純二は自然な形で抱き合った。

 顔を合わせたのは二回目、まともに話をしたのだって初めてだ。それがとつぜんの抱擁から長いキス。そのうえたがいが全裸となっての熱い交わり。常識的に考えれば下劣な情欲。ふしだらこのうえない行為だ。

 でもユリの心は四百年の思いを併せて濡れていた。

 だから、人からどんなに軽い女だと思われてもかまわなかった。身体を突き上げられるたび、自ら身代わりとなって命を救ってもらった恩と、こうして再び巡り合った喜びが快感と入り混じり、果てしなく陶酔した。

 そんな幻想的な悦楽の嵐がすぎ、ふっと現実に戻されたとき、ユリは純二の胸の中に心地よく顔を埋めていた。頭を持ち上げて顔を覗き込むと、なぜか見つめ返す彼の瞳がしっとり光っていた。

「俺は、自首しようと思っている」

 行為の余韻が残るユリの肩を、引きよせて純二が言った。

「それって、すぐなの?」

 聞きたくない言葉。せっかく掴みとった幸せが、儚く逃げていってしまうと思った。「命を懸けて、人を救ったのに……」

「救わなかったら、こうして君と結ばれることなんてできなかった」

「だけど殺人の共犯だよ。長いこと刑務所に入らなくてはいけないんだよ」

「分かっている。けど殺された人のことを考えれば、自首しないわけにはいかない」

 やっと見つけた魂の伴侶との触れ合い、もう片時も離れていたくない。本心を明かせば自首なんてさせたくない。

 でも、罪は社会のルールに則って償なわなければならないのだ。いくら別の場所で、どれだけ人の命を救おうが、その罪が消えることはない。

「だったら一緒に行く。私、ずっと待っているから」

 たとえ判決が厳しくて死刑になろうとも、執行されるまで、毎日手紙を書いて毎日面会に行く。できることなら執行猶予をもらいたいけど、甘い考えは抱かないことに決めた。

「抱いて、もう一度」

 たまらなくユリは、下腹部を純二の股間に押しつけた。これで終わりになるとは思っていないが、求めずにはいられなかった。束の間でもいいから幸せを噛み締めていたかった。

 ユリは後ろ髪を引かれる思いで、階段を下りる。走って道路に出た。身体は満ち足りているのに、降りそぼる氷雨のよう、なぜか心が重かった。

 

       

 アパートの前まで来たら、街路灯の下、椎の木の所に男が立っていた。傘もささずにこちらを凝視している。義父の村井だ。ユリを見つけると力なく名前を呼んだ。

「……ユリちゃん」

 村井には小学校のとき、三度も弄ばれた。エリート然としていても本性は少女に淫行をくり返す変態だ。羊の皮を被った臆病な山羊。その顔を見たとたん、屈辱がまざまざと甦ってきた。

 だけど雰囲気が、その頃と同じ容貌で同じ口調でありながら、まったく違う印象を醸し出している。氷雨の中、傘もさしていないからだろうか。

「何しにきたの? もう、二度と顔を出さない約束でしょ」

 一抹の不安もあってか、ユリは声を荒立てた。

「じつは、お母さんの具合が悪くて金が必要なんだ」

「えっ、病気なの」

 母とも四年会っていない。ベッドに横たわる母の姿が浮かんでくる。

「肝臓癌なんだ」

「癌……?」

 村井のことで喧嘩別れをしたといっても、たった一人の身内。ショックを隠せなかった。「じゃ、入院してるの」

「ああ、三日前にね。お母さんが、一目ユリちゃんに会いたいというもんだから。入院費用も足りないし、何とかならないかなと思ってさ。今日が支払日なんだ」

 村井は、殊更にしおらしく言う。

「それで、お金はいくら足りないの」

「放射線治療が高くて、とりあえず五十万ぐらい――」

「とりあえずって?」

「あとは何とかするつもりでいる」

 さして貧しくもない二人が、そのていどの入院費を用意できないのを不思議に思ったが、もしかしたら母は入退院をくり返し、生活費にも困窮していたのかもしれないと考えたりもした。

「今、手持ちの現金は十万円しかないの。残りは、あとで私が直接病院へ持っていくけど」

 明日は純二と警察署へ行く。できたら見舞いも今日中に済ませておきたかった。しかし村井は、神妙な顔つきをする。

「できたら、すぐにでも持っていきたいんだけどね。じつは入院保証金も、まだ払ってないんだ」

「……そうなの。じゃ、お金を下しに行かなくてはだめだね」

 共用の庭先で立ち話もない。ユリはそそくさと部屋へ入った。義父もユリの後から続いて入ろうとした。

「そこにいて、それ以上入ってこないで!」

 言いすてるとドアを閉め、村井を通路に待たせた。もう男の人は純二以外、誰一人として入れるつもりはなかった。

 まずは雨で濡れたブレザーを脱いで、暖房のスイッチを入れた。とうぜんながら義父の動向に気を配ることを忘れない。弱い山羊でも隙を見せれば、いつまた狼に豹変するかもしれないのだ。

 ドレッサーに自身の姿を映し出すと、白いタートルネックが黒く汚れていた。ノブに掴まれたときの跡だろう。ATMもだけど、こんな格好で見舞いに行ったら心配させるだけだ。

 それと昨夜は外泊。せめてシャワーぐらい浴びたかったが外に村井がいる。あきらめ、できるだけ地味なセーターとジーンズをクローゼットから取り出した。ドアを窺いながら脱衣所に向かった。

 

       

 ノブトテツがくるのを待つつもりだった。だがユリの姿態を見たら、むくむくと欲望がもたげ自制が効かなくなってしまった。もう殺す順番などかまわない。どのみち二人が今夜くるかどうかわからないのだ。

 村井は聴覚を研ぎ澄ませ、室内に神経を集中させた。足音が奥に遠ざかるか、浴室のドアを開ける音が聞こえれば、即、押し入る算段だ。

 コンビニで金を下ろすにしろ、見舞いに行くにしろ、濡れたままの服で行くわけにはいかない。必ず着替える。同じ雨の中、椎の木の下にいただけで下着までぐっしょり濡れた。それを、ユリは傘をささずに走ってきたのだ。とうぜんそれ以上に濡れているはず。

 男ならズボンと上着だけを取りかえる手もあるが、女はそうはいかない。濡れた髪をドライヤーで乾かさないといけないし、化粧だってし直さなくては母親に顔を合わせられないだろう。それらを端折って、上着とスカートを履きかえるだけでも、最低二分は必要だ。

 別に着替えを待たずに、いきなり押し込んでもかまわなかったが、そうすると相手が警戒しているから騒がれる。ここは人里離れた山奥の一軒家ではなく、人口が密集する住宅街なのだ。不意を突くのにも、相手が無防備にならなければ成功の確立は少ないだろう。

 だいいちこれはゲームじゃない。人間としての尊厳を賭けた闘いなのだ。

 あのとき奴らは、正義の御旗を振りかざして少女を助けたつもりだろうが、代わりに、生きる権利のあった私の命は軽視された。何をとち狂ったか、自分が神であるがごとく死を宣告したのだ。

 ふざけるな! 少女だろうが老人だろうが、人の命に重さの違いがあってたまるか。それが正義だとしたら悪魔の論理。大いに勘違いだ。だったら割り込みをした金持ちたちを、なぜ引きずり出して救命ボートから降ろそうとしなかった。なぜ、私だけを淘汰した。

 見てろ、今に思い知らせてやる。このアイスピックで地獄を見せてやる。だが、簡単には殺さない。じわじわと一人ずつ順番に地獄を見せ続け、根こそぎ心を壊す。

 万が一の場合も考え、猿ぐつわを噛ませる必要を感じた。ここで捕まってしまえばすべてが水の泡となる。少なからず脛に傷を持つ身、女子大生と涼子の関連性も疑われるかもしれない。

 村井は胸に隠すアイスピックに触れながら、涼子を殺すに到った記憶を頭に浮かばせた。

 ユリと涼子が成長するにしたがい、村井の性嗜好も変化していった。もはや少女には関心がなくなり、もっぱら若く瑞々しい女体へ興味が移行した。

 それもこれも、すべて根底にあるのが復讐心からだと悟った。犯すときも、殺すときも、必ずユリか涼子に姿をだぶらせていたからだ。

 最近殺した女子大生に限って、その必要性がなかった。ショートヘアーの髪形から目鼻立ちまで、まるで涼子に瓜二つといっていいほど似ていたのだ。だから成長した涼子を陵辱するつもりでホテルに誘った。かなり見た目が清楚なので断られると思ったが、三万円であっさり承諾した。

 しかし清楚な顔とは裏腹に熟成、女のほうから腰を振られたときにはさすがに興醒めした。わけも分からず殺意が湧いた。こんな女と抱き合っている自分が憐れに思えた。

 殺されても然るべき女だった。

 だからといって、安直に都会で人を殺すと発覚する。ましてラブホテル、どこで違法なカメラに映されているかもしれない。今後は衝動を慎むべきだと戒めた。

 衝動といえば抑えきれないものもある。涼子がそうだった。

 家とは場違いな私鉄のホームに立っていた。それも朝帰りとしか思えない時間にだ。見た瞬間、どす黒い嫉妬が頭をもたげた。

 この女が生きられたのは、村井が淘汰されたからだ。まして今朝の新聞に英雄きどりで記事を書いたのを知っていた。許せなかった。身体を征服するだけでは復讐にならないことを再認識した。残りの奴らを誘きよせる餌として拉致しようとしたが、なぜなのか私の正体を見破っていた。恨みも目的もだ。だから衝動的に線路に突き落とした。

 それにしても、ユリに何があったか知らないが、白いタートルネックが争ったかに汚れていた。ブレザーのボタンも弾け飛んでいた。おそらくノブの仕業なのだろう。

 ふ、ノブに怯え続けていろ。奴らより残酷な目に遭わせてやる。

 まさぐるアイスピックに力をこめ、ユリの媚態を淫らに思い描いた。征服は時間の問題、じき既成の事実となる。

 鍵をかけた形跡がなかったから、簡単に扉を開けられる。そうしたら犯して殺してやる。いや、取澄ました女が哀願する過程も見てみたい。ならすぐ殺さず、性の奴隷として飼い慣らしてもいいか。村井は低い声を洩らして笑った。

 扉の閉まる音がした。化繊のこすれる音も聞こえた。

 ハイネックを脱いだな――。

 ならば、今がチャンス。ここを逃したら、これに優る絶好機は二度と訪れそうもない。舌なめずりをして、村井はドアノブに手をかけた。

 そのとき、泥水をはね飛ばしながら黒塗りのワンボックスカーが侵入してきた。道路端に車を停めると、忙しくノブとテツが出てきた。

 ちんぴらめ。

 こともあろうか痕跡を残すとは、大胆というより軽薄、慎重とは程遠い間抜けだ。犯罪とは静かに、かつ秘密裏に行なうものだ。

 これで、ここにジョルジュたちを誘きよせることはできなくなった。なら場所を変えるしかあるまい。その代わり、ここを、お前らの地獄の入口にしてやる。

 村井は、そっとドアノブを回して室内に潜り込んだ。ユリに気づかれぬよう忍び込み、ベッドの隅に隠れた。息を殺し、胸ポケットからアイスピックを取り出す。

 まずはノブ、きさまから血祭りに上げてやる。


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