6
6
朝刊の最終面に、写真入りで涼子の記事が踊っていた。
『未明の奇跡。謎の青年、少女を救う!』
燃え盛る炎の中、少女を救出したニュースは世間を驚かせた。
興奮して新聞を読み終えた後藤は、すぐにテレビをつけた。すべての番組で昨夜の模様が映し出されていた。ちょうど女性アナウンサーが、涼子の撮った写真を見ながら話をしているところだった。
「このヒーローの顔が、くすんではっきり見えないのが残念ですけど、確かに毛布の中に少女の姿が確認できますよね。ということは『やらせ』というものではないと思うんですが、でも、あの炎の中に取り残されていた少女が、まったく負傷していないというのはなぜなんでしょう。普通なら大火傷を負っているのでは?」
「あのね、吉田さん。これは消防隊員に電話して聞いた話なんですが『やらせ』とか、そういう次元の話じゃないみたいですよ」
コメンティータは自信をもって答えた。
「え、どういうことですか。そのような疑いもあったのですか」
「それはそうでしょう。僕も火傷に関しては大いに疑問を感じた一人なんですから。けど調べたら、すごい純粋な行為というのが分かったんです。消火活動をしていた隊員が、いきなり頭から水を被り、火の中へ入る青年を目撃していたらしいんですよ」
「では、建物の中に間違いなく青年が入っていったんですね」
まだ信じてはいないのか、やたらと女性アナウンサーが念を押す。
「そうなんですよ」
「だとしたら、すごい勇気と正義感の持ち主ですね、その青年は」
「ところがね、勇気と正義感だけでは、あの火の中には怖くて絶対に入れないって、隊員たちは口を揃えて言ってるんですよ」
(ほらほら。完全防備の消防隊員が入れないのに、何でこんな普通の若者が、あの猛火の中に入っていけんのよ。それに少女の火傷をどう説明するつもりなの)
後藤には、女性アナウンサーがそう言っているようにも思えた。基本的に不思議なことは信じない性分なのだろう。
「ちょっと待ってください、その青年は入っていったんですよね、だったら勇気と正義感、それ以外に何が必要なんでしょう。少女の火傷のことも具体的に説明してくれませんか」
「じつはね、やはり朝毎新聞の記事に書いてある通り、どうも霊の存在がそこにあるらしい」
「うーん。やはりそうきましたか。私はオカルトの類は信じるほうではないんですが、ま、一応当事者に取材をしていますので、観ましょうかね」
「そうだね。僕はチェックして驚かされたんだけど、吉田さん見ていないでしょ。きっとびっくりするよ」
まず画面に、涼子の撮った火災の模様が大写しにされた。母親は泣きくずれ、娘を助けてくれた青年に心から感謝している。
しかし消火後の、少女の談話は明快で凄かった。
「あのとき、もうだめだと思っていたの。足元にも天井にも火が襲ってきて、逃げる場所もなかったし、息も苦しかったから。私はもう焼け死んでしまうんだ。と、あきらめかけたら、炎の中にやわらかい光が見えたの。その光の中に老人がいて『あきらめるんじゃないぞ、じきに青年が助けにくる』って声をかけてくれたの。そしたらほんとうに、あのお兄ちゃんが助けに来てくれたのよ。あのお爺ちゃんと、お兄ちゃん、きっと天使だよ。だって私の頭に、こうやって手を置いたら、そしたらね、身体中火傷だらけだったんだけど、きれいに全部治ったんだから。ほら、髪の毛だって焼け縮れていたのにきれいでしょ」
少女は母親とは違って、冷静に、一語一語噛みしめるように話した。その目からは、唯一奇跡を体験した者が感じる純粋さが滲み出ていた。
消火にあたっていた消防士も絶賛した。
「ほんとうに驚きました。自分が炎の中へ入って救助にいくはずだったんですが、正直いって怖かったし、自信がなかったんです。だから彼の勇気には敬服しますよ」
さらに隊長も続ける。
「うちの隊員を、裏から救出に向かわせましたが、無理ならすぐにやめさせるつもりでした。え、少女の命ですか。うーん、かなり厳しい状況であったことは間違いありません。でも彼に勇気をもらい、隊員たちの士気が上がったことは確かです」
隊長も隊員も目を輝かせ、勇気ある青年を称賛していた。
「どうだい吉田さん」
したり顔のコメンティータがたずねた。
「いやー、これは何というんでしょうかね。この話が事実だとしたら、決して唯の美談ではないですね」
「あのね、吉田さん。これは、ここの放送局の取材映像なんですよ。嘘であるわけないでしょ。もっとも朝毎新聞のスクープが先ですけどね」
「失礼しました。ごもっともです」
女性アナウンサーが慌てて頭を下げる。「ということは、炎の中に老人がいて――あっと失礼しました。天使になのでしたっけ。その老天使が『すぐに青年が助けにくるから頑張れ!』って、言ったわけですね」
「うんうん、そうなんですよ。凄いでしょ。だから私の耳に、その霊の声が聞こえてくるような気がするんですよ」
するとコメンティータは、何かをイメージするかに目を瞑りはじめた。カメラはそのコメンティータを追い、アップで表情を映し出す。その横には、やはりアップで、依然として信じていなさそうな女性アナウンサーが、うんざりとした顔で薄ら笑いを浮かべていた。
それにしても、この女性アナウンサーは人に影響を及ぼす立場だというのを忘れている。何より公共の場で薄ら笑いを浮かべるのは差別、アナウンサー失格だと思った。
後藤はテレビを消した。腹が立ったこともあるが、まずは功を労ってあげようと涼子へ電話した。話したいことも聞きたいことも山ほどあった。
が、出なかった。
疲れているのかもしれない。記者は写真を撮ったからといってそれで完了するわけではない。記事を書き上げなくてはいけないのだ。だからその足で社に戻り、締切り寸前まで仕事をしていたはずだ。おそらく寝たのは明け方になってからだろう。
電話に出ないので、一瞬頭の中に不安をよぎらせたが、打ち消した。今頃は夢の中だ。たぶん。
さて置き、少女の話によって老人が完全に霊であることが証明された。そうなら今後、謎の紳士の霊と同一視すればいい。姿と口調こそ違え、言っていることは同じ。無理に十四人に当て嵌めようとしないで指導霊だと思えばいいのだ。
なら後藤が見続けた夢を解明しなくてはならないだろう。そう考えてみると夢で滑落した場所が、ユリの父の遭難した北アルプスと合致しなくもない。
疑問に思えるのは一点。なぜ夢の少女は絶望と憎悪を感じたのか。もちろんユリを夢の少女と限定しての話だが、ユリは父と圭の本心を知り、今、このうえなく心を温められているはず。まして魂の伴侶というべき純二とめぐり逢ったのだ。希望に満ちても、絶望など感じるわけがない。
としたら、まさかあれだけ痛手を蒙らせたのに、ノブとテツが性懲りもなくユリに襲いかかるというのか。
仮にそうだとしても、どうして雪山で自殺などしなくてはならない。意に反する輩に身体を蹂躙されるのだから気持ちは分かるが、それだけの理由でユリが自殺を企てるとは思えなかった。きっと別の、大きな理由があるはずだ。
ユリに聞くのは抵抗あるが、ノブとテツなら問い質せる。どうせ見かけはジャンキーなのだ。むしろお似合いかもしれない。思いつつ、涼子へ再度電話した。
また出なかった。
ものぐさな女性ではない。では、何があったのか。思考をそこへ飛ばしていると、数秒後に着信音が鳴った。
涼子の返信だろう。そう思って携帯を開くと今井からだった。なぜ? 嫌な予感がする。
――後藤か、涼子くんが、死んだぞ。
片隅で予測していたとはいえ、常識を疑うものだった。「朝から冗談はよせ」
――信じようが信じまいが、君の勝手だ。なら、なぜ君の携帯番号を僕が知っているんだ。このことを意の一番で知らせたくて、居酒屋の店長から聞き出したんだ」
「では……?」
――事実だ。線路から突き落とされて即死だった。
そんな……心が冷える。どう処理していいか分からないぐらい冷たくなった。
この一連の再現は、後藤が考えるほど単純な問題ではないのか。しかし涼子を、前世でも辛い思いをさせ今また苦悩させたまま死に追いやった。後藤の責任は計り知れないぐらい重い。引き換えに、いったい何を失ったのだろう。
雪がやんで、心と同じ、冷たい雨に変わっていた。
そぼ降る雨の中、商業地の狭い駐車場から黒塗りのワンボックスカーが出てきた。ユリに毒牙を向けるノブとテツである。さすがに突き刺さったナイフは抜かれているが、欲望に対しての執着は抜かれていない。
「天使って、まさか偽捜査官のことか? じゃ俺、天使を尾けまわして殺そうとしたのかよ。冗談じゃねえぞ」
テツがテレビを見て唸った。図体に反して、意外や蚤の心臓を露呈させたばかりだったから、かなり実感がこもっている。
「びびってんじゃねえよ。あんな奴が天使のわけねえだろう。有り得ねえって」
ノブが、あからさまに否定する。
「だけど圭の野郎が生きていたし、宙に浮いていたナイフをどう説明すんだよ」
「致命傷にはならなかったのさ。芝居だよ、俺ら二人とも圭の演技にまんまと騙されたんだ。宙に浮いてたナイフだって、酒を飲んでいたし幻覚に決まってる」
思い出して腹を立てたのか、ノブは窓を開けると道路へ唾を吐いた。「それよりもユリだ。あいつだけは絶対にモノにする」
「汚ねえよ。ユリは俺で、金はお前だろ。ずっとそう言ってたじゃないか」
「あんだけのいい女だ。お前だけじゃ割が合わねえ。だからユリも二人で共有だ。その代わり、金をやる。いい金づるがいるんだ」
「知ってるさ。変な男と、圭を殺す約束を交わしたろ。でも生きている。どうするつもりだ」
「ほっとけ、金を頂いたってことは完了済みだ」
「大丈夫なのかよ。薄気味悪そうな男だったぞ」
「関係ない。やることはやったんだ」
「ならいいけど、ところで、その気味の悪い奴からいくら貰ったんだ」
「三百万」
と短く答え、ノブは続けた。「欲しがるのは分かるけど、どのみち俺が契約しようがしまいがお前は圭を殺すつもりだったんだし、俺の契約とは別問題だ。けど三十万だけやる」
「何だ、一割かよ。事務所のクスリをくすねて売り捌いていたんだし、もっとくれてもいいんじゃないか。危ない橋を渡るのはいつも俺の役目なんだからさ」
「やくざってのは、頭が切れなきゃのし上がれないんだよ。だいたい、この車の修理代にどれだけかかると思ってんだ」
ノブは細工を施した肘かけの中から、三十万円を取り出すとテツに渡した。
「そんなところに金を隠していたのか」
「ああ、銀行は信用できないからな。それよりも、今夜ユリのアパートに行くぞ」
懲りるどころか欲望を剥き出しにしたノブが、狼のように目をぎらぎらさせて言った。




