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「君はラテン気質が甦ったのか、慎重なようで、どこか一本ネジが抜けている」
老人が純二へ、不満そうに言った。「いくら火傷で辛いとはいえ、素人の尾行ぐらいは捲かなければ、この先同じようなことがまた起きる。私に、映画の余韻に浸る時間も与えてくれなかったのだぞ」
「すみません」
と平謝る純二の顔から、痛々しい火傷が消えていた。この老人の所業なのか。
小雪の中、いまだに浮かび続けているナイフといい尋常ではない。その思いを、後藤の前に現われた謎の紳士の霊と重ね合わせていたら、老人が純二に問いかけた。
「それはそうと、手錠は失くしていないかな」
「ええ、部屋の中にあります」
「どうする。二人揃って刃渡り六センチ以上のナイフを携帯していたので、銃刀法二十二条を適用できるが、身柄を拘束して警察に引き渡そうか。これで車を調べて、注射器やら覚醒剤でも出てくれば、ここらもとうぶん静かになると思うのだが」
前後して老人は、テツとノブを見た。ゆっくり片方の手を下ろした。すると腰砕けになったまま動けずにいたテツが、呪縛を解かれたかにもがき出す。ナイフはまだ宙に浮いている。もう一方の手を下ろしていないせいなのだろう。
「引き渡すだと? 冗談じゃねえ。おい、テツしっかりするんだ」
まだ完全に呼吸の整っていないノブが、狼狽を見せた。大きなテツを、まるで荷物でも引きずるようにして、なりふりかまわず逃げ出した。
「待ちたまえ。ナイフを置いていくつもりか」
老人が、もう一方の掌を振りまわす。と浮かんでいたナイフが風切り音を響かせ、車のボディに突き刺さった。
「使い方を間違えると、こうなる。道具は正しく使いなさい」
その脅かしとも、警告ともとれる行為に驚愕したのだろう。ノブは、エンジンを噴かすとナイフを抜こうともせずに車で走り去った。
「圭、生きていたのね……」
雪を払おうともせずユリが言った。「あなたの親友から、殺されたと聞かされたのだけど」
「的外れではないが、答えるには複雑すぎる」
この時点で、純二にもユリにも理由を明かしたくなかった。まずは、謎めいた老人に疑問を質すことのほうが先決だ。後藤はユリに背を向け階段を上る。
と「待ちなさい」老人が制した。
二、三段上った所でとめられた。逆に老人が下りてくる。間近で見ると、顔に刻まれた皺といい、後藤が感じていた霊とは違ってほとんど人間だ。しかも枯れてこそ知る威厳が感じられる。その迫力に、元の位置まで後ずさりさせられた。
「私に聞きたいことがあるようだが、ユリくんの問いに答えるほうが先決ではないのかね」
「それは、あなたの言葉を確かめてから答えます」
気後れを気どられたくない。
「ほう、それはどうしてかな」
老人が見透かしたように口元を緩めた。「君は情報を集めないと動けないタイプ。それでは集めた情報に翻弄されて、動くタイミングを逸してしまうぞ。純二くんみたいに、女々しいくせに直情型でもだめだが、もう少し自分を抑え、相手の気持ちを汲んでやるべきじゃないかな」
「純二が直情型? 慎重型のはずだ」
「違うな。純二くんはデリケートだが意気に感ずる男。君はリーダーシップがありながら、至って傲慢だよ。だから後悔する」
「傲慢って、どっちのことだ。僕か、圭か」
確かにそんな一面があるのも事実だが、それは圭のことではないのか。圭は族の頭だったし肯ける。
それにしても成り代わってから、自分の意志とは裏腹に言葉が横柄になっている。二重人格とは違うが、あきらかに別人。圭が言わしめているとしか考えられなかった。それを見抜いた老人は、とうぜんながら洞察力のあるの切れ者だ。
だが初対面でもあるし、心外だった。
「性格判断なら遠からず当たっているかもしれないが、それは偽占い師のあらかじめ用意してある答と同じで、誰にでも当てはまる気がする」
「そうかな、私は、当てずっぽうに性格判断をしたわけじゃない。過去に起因するできごとを言ったまでだ」
「過去? では知っているのか。あなたは誰なのだ。もしや同じ船に乗っていた、と言い出したりしないだろうな」
「乗っていたとすれば、どうする」
そうだとしたら、十四人のうちの一人だ。
だが、と後藤は思う。
すでに五人の無頼漢がはっきりし、さらにユリの父、吉井と、正体が依然不明の涼子を足せば八人が確定している。そのほかにも後藤と純二、圭もユリも、貴婦人だっているのだ。
残るはあと一人だが、涼子が断言した。最後の一人は涼子に悪戯をした加害者だと。ばかりか悪人だと言いきった。そうであれば、この老人は十四人の中に含まれないことになる。
「乗ってない。部外者だ」
後藤は、つっけんどんに言い返した。
その返答に老人が肩をすくめる。それを見て、純二が階段を下りてきた。
「佐藤圭、君は自分が誰かも分からないのに、よく部外者呼ばわりできるな」
ユリも続く。
「この人は私たちの命を救ってくれた恩人よ。それを、ひどいわ」と、睨みつけ「圭、あなたは分かっているようで、何も分かっていない。お金のことだってそうだよ。私、お金なんかほしくなかった、あなたの気持ちだけがほしかったのに……」
瞳から見るまに涙をこぼした。
四面楚歌とはこのことなのだろう。好感を持たれていないのが分かる。ちょっと依怙地になっただけで疎外感が生じた。いや依怙地ではなくて、老人が言うような傲慢なのかもしれない。だからといって自分を偽りたくない。圭の思いも大切にしたい。後藤が口に出したことは全部根拠のあることなのだ。
純二が事故を起こした現場で、後藤は謎の霊から言われた。目的を持って生まれてきたのは十四人だと。のみならず、謎の霊自身も船の中にいたと教えてくれた。憶測だが船の中での正体も、ほぼ確信持てる。救命艇を統率していた医師だろう。
しかし人間として生まれてこなかった。霊なのだ。
だとすれば、この老人は当事者ではない。部外者で間違いない。
「佐藤圭、君は大いに勘違いしている」
純二が歩幅を詰めてきた。ユリを指さした。「この人に接触すれば記憶が甦るらしい。そして俺は、その通りに甦った」
「なら聞かせてもらおう。僕の何が勘違いしているのか、君の記憶がどこまで甦ったのかを」
後藤も言い返した。「ユリがジュリアで、君がジョルジュというのはすでに知っている。そのこと以外を聞かせろ」
「いいだろう。君が知らないのは、君の恋人の涼子くんと、ヨシュアとゴードンのことだな」
純二が口調を強める。でも後藤に向ける眼差しがどことなく哀しげだった。
何だ? 何をそんなに哀しくさせる。まるで憐れみを受けている感じじゃないか。そんな目を向けないでくれ。たまらなく歯噛みした。
「じゃ、まず涼子くんだけど、彼女はヨシュアが助けた少女だ。そしてゴードンは……」
「待ちなさい。君が言ってはいけない」
純二が核心を突こうとしたとき、老人が封じた。
「どうしてとめる。なぜ話させないのだ!」
「知ったところで、圭くんと君では、共有するものに相容れない事実があるからだ」
たぶんに無表情、取りつく島もないとはこのことなのか。にべもなく言い返された。
共有。ニュアンスから、それを今の後藤が知ると、何か不都合なことが生まれる気もした。考えられるとすれば、助かった二人の、その後の生きかたが問題なのだろう。
でも後藤の感覚としては、聞かされても不都合は一切生じない。むしろ意義深いとさえ感じられる。涼子の言っていたキーワードに近いとも思う。
だとしたらもしかだが、後藤は圭と完全に成り代わっていないのかもしれない。後藤の魂を圭の魂が押し退けて、再び取って代わろうとしているに違いない。それならばすべてが当てはまる。
「では、二人が共有しているものとは何だ。そして圭と僕とでは、二人と、どう違う」
「聞きたいかね」老人が言う。
「とうぜんだ。圭も僕も当事者、聞く権利がある」
後藤は矢つぎばやに言った。自分が誰なのか知る意義を感じた。
「端的に言えば、自殺と自己犠牲の違いであろうか。同じ死でも天と地ほどの差がある」
あっさり言い放つと、老人は一転、後藤がたじろぐほどの目を向けてきた。「火葬の日本とは違って、ヨーロッパでは土葬が主流。したがって君は、君の肉体が朽ちるまで棺のそばで痛みに耐えていた。いや正確にいうなら棺さえもない。君は森の奥で首を吊り、発見されるまで数ヶ月野ざらしにされ、遺体は原形をとどめていなかった。つまり腐乱した状態で発見されて、そのまま近くの土の中に埋められたのだ」
「自殺? 僕は自殺したのか」
意思に反して、別の感情が溢れてくる。
「そうだ。君は事故から生還したのち、如何なく商才を発揮してひとかどの成功を収めるが、その自堕落な生活ぶりから破産した。原因は二つある」
そこで老人は言葉を区切った。ちらっとユリに視線を当てた。
ユリは思いつめた表情を見せていたが、老人に目を向けられると身体を硬直させた。
「テツほど偏執ではないが、大して変わらぬ横恋慕。君は援助という名目を引っさげて、すでに修道女となり、生きかたを見つめ直していたユリくんへ執拗につきまとったのだ。そうそう、そこの修道院に涼子くんもいたな。それからもう一人、出入り業者に邪な狼がいた」
「ちょっと待ってくれ。僕がテツと変わらない偏執狂だって?」
「すべては成功を収めたからだろう。それで純な気持ちを忘れてしまった」
「信じ難い話だ」
「事実とはそんなものだ。幻想ほど都合よくできていない」
老人が息を吐くように言った。「出入り業者に脅かされていたとはいえ、防ぐ手立てはいくらでもあった。涼子くんが気のどくで見てられん」
涼子が、気のどく? いったい何をしたんだ。それにしても、それだけの仕打ちをされて、なぜ涼子は後藤を受け入れるのだろう。
「その修道院に涼子がいたというのは、間違いないのか。そして狼も――」
「私の辞書に間違いはない。当時の彼女の名はシンシアだがな。狼のことはそのうち分かるだろう」
整理しきれなかった。横恋慕からはじまって、修道院と狼。立て続けにキーワードじみた言葉が後藤の頭へ入りこんでくる。しかもこれは過去であっても過去じゃない。現在に通じているのだ。
老人が雪空を見上げた。
「寒いだろう、部屋の中に入るがいい。ユリくんも来なさい」
と階段を上っていく。純二が続き、ユリも後藤に目配せして上がっていった。後藤は上がらなかった。
「僕は遠慮する。自力で解明するつもりだ」
「ほう。それがいちばん望ましい。夢を受けとったのは君だけだし、どのみち四マイナス二は二になるのだから」
「それを知っている、あなたは……」
数式も答もまったく違う。だが、まるで謎の霊と同じような言い回し。頭の中が、その一言でまた混乱してきた。
部外者と当事者、自殺と自己犠牲、そしてゴードンに横恋慕されるユリの過去と現在。その諸々の事柄が曖昧に浮かぶものの、ヨシュアとゴードンの顔、姿の見えない現実の狼が見えない。
三人が部屋の中へ消える。一人取り残された後藤の思考は、舞う粉雪と同じで不規則に流される。衿の隙間に入りこむ雪でどうにか現実を知覚させるが、視界は白く閉ざされている。
雪が、いちだんと勢いをましていた。




