授業中の机ガッチャンコ、喋れない二人の境界線
「ーー以上の通りに席を移動しろ。以上だ」
担任の無慈悲な声とともに、憂鬱な席替えが終わった。
……はずだった。
「マジか……詰んだ、ガチで詰んだ……」
私は新しい席に座った瞬間、机に顔をへばりつけて絶望していた。
なぜなら、私の右隣の席にはーー昨日、一昨日と私をキャパオーバーに追い込んできた張本人、佐藤航太が座っていたからだ。
「よ、よろしく、星野」
「あ……うん、よろしく……」
航太がいつも通りに話しかけてくる。
これまでは、緊張したら教室の後ろへダッシュして逃げることができた。でも、これからは授業中、ずっとこの距離にあの男がいるのだ。ウチの心臓、3学期まで持つ気がしないんだけど!?
そんなパニック状態で迎えた、2時間目の現代文の授業。
教科書を開こうとスクールバッグを漁っていた私は、ある重大な事実に気づいて血の気が引いた。
(嘘……現文の教科書、ない……!?)
どうやら、教科書忘れたらしい。
他のクラスに借りに行こうにも、すでに先生は黒板に板書を始めている。
私が青ざめてキョロキョロしていると、教壇の先生とバチッと目が合ってしまった。
「おい星野、教科書出てないぞ。忘れたなら隣の佐藤に見せてもらえ。授業進めるぞー」
「えっ!? あ、う、はい……」
先生の無慈悲な指示。
隣の航太が「しょうがないなぁ」とでも言うように、自分の机をガッチャンコ、と私の机に繋げてくれた。
こうして、1冊の教科書を2人で覗き込むという、少女漫画の黄金シチュエーションが強制イベントとして発生してしまったのだ。
『無理無理無理無理! 距離感バグってるって!!』
机がくっついたことで、航太との距離はさらに縮まった。
授業中だから、大声を出して誤魔化すこともできない。静まり返った教室の中で、先生のチョークの音だけが響いている。
ふと横を見ると、航太の制服の肩が、私の肩とほんの数センチの距離にある。
彼が呼吸をするたびに、かすかにブレザーが擦れる音が聞こえて、それだけで私の心拍数は限界突破だ。
(待って、今どこ読んでるの!? 緊張して文字が全然頭に入ってこないんだけど!!!)
焦った私は、ノートの端っこにシャープペンで文字を書いて、航太に見せることにした。
声を出しちゃいけないっていうルールが、逆に2人だけの秘密の通信みたいで、書くだけで指先が震える。
『いまここ?』
航太の教科書の文字を指差すように、ノートを彼のほうへ滑らせる。
だけど、緊張で手元が狂って、私のシャープペンの先が、航太の置いていた左手の甲にチクッと触れてしまった。
「っ……!」
航太が小さく息を呑んで、手を引っ込める。
私も心臓が跳ね上がって、慌てて手を引いた。
「(ご、ごめん……!)」
声を出さず、口の形だけで必死に謝る。
航太は耳のフチを少し赤くしながら、首を横に振って「気にするな」とジェスチャーした。そして、彼の大きな手が、教科書のページの端っこをトントンと指差してくれた。
その指先を見るだけで、さっき触れた手の甲の温かさが蘇ってきて、ウチの顔は完全に沸騰した。
隣から、ものすごい熱気を感じる。
星野がさっきから、真っ赤な顔をしてノートに何かを必死に書き殴っているのだ。
授業中だから静かにしなきゃいけないのに、彼女のブレザーの袖が俺の腕に触れるたび、星野がビクッと体を硬直させるのが伝わってくる。男慣れしてそうな見た目のくせに、本当にとことん初心なんだな、このギャル……。
ふと、星野がまたノートを俺のほうへ滑らせてきた。
そこには、小さな文字で何かメッセージが書かれていた。
『じゅぎょう、なげえ。あと、ノートのじ、きれいで、びっくりした』
……いや、何て書いてあるかは読める。読めるんだが。
(字が、めちゃくちゃガタガタに震えてる……)
緊張のせいだろうか。普段の星野ならもっと丸っこい可愛いギャル文字を書くはずなのに、今のノートに書かれた文字は、まるで怪談に出てくる呪いの手紙か、古代の呪文のようにガタガタに歪んでいた。
俺は吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、自分のノートの端に文字を書いて、彼女に見せた。
『ありがとう。でも星野の字、緊張で呪文みたいになってるぞ』
それを読んだ星野は、一瞬だけ目を見開いた。
次の瞬間、彼女は顔をこれ以上ないくらい真っ赤にして、ノートを両手でバシッと閉じた。
「(うるさいしっ!!)」
声にならない声で、怒ったように口を膨らませる星野。
そのまま、ブレザーの長い萌え袖で両頬をぎゅっと挟んで、顔を背けてしまった。
隠しきれていない耳の後ろが、完全に真っ赤だ。
(……あ、やばい。今の、めちゃくちゃ可愛いな)
からかうつもりが、予想以上の破壊力で返ってきて、今度は俺のほうがドギマギしてしまう番だった。俺はごまかすように、黒板の文字をノートに書き写すスピードを上げた。
キーンコーンカーンコーン。
ようやく放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。
先生が教室を出て行った瞬間、星野は「っし、ロッカー行ってくる!!」と、弾かれたように席を立って教室の後ろへダッシュしていった。やっぱり逃げ足だけは速い。
繋がったままの2人の机を見つめながら、俺は小さく息を吐き出した。
星野には悪いが席替えは大成功だ。
明日からも毎日、現文以外の授業でも、この距離で彼女のいろんな表情が見られる。
「……明日も、なんか教科書忘れてくれないかな」




