密着スマホとゼロ距離の罠
昨日の昼休み、航太に「俺はそれでもいいけど」とマジレスされて以来、私の脳内は完全にバグっていた。
「お、おはよ、航太……」
「ん? ああ、星野。おはよ」
朝、自分の席についた航太に声をかけるだけで、心臓が口から飛び出そうになる。
いつもなら「おはよー! 今日の髪型ウケる!」とか適当に言えるのに、今は航太の顔をまともに見ることすらできない。
(な、ななな何普通に挨拶返してんのあの男!? ウチは昨日から一歩も前に進めてないんですけどっ!?)
自分の席に戻り、手鏡で顔をチェックする。案の定、耳の裏までほんのり赤い。
クラスのギャル友のリオに「結愛、なんか今日大人しくね? 熱でもある?」と心配される始末だ。違う、熱じゃない。知恵熱ならぬ、初恋熱(仮)だ。
このままじゃ、いつもの「余裕たっぷりな一軍ギャル」のキャラが崩壊してしまう。
今日の昼休みこそは、いつも通りフランクに接して、昨日のあれはノーダメージだったってことを証明してやるんだからっ!!
そして迎えた昼休み。
私はお気に入りのリップを塗り直し、スマホを片手に航太の席へと向かった。
「こ、航太! 何してんの?」
「あ、星野。いや、別に。午後の授業確認してただけだけど」
「相変わらず真面目だねー。あ、そうだ! これ見てよ、ウチが昨日TikTokで見つけた動画なんだけど、マジで超ウケるの!」
そう、これだ。動画の共有。
いつも他の男子や女子ともやっている、ギャル特有の軽いコミュニケーション。
私は航太の机の横に立ち、スマホの画面を彼の方へと向けた。
「どれ?」
航太が画面を覗き込もうと、少しだけ体をこちらに傾ける。
だが、机の配置のせいで、画面が少し見づらそうだった。
「あー、画面見にくい? じゃあさーー」
私は何も考えず、いつものノリで、航太の椅子のすぐ横へと回り込んだ。
そして、彼の肩と私の肩が、ほんの少し触れ合うくらいの距離で、隣り合わせに並んだ。
「ほら、これこれっ! この猫がさーー」
嬉々として画面をタップしようとした、その時だった。
「……ん、確かにこれ、面白いな!」
航太の、少し低くて心地いい声が、信じられない至近距離から聞こえた。
と同時に、ふわっと、彼の首筋あたりから石鹸のような、清潔感のあるシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
(えーーーっ、近っっっっっ!?!?!?)
その瞬間、私の頭の中の全回路が火花を散らしてショートした。
画面の中の猫がコミカルに踊っているが、そんなの1ミリも目に入らない。
横を向く。そこには、航太の綺麗な横顔がある。
航太が息をするたびに、彼の制服の肩が、私のブレザーの袖と擦れてサリサリと小さな音を立てている。
私が一歩踏み出せば、そのまま彼の腕の中にすっぽり収まってしまいそうな距離。
(待って、ウチ今、航太とほぼ密着してない!? 腕触れてるよね!? てか、ウチの心臓の音、この距離なら航太に聞こえちゃうじゃん!!)
あまりの緊張に、声が喉に張り付いて出てこない。
「マジウケるー」と言うはずだった口が、半開きのまま「あ……、う……」とマヌケな音を漏らす。
「星野? どうした? 画面、止まってるぞ」
航太が不思議そうに、ひょいと顔をこちらに向けた。
ーーそれが、トドメだった。
顔と顔の距離、わずか十数センチ。
まっすぐに見つめてくる航太の瞳に、顔を真っ赤にしてパニックになっている私のマヌケな顔が、ばっちりと映り込んでいる。
「ひゃ、ひゃうあッっっっ!?」
私は変な悲鳴を上げながら、弾かれたように後ろへ飛び退いた。
勢い余って、自分の後ろにあった空席の椅子にふくらはぎをぶつける。
「痛っ……! いや、痛くないし! 余裕だし!!」
「え、大丈夫か? 急に飛び退いて……」
航太が心配そうに立ち上がり、こちらへ手を伸ばしてくる。
歩み寄ってくる彼を見て、私のピュアギャル人格は完全にオーバーヒートした。
「くるなーーーっ!!!」
「えっ」
「いや! 違うの! 動画、なんかバグったから! そう、ウチのスマホ、今すっごい電波悪くてさ! 呪われてるレベルでヤバいから、見せない! もう見せないから!!」
私はスマホを両手でラグビーボールのように強く胸に抱え込み、胸の鼓動を必死に隠した。
バクバクと、胸の奥が痛いくらいに脈打っている。
「じゃ、じゃあね!!」
昨日と全く同じ展開。デジャブ。
私はまたしても、猛スピードで教室の後ろへと逃亡した。
「……何だったんだ?」
俺は差し伸べた手をゆっくりと下ろし、自分の席に座り直した。
星野は教室の後ろで、ギャル友達の机の陰に隠れるようにしてしゃがみ込んでいる。
遠目に見ても、彼女の耳のフチが、あり得ないくらい真っ赤になっているのが分かった。
スマホを胸に抱えたまま、完全にフリーズしている。
心なしか、彼女の頭から生えているアホ毛が、恥ずかしさでぷるぷると震えているようにも見えた。
「……電波が悪かっただけで、あんなに赤くなるか?」
いや、ならない。
昨日、俺が「それでもいいけど」と言った時の反応。
そして、さっき距離が近づいた瞬間に、彼女の呼吸が一瞬で止まったこと。
どれだけ派手な格好をして、どれだけ「ウケるー」と軽いノリで生きていそうに見えても、彼女の内面はーー。
「星野って……もしかして、男に慣れてないのか?」
その仮説にたどり着いた瞬間、俺の胸の奥でも、小さな、だけど確かな鼓動がトクンと跳ねた。
昨日から薄々気づいてはいたが、こうして確信に変わると、からかい半分だった気持ちが少しずつ形を変えていく。
……ダメだ。そう思うと、こっちまでなんだか意識してしまいそうだ。
俺は少し熱くなった自分の顔をごまかすように、冷たいペットボトルのお茶を一口飲んだ。




