幕間 女王の休日
「陛下ー!陛下ー!」
肩幅が広く、身なりは丁寧に整えているというのに、息を切らしながら城を駆け回っている一人の男がいた。
誰かのことを呼びながら、けれど一向に見つからず途方に暮れているようだ。
厨房や洗濯場なども巡りながら探してみるものの、どこにも見当たらない。
「まったく、まだ執務は残っているというのに困った御方だ」
呆れながらも、この鬼ごっこがいつも通りの日常の一端であるかのように溜め息の中に笑みが混じっている。
城に常在している他の人間達も、彼が『陛下』を探していることに慣れているのか微笑みながら見守っている。
「また、お探しですかー?」
「さっきまでおやつを食べてらっしゃいましたよー」
「城壁の方じゃないですか?」
皆が朗らかに声を掛ける中、居場所のヒントを聞きながら、探し続ける。
ついに彼が見つけ出したのは、首都を眺める事が出来る城の城壁であった。
「おや?なんだもう見つかってしまったか」
その時、どんな顔をしていたのか今の彼は思い出すことが出来ずにいる。
振り返る直前の長い髪は美しく、夕日に照らされてこの世の神秘を宿しているかに思わせる届かぬ幻想を表しているが如くであった。
それは確かに覚えている。
けれど、どうしても彼女の顔が思い出せない。
声は悲しげで、優しげで、どこか嬉しそうでもあったかもしれない。
相変わらずの美声を有していると、空の女神を想起してしまうほどであった。
けれど、彼はその当時の『陛下』の顔が思い出せない。
困ったような微笑みを湛えていたような気がする。
「どうした?そんな呆けた顔をして」
「あっいえ、陛下執務が残っております。お戻りください」
「分かっておる。少し息抜きをしたかっただけだ。許せ、■■■■」
「お忙しいのは分かっておりますが、せめて一言お伝えくださいませ。何かあってからでは遅いのですよ」
「妾とて、一人で出歩きたいときもある」
「いつもではありませんか」
「意地の悪いことを言うでない。そも、何故自分の土地を自由に歩いてはならんのだ!」
「御身がこの国の基盤であるからです。それは貴女様もよくご理解されているでしょう?ですが、今週は丸一日休みが取れております。その日にどこか出かけましょうか」
「なに、真か?」
声に喜びの色が宿り始めて、捜索していた男は勝利を確信して目の前の年若い女性を言葉巧みに仕事に戻らせる。
「さあ、そうと決まれば仕事に戻りましょう。終えなければ出かけることは出来ませぬぞ」
「う、うむ。わかった。手早く済ませるとしよう」
息抜きはここまでかと察してあからさまに肩を落としながら、城に向けて足を向ける女性。けれど、一度だけ振り返って。
「なあ、■■■■」
「なんでございましょうか?」
「この国は、やはり美しいな」
「単に貴女様のお力によるものでございます」
「それは違うぞ。ここに住まう民は皆よく生きてくれている。何も無理に大きな発展をする必要はないのだ。彼ら、彼女らが健やかに生活をしていることこそがこの国の美しさを生み出しているんだ。人もまた自然なれば、競争もありながら常に何かを追い求める貪欲さもあるだろう。だが、それもまたこの国を作り出している根幹なんだ。妾は、私はそれが愛おしい」
誰よりも、国を愛しながら未来を憂う目をしている彼女は、自分の口調が少しずつ変わっていたことに気付くこともなく、愛猫の背を撫でるかのように、ただひたすらに視線を都の端から端へと這わせる。
その様子を男は黙って見ていたが、彼女が寂しげな後ろ姿をしていたからか不意に一つ呟いた。
「…私はいつまでもお側にいます」
小さく声に出したつもりだったが、どうやら聞こえていたようで悪戯な笑みを浮かべた女性は感謝を告げる。
「そうか、そうか。なら、安心だな。その言葉違えてくれるなよ?」
笑みを向けてから、彼女は城に歩き出した。男の顔が夕陽に照らされたからなのか、少し赤らんでいたことには気付いていない。
「ええ、もちろんですよ」
きっと、このやりとりに深い意味はないのだろう。けれど、本来意味の無いはずのこのやりとりこそ人を縛り付ける楔になり得るのだ。
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数日後、女性が待ちに待った休日が訪れる。
執務室に缶詰にされていていよいよ、また抜け出してしまうかという直前にようやく仕事が終わったのだ。
現在、城から向かっているのは彼女が城下町と呼ぶ場所で、人の往来が激しい首都である。
幼さを残した微笑みを絶え間なく馬車の外の景色に向けている彼女は今か今かと、街の中で店を巡ることを楽しみにしている。
普段は、なかなか自由に出歩けないからかその喜びようは、少女のそれに近しいものを彷彿とさせた。
「あれはなんじゃ?」
「リンゴ飴でございますね」
「ならば、あれは?」
「ケバブです」
「あれは?」
「…陛下、焦らずともすぐに屋台を回れますよ」
「そうは言うが、時間は有限であろう?であるなら、さっさと城下町を満喫したいぞ」
「しばし、お待ちください」
そう言って、しばらくの間馬車が走ると、ちょうど人目のつきにくい場所に降り立つ。
「陛下、こちらをお着けください」
「なんじゃ、これは?」
「陛下を陛下だとバレないようにするための道具です。今日一日はこのバッジを胸元にお着けください」
男は、華やかなバッジを女性に手渡す。
「ふむ、まあこのぐらいはいいだろう。では行くぞ!」
「御意に」
男は、少女の頃の面影を残している女性の後を追従しながら周辺の警戒に努める。
この国は比較的治安も良く、憲兵も練度が高いがやはり事件が起きるときは起きてしまうので、万一の時は力尽くで相手を追い払うことも視野に入れながら、フードを被って正体が明かされぬようにしている女性を守るために警戒を怠らない。
しかし、そんな彼の様子に怪訝そうな表情を浮かべた女性は、不服そうに近づいて伝えた。
あるいは、彼の心の内を見抜いていたのかもしれないが。
「おい、■■■■。せっかく遊びに来ているというのにそんな怖い顔をしてどうする?もっと眉間と肩の力を抜け」
「いえ、しかし私はお守りする立場ですので」
背の高い男相手に背伸びしながら、女性は彼の眉間に指をあてほぐすように動かしながら不満げな顔を浮かべる。
「後ろで怖い顔をした男がついてきていると、妾が満足に楽しめんだろう。だから、お前も一緒に楽しめ」
「…承知いたしました」
観念したかのように返答をした男に満足したのか、柔らかい笑顔を貼り付けて再び前方へと歩き出す。
男は、相変わらず自由な御方だと、呆れ混じりで表情を軟化させた。
けれど、彼女は信念を持ちながら我儘を通しているためか、どれだけ自由奔放に振る舞われてもどこか不快感がない。
それは城の誰もが感じていることで、彼女と交流を僅かでも行ったことのある人間の多くはこのような気分にさせられる。
今も、屋台の店主に無理を言っているが、相手は気を悪くしている様子はない。
天性のカリスマと言えるのだろうか。人を惹きつける才と与えられた異能が国を成立させている最大の要因であるとも言えた。
「美味しゅうございますか?」
「うむ、これはなかなか絶品だな」
屋台で買った肉の串を口いっぱいに頬張りながら、口周りにタレを付着させ幸せそうな顔をしている。
「城でこれは出ぬのか?」
「そうですね、シェフに掛け合ってみてはいかがでしょう?陛下のご要望であれば叶えてくださるかもしれませんよ?」
「うーむ、奴は頑固なところがあるからなぁ。しかし、これは美味いし…」
統治者が城下で屋台で買った肉の感想を言いながら、シェフに交渉しようか悩んでいるこのような会話もまた国の平和を示していると言えた。
証明するかの如く、国民には笑顔で溢れており、時には喧嘩もありながら許し合える度量も有していたのは統治者の才覚かはたまた下の人間が補助を逞しく行っているからか。
どちらの理由もあるのだろう。
きっと、一概に明確な理由を定めることは出来ない。
多くの要因がこの結果を生み出していること、それは確かであった。
国民性も統治者も、補佐する者も皆の日々の働きのおかげで成り立っているのであろう。
「よし、決めたぞ。シェフにこれを作って貰おう!」
「では、頑張って頼んでみてください」
「ああ、妾の勇姿を見ておれ!」
何気ない、たわいない会話だが穏やかさに満ちたそれはこれからもずっと続いてくれるものであるとそう信じるに足りる代物であった。
しかし、永劫に続く安寧も安穏も冥界まで探索しようがどこにもないのだ。




