第五十六話 祭りの後
「あっちだね」
叶未達は煙が昇っていた方角に向けて疾走していた。
住民までも犠牲にさせる訳にはいかないと全員が最短距離で建物の上を渡っている。
炎が彼女らのいる位置から見え始めた時には、ライゼルは冷静さを喪失していた。
けれど、悠江によって今優先すべきことは何かと問われたことによってどうにか理性を保っていた。
内心では一秒でも早く状況を確認してしまいたいという焦燥感に駆られながら。
「ローライ様、無事でいてください」
爆弾だけなら、ここまでの心配はしなかっただろう。
だが、わざわざ足止めに人員を割いたり捕らえていた男が不穏なことを言いかけたので彼らはまだ作戦があるのだと感じ取り、街を走り抜ける。
足を前へと踏み出し続ける中で、煙は止んだ。
代わりに、慟哭がいくつも聞こえ始め、医療班を早急に手配する声も聞こえてくる。
ライゼルの額には理由の分からない冷たい汗が流れた。
あまりにも冷え切って、温度を失った水滴は雪が降り始めたのかと錯覚を覚えるほどであったが、雲など出てはいないし、日本近郊の海上に浮かんでいる天空の国には季節外れでもあるだろう。
嫌な汗は止まることなく流れ続け、次第に目からも湧き上がり始める。
ただ、希い続けた。
自らが、貧相な頭で考えた、考えてしまった最悪の可能性がどうか外れていてくれ、と。
「ローライ様!」
ようやく辿り着いて、周りを見渡してみれば火はすっかりと消え去っており、鎮火作業が無事終わっていたことを確認できた。
けれど、何故か一所に集まっている兵は嗚咽を漏らしながら床に手を着いて目元から涙を湛えている。
中には現実を受け止められないように、嘘だと叫びながら地面を殴り続ける者や、怒りに身を震わせながら握り絞める拳の間から血を滴り落ちさせている者までもがいた。
その光景を視界に入れてしまうと、嫌な予感というものはより一層ライゼルに噛みついた。
状況を少しでも確認しようと前へと足を出すが、身体中から寒気が止まらない。
本当なら、この先を見たくなんてない。進みたくなんてない。
でも、もしかしたら俺の予想なんてものはただの杞憂で皆がドッキリと仕掛けてるんじゃないか。
そんな風に頭では否定の可能性を浮かばせながらも、身体は、本能は既に結果を理解しているかのように震えに苛まれている。
そして、前に群がって視界を遮っていた兵達を押し退けてライゼルはようやく『彼』を目にすることが出来た。
もうすっかり、動き出すことのない漢を。
「あ、ああ、あああああああああああああああ!!!!!!」
喉の奥からではない。腹の底からでもない。
感情という源泉から溢れ出す滝のような叫びは、今にもライゼルを自壊させてしまいそうなほどに強烈に吐き出されていた。
見なければよかった。見たくなんて無かった。
そんな思いを過らせながらも、すぐに声と共に吐き出され消えていく。
ライゼルの涙に呼応して、他の兵達も一層涙の中に身を投じた。
そんな彼らを悠江と叶未は黙って、見ていた。
ローライが戦いの中で散っていったこと、最後まで立派に戦ったことは遺体の様子から明らかであるために同じ軍人として、ただ静かに彼に対して祈っていたのだ。
どうかその献身に見合う来世を送れることを。
ローライの部下達は皆、後ろでただ黙祷しているのみである叶未達を見て、自らの上司を真の意味で直視しなければならないと思わされた。
そして、視た。
ローライがその表情から戦意を失うことなく、険しくも誇りある姿を保っていたことを視界に入れて理解した。
呼吸は最早、していない。
心の臓は鼓動を忘れて、役目を終えた。
身体は彼方此方が焼け焦げており、見るも痛々しい。
だが、まだ直立したままである。
これ以上は暴挙を許さないと言わんばかりに顔は正面を向いて、未だ戦い続けているのかと感じさせてしまう。
その姿は恐ろしく勇敢で、国の守人としてあるべき姿を示していた。
いつのまにか、兵達は顔を上げて、身体を起こし、そして敬礼をしていた。
「長い間、お疲れ様でした。我々はあなた様の国への献身とご活躍、しかと胸に刻み込みこれからも邁進して参ります!」
ライゼルが代表して言葉を紡ぐ。
「「「「「「誠にお世話になりました!」」」」」
その場にいた大勢の兵達は腰を直角に曲げ、声を合わせて礼を述べた。
天空の国よりも遙か遠くの空にいる、上司に対して。
どうか届いてくれるように。
そして、ローライの顔はどこか穏やかさを有し始めていた。
部下の様子を見て、後を任せられると安心したのか。
鷹の鳴き声が響き渡る。
いずれ新たな大地に根を下ろす、一人の男へ手向けた歌声であろう。
「一同、これより血吸いの大蠍殲滅を迅速に行う。東西南北、全ての警備隊長にも連絡を!我らがローライ様はきっと敵に深手を負わせているはずだ。絶対に無駄にするな!」
この場では実力と地位が一番高いライゼルが指揮を執る。
「「「「「「「「おう!」」」」」」」
そして、皆が歓声を上げて呼応する。
一つとなった雄叫びは、群を成す狼のようであり蠍に対する警告にも思えた。
叶未と悠江はその様子を見て、ローライが体現した遺志が無事に部下にも引き継がれたようで一息つきながら安心した。
何より、彼らにとって一番の戦力であろう人間が倒されたことに関して、兵の士気が低迷することを二人は危惧していたのだが、ローライの姿はむしろ兵達の気力を引き上げたようであった。
指示を行った後、ライゼルは叶未らの下へ向かってきて願い出た。
「お二人とも、蠍の討伐に際してお話があります」
そう言うと、二人を兵の集まっている場所から離れた位置に引き連れる。
話が聞こえないようにするためか、もしくは士気に拘わる話をするのだろうか。
「今後の蠍の戦闘ではお二人を主軸において指揮をさせてもらいたいと思うのですが、構いませんか?」
憲兵達が士気で溢れているというのに、突然そのようなことを言い出したライゼル。
「何で?戦力がそんなに不足してるの?」
「ローライ様を倒せるほどの相手となると、戦いになるのは東西南北の警備隊長達でしょうが、それでもすぐには動かせません」
「動かせない?緊急事態なのにッスか?」
「四方に散らばる彼らは普段は、異進生物を相手に戦っています。天空の国に出現する異進生物は並の強さではなく、現在の首都と変わりない危機が常にあるのです。そう簡単には離れられません」
「なるほど、暴走する可能性もあるわけですもんね」
「私は北の隊長の下で働いていたので、そちらはもしかしたら動いていただけるかもしれませんが、無理が言えないのです」
「でも、ここが陥落される方が問題じゃないの?」
叶未は前提的に指摘した。
「いえ、実は四方全てに首都と同じ機能を果たせる大都市が点在しています。中央に聳えるこの街は特に精鋭が集まっていることと結界の頑強さが他を凌駕するからこそ、首都に選ばれているのです」
「同じ機能を果たせるってことは、最悪どこかに逃げればいいわけだ」
「はい、最悪の事態を想定した場合の大都市防衛も各警備隊長の役目でして、それもまた彼らがこちらに来れない理由の一つでもあるのです」
「それでも、ここで暴れられたらまた無辜の民が犠牲になるッスよね」
「そうならないために、お二人を主軸にさせていただきたいのです。不甲斐ないことに我らでは力不足は否めませんので」
叶未と悠江はしばし、逡巡する。
自分達はただ要請があったから蠍を討伐しに来ただけで、他国の大勢の民を守るために来たわけではないからだ。
しかし、軍人であることもまた事実で敵対国でもないのに民間人を守らない理由もないため、二人の答えは既に決まっていた。
「わかったッス。元々、奴らを始末することが俺らの仕事ッスから、作戦の軸にされても問題ないッスよ」
「同じくかな。どうせ、やることが大きく変わるわけじゃないし、ただの協力関係からメインを貰うってだけの話でしょ。なら、いいよ」
認識を阻害する封武を用いているから、彼らの記憶に残ることはないだろうと考えながら、他国の民の命を背負うことを了承する。
「ありがとうございます。一応、ジェフリー先生はこちらに戻っておられるそうなので合流を致しましょう。本人は老いたと言っておりますが、まだまだ一線で戦える実力をお持ちですので」
「それは心強いんじゃないッスか?」
「ぜひとも、幹部とかを相手取って欲しいね」
その場を少しでも和まそうと思ったのか叶未はそんな風に茶化した様子で話してみせる。
叶未達はここに民の命運を左右することとなった。




