第三十六話 蠍は地を這う
物語は大戦前まで遡ります。
とある夜、一人の少女は願い事をしました。
ただ一つ、誰にも侵されない自分の国が欲しい、と。
彼女は願いが叶えられると、自分の庭を楽園にしようと努力しました。
理不尽に苦しむ人々を多く見てきたからです。彼らの拠り所になろうと国を豊かにする努力をしました。
力を行使して国を広げました。けれど、世の中そう上手くはいかないもので、豊富な資源のある彼女の国を狙う人間も大勢いました。
夢を声高々に語りながら宝を簒奪戦とするトレジャーハンター、彼女の国を領空侵犯と言い大義名分を得ながら攻撃を加え財産を奪おうとする国々、あるいは腕試しに来た武人を名乗る者。
いずれにしても、空に居場所を求めれば地上に降り立つことは許されなくなりました。彼女は空の楽園の王者の座を戴く代償に地上に降り立つ権利を奪われたのです。
それでも彼女は良しとしました。資源に困ることは無かったからです。
時折、ひっそりと降り立って人を拾うこともあり技術面でも地上に引けを取ることはありませんでした。
そんな風に生きている彼女ですから、性格はなかなかに偏屈になってしまいました。年齢を重ねたころには英雄が訪ねてくることもありました。
彼は彼女に一つ問いました。
『あなたは一生、関わりを絶って生きていくのか』
彼女は答えませんでした。彼の言わんとするところはよくわかっていたものの、今更生き方を変えられるはずもなかったからです。元々が高貴な生まれであったが故でもあるのか、孤独は当たり前で統治者として仕方のないものと割り切っていました。彼女の周りにいる臣下も敬うばかりで親しくなることはありませんでした。
そんな彼女にまるで国と共に孤独のまま心中するのかと問うように聞いてきたのです。
まだ若い青年ともいえる男にそう言われて早寿のほどの彼女は思わず口を噤みました。
彼とは分かり合えぬまでも戦いによって意見を酌み交わしました。互いがそう望んだからです。
当時の青年は結局、彼女の前に敗れました。しかし、諦めきれませんでした。青年はいずれ、自分か自分の代行者が彼女の孤独の在り方に否を唱えるとそう言って国を去りました。あるいはすでに回答を導いていたのかもしれません。
けれど、答えを直視する前に彼女は病に罹ってしまいました。
患った病はどれほどの異線であろうとも、どれほどの名医であろうとも治すことはできませんでした。現代の医学でも難病として完治不可の病だったのです。
彼女に恐怖はありませんでした。来るべき時が来たというだけだとむしろ満足気でした。
床に伏せる支配者たる女性の周りには、嗚咽を漏らしながら涙を流し続ける部下たちが囲んでいました。側近の一人である男は担当医に詰め寄って、どうにもならないのかと叫び続けています。
武術を嗜んでいた男の怒気に医者は身を竦めますが、腹の底から手の施しようがないと懸命に返した。
その時、すっかりと痩せ細りながらも瞳には未だ威厳が溢れていた女性が言葉を掛ける。
『騒ぐことはなかろう。妾が死んでもこの国は生き続ける。だが、もし其方らが道に迷ったなら困難に直面したならば、仕方ないから妾がまた道を指し示してやる。だから、案ずるな』
彼女はそう言って息を引き取った。咽び泣く者の中にはまだ幼い少女の姿もあった。
最期の時まで心配をかけてしまったことを皆は悔やみながらも、しかし彼女が再び舞い戻ってくれることを信じて国を運営することにした。けれどそれは困難に陥った場合でもあるので少しばかり不甲斐ない姿を見せたくないと思いながら、彼女の死後団結して国の運営に努めた。
戻ってくると信じる一方で、彼女が戻ってこなくてもいいように国を回したいとそんな相反する思いを抱えながら。
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「はっ本国の連中め、無茶言い出しやがって」
体躯のいい男は机に足を乗せながら悪態をついている。傍らのウィスキーが入ったグラスが揺れて中身を机に溢す。
「せっかく警備が厳重なイベント会場まで襲って援軍ごと動きを封じたってのにまだ注文つけてくるかよ。主役は俺たちだろうが」
途端になぜか上着の内ポケットから銃を取り出して、部屋のダーツの的に向かって何発も乱射する。
全弾が中心に命中しており、奥の壁まで穴が空いてしまっている。
撃ちきったことで満足したのか、銃を仕舞うと葉巻を咥えてライターで火を着ける。
「しかしまぁ、下手こいたやつの処分までしなけりゃならないからリーダーってのは大変だよな」
彼の後ろで腕を後ろ手に組んで、大粒の汗を流しながら三名の人間が立ち尽くしている。
「す、すいませんボス」
「でも、破片なんて気付くわけ無いですって」
一人口答えをした真ん中の男を左右の二人が睨んでいる。
武器同士がぶつかり合った僅かな破片が回収され、そこを解析にかけられるなど予想する方が難しいのかもしれないが。一瞬ソファに座っている男が言葉を止める。その間が控えている三人には厳しかった。
「あれは特殊な封武でな、ほんの少しの欠片でも解析にかけられるだとかの事態になればこっちで確認できるんだ。まあそれはお前らも知っての通りだろうが、そんなことも分かってるのに欠片を残していくとはな」
声が徐々に低くなり段々と控えていた三人に恐怖を与え始めていた。
あまりの恐ろしさに真ん中で一度反論した男は、ソファの男に後ろから襲いかかる。
「う、うわああああああぁぁぁぁぁ!」
腰に差していたナイフを勢いよく引き抜いて刺しに行く。
「おい!」
「馬鹿!」
左右にいた二人が少し遅れて止めに入るがとっくに手遅れであった。
ソファに座っていたボスと呼ばれた男は一切動揺を見せずにゆらりと立ち上がり、襲ってくる男に対して腕を振るう。
それだけで襲ってきた男は燃え上がり丸焦げになって絶命した。
「ひいいいぃぃぃ」
「あ、ああああ」
倒れ伏す黒焦げの物体を蹴り飛ばすと、ボスである男は何の感傷もなく他の二人を見やる。
「おい、これ片付けとけ。それと次失敗したらお前らもこうなるぞ」
今は人手をあまり減らしたくない状況でもあったからか、一人を始末したところで男の処分は終わった。元々、先ほど燃やした男は実力はあっても態度が大きく油断も酷かったためにいずれ燃やすつもりであった。
他の二人に対してはより一層の脅しとなればいいと考え、見せしめにわざわざ三人集めた上で真ん中にいた男を燃やした。
襲ってこなかったとしても同じようにするつもりであったために結局は悪あがきでしかなかったのだろう。
「さてと、どうせもう色々と勘付かれてるだろうし早めに動き出すか。やっぱ最初に狙うのは足だろうよ」
そう言ってどこかに連絡を繋げる。
「おう、俺だ。…ああ、もう始めて構わねえ。本国から注文があったからそっちも頼む。詳細はあとで送る」
短いやりとりをしてから、男は携帯を切って軽快に歩き出す。
「ああ、蹂躙してやるぜ、高貴なる天空の民共!その身も財産も全てを喰らい尽くしてやる。ヒヒッアーハッハッハッ!」
屋敷のテラスに出て、空に向かって炎を打ち上げる。男は狂気的とも言える表情で笑いながら焔を旋風にして巻き上げる。
「願わくば、この国の軍人達も燃えてくれるとありがたい」
炎を収めて、手の中に包み口に入れて飲み込んだ。
まるで炎の味に満足したような顔で夜空を仰ぎ見た。
ふと、何か思い至ったように考え込む様子を見せた。
「しかし、本国の連中は何を考えてやがる。まさか、戦争でも起こす気か。だとしたら、どっかで袂を別ってとんずらしなきゃな。本気で事を構えるには強すぎる」
本人か同じ組織の人間にしか分からない意味合いで言葉を垂れ流している男は、日本の国軍の主戦力について思い浮かべていた。
「翻弄するならまだしも、正面からぶつかるには何もかもが足りねぇ。人の形をした災害まで抱え込んでいる国をどうこうできるわけもねぇ。革命したからって調子に乗ってりゃ世話ないだろうよ」
災害とそれを抑え込む軍人の精強さは他国の軍の平均値を上回る。彼の本国の人間は武器の扱いにおいても武器そのものについても確かに強いと言える。
けれど、それだけではどうしようもないほどの差は確かに存在する。この国での潜伏が長かった彼だからこそそのことはよく理解していた。
「まぁ、足さえあればなんとかなるだろ。いや、むしろあれはとびきりの羽か」
血の気は多いものの、死にたいわけではないからか逃げる算段を予め思考しておく。
けれど、確実に簒奪できる物はきっちりと奪いたいと考えるのもまた彼の思考の一つであるようだ。
蠍の頭は狡猾にその毒針を獲物に刺す機会を窺っている。




