第三十三話 忘失の少女
「ん?」
現場にうまく入り込んだ叶未と悠江は周囲の探索を進めている。その中で悠江は霧を薄く広げながら周りの破損具合や血痕、手がかりとなりそうなものを片っ端から調べている。
その過程で少し違和感を持つことが出てきた。
「これは、毒?」
明確に成分が判明できるような能力でもないが、毒かどうか程度なら霧に触れれば感知できる。地面に染み付いたそれに近づいて、回収する。
「毒を使えば確かに少数でも部隊を一つ倒せそうだね」
軍人であろうとも人間であるからには特殊な訓練でも受けない限り、毒の効果が身体に現れてしまうだろう。異線によって耐性のある人間はいるが、今回被害を受けた人間たちの中にはいなかったと資料に書いてあった。
「蠍って言ってるだけあって毒を使うんスかね」
「大蠍だから、強力なやつ使ってるかもね」
「単純な考えッスね。まぁ癒尾瀬さんに鑑定してもらえばわかるはずッスよ」
医師として毒にも詳しい麗衣は鑑定も請け負っており、こうして事態が起こった現場で採取された物質についても成分解析を行うことが多い。
「とりあえず、大まかな調査は終わりッスね。これ以上ここで得られることもなさそうですし」
後は警察が現場検証で得た資料を影守隊のことを知る数少ない人物に協力を仰ぎ送付してもらおうと考え、悠江はその場をあとにしようとする。
警察もそう簡単に何かを見落とすはずがないと思っているからか叶未も同じく立ち去ろうとする。
「でも、軍人を襲った理由とかの手がかりはなかったね。現場にあるとは思ってなかったけど」
「こういう場合って犯人が近くにいて、現場を見に来てるとか言いますけどいないッスかね?」
辺りを見回して、怪しい人間がいないか視界を頼りに探ってみる二人。
ちらほらと野次馬は見受けられるが、何が起きたのかと訝しんでいるような人間は複数おりそう簡単に見つけられるものでもない。
霧を広げたところで、相手が敵組織の人間かどうかを判別することはできないからか、悠江は体力の無駄と思いそれは行わなかった。
実際、鼻が利く叶未も不穏な気配を感じることはなかった。
規制線を抜けて、イベント会場となっていた場所から離れる。それなりに人がいたからか、歩くのに苦労したようだ。霧と軽い認識に齟齬を与える封武で忍び込んでいたが、場を離れるとそれを解く。多少勘のいい人間ならば、偽装に気付けたがここでは誰も二人の存在に気付くことが出来なかったようだ。
「そういえば、民間人の被害者の話は聞かないね」
信号を待っている間、叶未は不意にそんなことを言う。
「実際、民間人に被害は出てなかったらしいッスよ。あくまで軍人狙いってことだったんスかね」
「私が言うのもなんだけど、わざわざ強い方を狙うなんてね」
「あっその辺の感性はわかるんスね」
少し感心してように悠江が言うと、叶未から拳骨が頭頂に飛んできた。
「いてぇ!」
「どうせなら民間人を狙ってから軍人と戦った方が楽に殺せると思うんだけど」
「いてて…。確かにそっちを傷つけたりするかそういう素振りを見せるだけで軍人は守ろうとしますよね。でも被害者がいなかっただけで、人質にされた人はいたかもッスよ」
信号が青に変わり、二人は歩き出す。目的地は国軍の横浜支部であり、電車で移動する為に駅まで歩いて出向くつもりのようだ。
最近は経費削減の風潮があり、できる限り徒歩での移動が求められたりしている。最も、鍛えた異線敷く者ならば、走った方が公共交通機関よりも早い場合もあるが。二人は前者と後者の両方である。
「その可能性はあるか。もしいれば、事情聴取の資料にでも出てくるかな」
「一切傷つけなかったというのは意味わかんないッスけどね」
「そういう矜持とか?」
「個人的見解ッスけど、軍人だけ狙うなら多分思想犯的要素も絡んでくると思うんスよ。でも、この組織は世論を扇動してるとかそういうことはないッスよね?なら、矜持云々じゃないと思います」
「思想犯じゃなくても武人みたいな人間ならやっぱり狙わないんじゃない?」
「相手が元軍人とかならありそうッスけどね。毒を使ってるあたり、武人気質は考えられないッスね」
「異線が関係してたり、戦場なら使うだろうって考えもあるんじゃない?」
「じゃあやっぱ元軍人の線が出てくるんじゃないッスかね」
歩きながら、互いの見解を述べ合う二人。いくらか話してみても明確な答えは見えてこないようだ。
「重軽傷者で留まらせたところから、被害を与えたいって意図と自分たちの追跡を躱したいって意図は読み取れたんスけどね」
「結構、狡猾だよね」
「いっそ、西洋の探偵にでも聞いてみます?副隊長方は…今いないんで隊長にでも聞いてみれば頼めるんじゃないッスかね」
「絶対ヤダ」
「ですよね~」
嫌がるだろうことは想定済みのようで、言ってみただけといった顔で軽く流す悠江。彼からすれば、真実を発見することを生業にしている人間なら一番手っ取り早く敵の目的を聞き出せると感じていたが、同時にあまり頼りすぎるのも怖いと感じていた。
頭が切れる人間に借りを作ると後々何を要求されるかわかったものじゃないからだ。
ここぞという時に依頼する方がいいだろうと悠江は思った。
「となると俺らはしっかり知恵を絞る必要があるッスね。大きな事態を引き起こされる前に」
真剣な顔つきで悠江は語る。その意見には叶未も同意を示す。
「もしかしたら、次は民間人に害が及ぶかもしれないしね」
そうこう話していると駅構内に辿り着いた。横浜駅は人で賑わっていた。
「いい時間なんで何か食っていきます?」
彼がスマホで時間を確認すると正午を回っていた。
「そうだね。せっかくだし、肉食べよ」
「俺は麺類食いたいッス」
「…じゃんけんでもする?」
二人の間の空気が僅かに緊張感に包まれると、人の往来の邪魔にならないように場所を移動して向かい合ってじゃんけんの構えを取る。
「最初は…」
叶未が声を張り上げると。
「何をしておるのじゃ?」
二人の行動を不思議そうに覗き込んだ少女がいた。
「えっと~、君は誰ッスか?」
昼ご飯戦争は一時停戦し、推定迷子の少女に話しかける悠江。
「親御さんとか近くにいる?それともはぐれたの?」
叶未も同じように考えていたからか、柔和な笑顔を浮かべて声をかける。
歳は十歳ほどだろうか。二人にとっては背丈的にそのように思えた。
「叶未さん、そんな顔もできるんスね」
本気で驚いたような顔の悠江に後でどうしてくれようかと頭の中で思案した叶未。
「親などは知らん。妾が誰なのかもよくわからぬ」
自信満々にそう答えた少女に二人は戸惑いを見せる。
「それって、どういう…」
悠江は困惑気味に訊ねる。
「いわゆる記憶喪失というやつかもしれぬな!わっはっは」
清純そうな見た目とは裏腹に豪快に笑って見せる少女。記憶喪失という事態に見舞われていると自分で言っておきながら特に不安といったものは感じさせない。
「うーん、困ったね。どうしたものかな」
これから国軍横浜支部の病院に行くつもりだったために、迷子というか記憶を失くした少女をどうすればよいか悩む叶未。
「まぁ無難に警察に連れていきましょうか。その方が丸く収まるッスよ」
親が登場して誘拐だなんだと騒がれたくない悠江はそう提案する。
「それがいいよね。とりあえず、警察署に先に行こうか」
「警察?そこに厄介になる気はないぞ」
二人の話し合いに少女が割り込む。
「いや、なんでッスか。保護してもらった方が安全ッスよ」
「妾は空の国に行きたいのじゃ。そのようなところへ行っておる場合ではない」
「空の国って天空の国のこと?」
「そうじゃ」
叶未の疑問に対して即答する少女。
「あのねぇ、あそこに行くにも飛空艇のチケット自体取れないんスよ。殺到しすぎて」
「ならばどうにかせい」
不遜な物言いに悠江は少し苛立ちを覚えた。とはいえ、相手は子供である以上すぐに心を鎮めたが。
「ねぇねぇ、もしかして天空の国の住人なんじゃない?」
「永住権を持つ国民ってことッスか?」
「帰巣本能みたいなもので記憶が無くなってても家に帰りたいとは感じてるんじゃないかな」
少女に背を向け、こそこそと二人で会話している。
「だからってどうすることもできないッスよ。やっぱ警察に相談するしかないッス」
「隊長ならどうにかチケット取れないかな」
「隊長に頼り過ぎッス。あと、なんで俺らがこの子の帰宅に付き合うんスか。早く調査に戻らないといけないんスよ」
「なんとなくそうした方がいいと思ったからかな」
「なんとなくで仕事放棄できませんよ。とにかく警察に連れていくッスよ」
「それは困ると言っておろう」
再び、二人の間に割って入る少女。
「急いで帰らねばならぬ。そういう予感がするのじゃ。それにお主らならば信頼できる気がする」
曖昧な予感の話をされても困ると感じながらも真っ直ぐと見据えられ、信頼できると言われて悪い気はしなかった二人。しかしながら、影守隊は公にはなっていない仕事を行う部隊であり存在を容易に知られるわけにはいかない。
この少女を連れ立って歩くのはデメリットしかないのだ。
「叶未さん、かわいそうですけどこっちにも事情があるんスから連れてはいけませんよ」
「それはそうだね」
悠江は天空の国に理由をつけて訪れることが出来るかもしれないと一瞬葛藤したが、すぐに首を振った。
「ならば、ここで泣き喚いてやろうか?それとも、警察についてからにしようか。事情を聞かれればお主らも困るのではないか?」
本当に記憶を失くしているのかと思えるほどの脅迫をかけてくる少女に頬をひくつかせながら悠江は息を吐く。
「じゃあ、後で一旦俺らが住んでるところで預かってもらって、仕事が片付いたら送り届けてあげるッス」
「それは手早く済むのか?」
「まぁ善処はするッスよ」
「まぁよかろう。では頼んだぞ」
なぜ上から目線で物を言われなければならないのかと思いながらも少女の同行が決定した。
不遜な少女が彼らの後ろに加わったのだ。




