第68話 情けは人の為ならず
「ククク。
哀れな犬だな。
独りよがりな敵討ちほど
虚しいものはないだろうに。
お前の飼い主は最後まで
別の男を愛していたというのに」
一文字の声が闇に響いた。
「な、何・・」
僕は顔を上げて一文字を睨み付けた。
「あの日。
砧明日美を『明星学園』の裏門に
呼び出したのは、
交渉をするためだ」
「こ、交渉・・?」
「砧明日美の呪物を10億円で買取る、
っていう金持ちがいてな。
だが。
持ち主のいる呪物を手に入れるには、
そいつが死ぬまで待つか、
もしくは・・殺すしかない」
「10億円のために・・。
明日美を殺したのか・・」
「確かに。
最初はそのつもりだった。
だが。
砧明日美を一目見て気が変わった。
殺すには惜しいほどの上玉だ。
たとえそれが。
呪いによって手に入れた
まがい物の美貌だとしてもな。
だから。
俺は彼女に教えてやったのさ。
呪物を狙っている奴がいることをな。
すると。
彼女は提案してきた。
自分と手を組めば、
どんな願いも叶えると。
悪くはない話だ。
俺は手始めにその体を要求した。
神聖なる教育現場で、
女子高生を抱くのは、
妙な背徳感があって
興奮したよ」
「ふ、ふざけるな!
明日美がそんなこと・・」
その時。
椋鳥の話が頭をよぎった。
明日美は・・。
僕は立ち上がると、
大きく頭を振った。
「じゃあどうして・・。
どうして明日美を殺したんだ!」
「アクシデント。
そうとしか言いようがない。
まあ。
何も考えずに質問をした俺にも
多少の責任はあるが」
「何だと・・」
「ククク。
何気なく聞いたのさ。
新しい彼氏のことを愛してるのか
ってな。
つまり。
君のことをね」
僕はハッと息を呑んだ。
「だって気になるだろ?
対価を払ってまで手に入れた彼氏が
死んですぐに、
隣の家の冴えない餓鬼と
関係を持つなんて、
どう考えてもおかしいからな」
そう言って一文字は「ククク」と笑った。
「もうわかっただろ?
その質問に答えた直後。
彼女は死んだんだ。
残念だよ。
あの顔と体は、
癖になりそうだったのにな」
一文字がカウボーイハットに手を触れた。
「ククク。
所詮、
お前はペットの犬と同じ。
いや。
それ以下かもな。
だから。
ご主人様の仇討ちなんてやめておけ。
短い間でも。
あの体を味わえたんだ、
十分良い思いをしただろ。
まさに『棚から牡丹餅』だ」
「それが・・。
それが・・。
どう・・した・・」
「ん?」
「ペットの犬なら・・猶更・・。
主人の仇を・・。
仇を・・討つだろ・・」
「おいおい。
やめとけ。
本当に大怪我をするぞ」
「やってみろよおぉぉ!
この糞野郎ぉぉぉっ!」
僕は怒りに身を任せ、
一文字に殴り掛かった。
拳が一文字の左頬を捉えるその瞬間、
僕は僅かに力を抜いた。
次の瞬間、
顔面に強い衝撃が走って、
僕は膝から崩れ落ちた。
「ぐぅぅぅ」
強烈な痛みを鼻に感じた。
生温かい液体が鼻から流れ落ちて、
唇を濡らした。
「悪い悪い。
つい反射的にカウンターを
入れてしまった。
鼻が折れたか?
これは治療費だ」
一文字が財布から紙幣を2枚取り出して
空中に放つのが、
涙で歪んだ視界の端に見えた。
「た、足りない・・。
こ、こんなんじゃ・・。
ぜ、全然足りない・・」
僕は鼻を押さえながら立ち上がった。
一文字の目が大きく見開かれた。
「・・お前。
何か企んでるな?
言え!
何を企んでる?」
僕は首を振った。
「何も・・。
ど、どうしたんだよ。
僕が怖いのか?」
「強がるな。
俺の前で嘘を吐いたら。
後悔するぞ?」
「は、ははは・・。
後悔させてみろ・・よ」
一文字が大きく溜息を吐いた。
「仕方がない。
なら死ね!」
ふいに。
何か見えない力によって、
口がこじ開けられるのを感じた。
同時に。
舌が強く引っ張られた。
「あげぁああぁぁあああぁぁ」
喉の奥から
メリメリメリという
張り付いていた肉が
無理やり引き剥がされるような音が
聞こえてきた。
『明日美っ!
お前の仇は・・!』
僕は心の中で叫んだ。
次の瞬間。
バチバチバチッ!
と舌の根元が
引き裂かれるような音と共に、
喉の奥に焼けるような痛みが走った。
僕は堪らず地面に倒れ込んだ。
目の前に、
スーパーで見かける
ささみ肉のような塊が転がっていた。
口の中に鉄の味が広がり、
大量の血と共に涎が溢れた。
ふと口が軽くなり、
僕は慌てて口を閉じた。
涎の混じった血が口内を満たし、
僕は必死にそれを飲み込んだ。
すぐに咽て吐き出した。
視界が霞んで、
次第に意識が遠のいていった。




