第69話 約束
10月になった。
夜風はやや冷たく、
時折頬をかすめる気配に、
確かに季節の移ろいを感じた。
ネオンに煌めく雑踏の中、
笑い声と遠くで鳴るクラクション。
それらが混じり合い、
歓楽街特有の騒めきを形作っていた。
私は日付が変わる前に
『エデン』の扉を叩いた。
店に入って、
名前を告げると、
VIPルームに通された。
部屋のテーブルの上には
アルマンドのシルバーが置かれていた。
しばらくすると。
ラメの入った紫のスーツを着た
酷くやつれた顔の甘粕が入ってきた。
甘粕は私の隣に座ると、
シャンパンを開けて
2つのグラスに注いだ。
「申し訳ないのですが。
今日はそれほど手持ちがなくて・・」
私が口籠ると、
甘粕は怪訝そうに眉をひそめた。
「あん?
どうしたんだよ?
金は腐るほどあるんだろ?」
「そのはずでしたが。
こちらにも色々と事情がありまして。
資金が底をつきました」
「へぇ。
そりゃ災難だな。
ま。
俺の奴隷生活に比べたら、
マシだと思うぜ」
甘粕は力なく笑った。
「それはそうと。
一昨日のニュースを見たぜ。
允恭町の屋敷で血塗れの遺体が
発見されっていうヤツだ。
あのおっさんに渡すはずだった
牡丹の経血を使ったな?
確か死人の名前は・・」
「そのことですか・・」
私は溜息を吐き出してから、
小さく首を振った。
「ま。
詮索するつもりはねーけど・・」
甘粕はばつが悪そうに頭を掻いた。
「御堂関白。
この呪物の持ち主だった・・男です」
そう言って私は
バッグから取り出した呪物を
テーブルの上に置いた。
甘粕が眉をひそめた。
「あなたは約束通り、
浮橋を見殺しにしてくれました。
ならば。
私もあなたとの約束を
果たさなければなりませんから。
この呪物を使えば。
あなたは恋人の呪縛から
解放されるでしょう」
甘粕の目が大きく見開かれた。
「なっ・・。
ま、マジかよ!」
甘粕が呪物に手を伸ばした。
「その呪物は
『只より高い物はない』
という戒めを体現した物です。
どんな願い事も叶えてくれる代わりに、
その願いに見合った対価を
支払わなければなりません」
「心配ねーよ。
今の奴隷生活から解放されるなら、
俺はどんな対価でも支払うぜ」
私の忠告も
甘粕の耳には届いていないようだった。
甘粕は両手で包み込んだ呪物を
恍惚とした表情で愛でていた。
その様子に私は狂気を感じた。
心の奥底から強く願う者は、
呪物に好かれる。
故に呪物を引き寄せる。
そして。
呪物を扱う者は呪物に憑かれる。
今の甘粕は、
すでに呪物に憑かれているように見えた。
「そうそう。
今日は俺の奢りだ。
好きなだけ楽しんでいってくれ」
呪物を見つめたまま甘粕はそう言った。
「気を付けて下さい。
人の欲望には際限がありません。
1つ願いが叶えば、
もう1つ。
そしてまた1つと。
次第に
深みに嵌ってしまうのではないかと」
私は小さく溜息を吐いてから、
グラスにそっと口をつけた。




