第56話 正体
夕暮れ時の歓楽街は
夜の店へと出勤する男女の姿が
疎らに見えるだけだった。
源之介が死んでから、
今日で丁度1か月。
一文字に呼び出された私は、
重い足取りでその背中を追っていた。
その時。
向こうから歩いてくる男が、
ふと目に入った。
ダークブラウンのやや長めの髪。
前髪を無造作に流したその男は
派手なスーツを隙なく着こなしていたが、
シャツのボタンが1つだけ外れていて、
どこか退廃的な気配を漂わせていた。
男は驚くほど整った顔立ちをしていた。
しかし。
その表情は暗く疲れているように見えた。
すれ違い様、
仄かにムスクの香りが漂ってきた。
その余韻が、
いつまでも鼻の奥に残った。
やがて。
ラブホテルがひしめき合う一角に出た。
一文字はその中の1つ
『マーメイド』
へと入っていった。
私は周りに人がいないのを確認して、
急いで後に続いた。
一文字は部屋に入るなり、
備え付けの冷蔵庫から
缶ビールを取り出した。
そしてベッドにドンッと腰を下ろした。
「結論から言うぞ。
櫓源之介を殺したのは、
浮橋一夫だ」
その名前を聞いて、
私はハッと息を呑んだ。
バッグをテーブルに置いて、
ゆっくりとソファーに座った。
「浮橋・・」
「ククク。
世間は狭いな。
まさか砧明日美を犯した糞野郎が
犯人だったとはびっくりだ」
浮橋がプシュッと缶ビールを開け、
ゴクゴクと流し込んだ。
それから「ぷはー」と息を吐き出すと、
徐に話し始めた。
浮橋一夫は領家町にある
2階建ての木造アパート
『コーポ荘園』で1人暮らしをしている。
日中は昼過ぎまで寝て過ごし、
起きたらパチンコか競艇に出掛け、
夜は飲み屋で潰れるまで飲む。
臨時収入があれば、
女の子のいるお店に繰り出す。
そんな自堕落な生活を送っていた。
浮橋の監視を始めて5日目。
その日の夕方。
浮橋は家を出ると、
電車で稲置駅へ向かった。
そして。
駅前の広場の片隅にある花壇に
腰を下ろし、
何をするでもなく
ぼうっと周囲を窺っていた。
しばらくすると。
茜色の空の下に、
下校途中の学生達の姿が、
あちらこちらに見え始めた。
浮橋はその流れから外れたところで、
駅前の人波を観察していた。
やがて学生の数が減り始めると、
広場は仕事帰りの人々で埋め尽くされた。
スーツ姿の男達に混じって、
制服姿の女性や、
派手な服装に身を包んだ女の姿もあった。
その時。
浮橋が動いた。
浮橋は立ち上がると、
駅から出てくる人波に紛れ込んだ。
駅前の横断歩道は赤信号だった。
流れていた人波が止まり、
浮橋も列から少し離れた場所で
立ち止まった。
「竹下昇!」
ふいに浮橋が叫んだ。
と。
人波の先頭で信号を待っていた
1人の中年の男が振り返った。
同時に。
男の目が大きく見開かれた。
すぐに異変が起きた。
男の頭は振り返ったまま止まることなく、
さらにゆっくりと回り続けていた。
ミシミシという音が
聞こえてくるようだった。
周りの人々が何事かと
男に注目していた。
次の瞬間。
バチッという
何かが切れるような音がした。
男の頭が真後ろを向いていた。
男は白目を剥いてその口からは
涎に混じって赤い血が垂れていた。
それでもまだ男の頭は回り続けていた。
ゴッゴッという
骨が削られるような音と共に、
男の頭は1回転してから
ふたたび正面に戻った。
そして。
男はそのまま地面に倒れ込んだ。
その時丁度、
信号が青に変わって、
悲鳴と共に人々が散っていった。
いつの間にか浮橋の姿も消えていた。
この1か月の間。
浮橋は日が暮れてから、
町を彷徨い歩いた。
そして。
時には人気のない路地で。
時には繁華街の喧騒の中で。
またある時は日の落ちた住宅街で。
浮橋は後ろから声を掛け続けた。
名前を呼ばれた者がその声に振り向くと、
首が捻じれ、
瞬く間に息絶えていった。
「奴の呪物は、
名前を呼んで振り返った人間の
命を奪うというもの。
まさに人を殺すためだけにある
呪いの力だ」
一文字はふたたび缶ビールに
口をつけると、
コクコクと流し込んだ。
「もう1つ。
浮橋はこの1か月の間に2度、
甘粕竜次という男と
接触を図っている。
2度とも現金の入った封筒を
受け取っていたが、
2度目は封筒に加えて、
怪しげな小瓶も受け取っていた」
「甘粕竜次・・ですか」
「ああ。
葛城町にあるホストクラブ
『エデン』の売れっ子ホストだ」
「もしかして。
浮橋はその甘粕から
殺人の依頼を請け負っていた。
そうは考えられませんか?」
「残念だが。
それは的外れだ。
浮橋が殺した奴らは、
櫓を除けば、
皆過去に浮橋と
因縁のあった人間ばかりだ。
つまり。
浮橋の私怨だ」
「それが本当なら。
なぜ源之介は殺されたんですか!」
一文字が「ククク」と笑った。
「櫓のことになるとムキになるんだな。
俺に抱かれたのも。
俺と櫓が似てるからだろ?
御堂は知ってるのか、
お前の気持ちを?」
「・・余計な話はやめて下さい」
私は一文字から目をそらした。
「ククク。
ま・・いいだろう。
兎に角。
櫓を殺した犯人は見つけ出した。
次はお前が約束を守る番だな」
そう言って一文字は座ったまま
ベッドを叩いた。
「こっちへ来い」
「・・先にシャワーを浴びてきます」
私は小さく溜息を吐いて立ち上がった。
バスルームへ続くドアを開けた時、
ふいに腕を掴まれた。
「ちょ、ちょっと・・」
私はそのまま腕を引かれて、
ベッドの上に押し倒された。
「待って下さい!」
私は声をあげた。
次の瞬間。
パンッという破裂音と共に、
左頬に痛みが走った。
一瞬何が起きたのかわからなかった。
「黙ってろ」
一文字の声はいつもと違って、
低く濁った声だった。
私は自分が打たれたことを悟った。
間を置かず、
一文字が私の上に覆い被さってきた。
続けて。
ビリビリビリ
という生地が裂ける音と共に
服が引き裂かれた。
「い、いやあぁぁぁぁぁ!」
私は声の限り叫んだ。
パンッ!
という甲高い破裂音と共に、
右頬が熱くなった。
同時に口の中に鉄の味が広がった。
「さあてと。
契約通りに好きにさせてもらうぜ。
俺は女を乱暴に犯すのが大好きなんだ」
悪魔の声が耳に響いた。




