第46話 『Luna Plena』
ランチを終えて店を出ると、
真夏の熱気が肌にまとわりついた。
強い日差しと照り返しに目を細めながら、
私は人通りの多い通りを抜けて、
1つ裏の路地に入った。
喧騒が遠のき、
空気が僅かに淀んだ気がした。
見慣れたはずの景色が、
なぜかひどく遠く感じられた。
やがて。
目的の雑居ビルが見えてきた。
宿禰市波多町1丁目2の3にある
『波多第一ビル』は
築50年は経過しているだろう。
外壁は黒ずみ、
その色褪せた看板の文字も
半分以上は消えかかり、
「ミタ竹 ビノ」としか読めない。
5階建てで、
エレベーターもない。
私はビルの前で足をとめた。
小さく息を吐いて、
バッグの持ち手を握り直した。
それからいつものように、
重いガラス戸を引いて足を踏み入れた。
中に入ると、
ムッとする熱気が体を包み込んだ。
薄暗い廊下には昼間だというのに
蛍光灯がチカチカと点滅していた。
私は入り口のすぐ横の階段を上った。
4階に着く頃には、
じわりと汗が滲んでいた。
廊下を奥へ進んで
3つ目のドアの前に立った。
ドアには
『Luna Plena』
と書かれた無機質な白いプレートが
貼られていた。
ドアの向こうから洩れ聞こえてくる声に、
私は耳を澄ませた。
「・・噛み切って溺死していたのは、
俵総太。
50代の元指定暴力団員だ。
次に。
一昨日。
本所町のマンションで、
横笛美佳という女性が死亡した。
死因は失血死。
全身から血を噴き出していたが、
外傷は1つもなかったそうだ。
これらはいずれも。
呪いの仕業と考えられる。
1件目に関しては
現場から立ち去る不審な男がいた、
という目撃情報があった。
その男を探ったところ、
浮橋一夫という
40代の無職だと判明した。
そして。
この男は横笛美佳とも面識がある。
2件の不審死に
関係しているという点で、
もう少しこの男を
探ってみる価値はありそうだ。
それともう1つ別件になるが。
先月半ばに、
稲置市にある『明星学園』の
生徒が襲われた事件だが、
同時刻に離れた場所で
3人の生徒が襲われている。
そのため。
警察はそれぞれ別の事件として
捜査を進めているが、
これも呪いと考えれば納得がいく。
兎に角。
『明星学園』の方は京花に任せよう」
「報告はそれだけか?」
「えっ?
あ、ああ・・」
「はっ!
馬鹿が!
そんな報告はどうでもいい!
金はいくら使っても構わんっ!
さっさと例の呪物を探して持ってこい。
この世に
金で買えないモノなんてないだろっ!」
私は小さく溜息を吐いた。
そしてゆっくりとドアを開けた。
ひんやりとした空気が
頬を撫でると同時に、
煙草の匂いが私の鼻腔をくすぐった。
こざっぱりとした部屋の中には
2人の男がいた。
奥の机の前で
こちらに背を向けて立っているのは、
ダークグレイのスーツに
身を包んだ櫓源之介。
そして。
机の椅子に
黒緑の羽織を着て、
尊大に座っているのが、
『Luna Plena』の代表である
御堂関白
だった。
齢80歳。
年の割に毛量の多い
艶のある真っ白な長髪を
後ろに流していて、
その顔には深い皺が刻まれていたが、
肌は蝋のように滑らかだった。
長い白眉の下の眼光は鋭く、
大きな鷲鼻と血色の良い唇からは
老人とは思えない
若々しさが満ち溢れていた。
「もう少し声を落として話して。
外まで聞こえてるわよ」
2人が私の方へ目を向けた。
「京花か・・」
関白の蛇のような視線が、
私の体を舐めるように這った。
一方。
源之介は目を細めた。
「心配しなくても。
誰もこんなビルには入ってこないさ。
それよりも。
聞いていたのなら話が早い。
『明星学園』の件、
任せてもいいかな?」
「え、ええ。
でも。
それには3人に呪いをかけた人物を
特定しないといけないのよね?」
「犯人の目星は付いてる。
1人は三宝院崇という生徒さ。
こっちは愛する女を手に入れるために、
上京を呪い殺した。
岩倉と西陣を殺したのは、
動機を隠すためだろう」
愛する人を手に入れるために・・。
私は源之介から目をそらした。
「ただ。
あの事件が起きてすぐ。
彼に接触したけど、
『呪い』という言葉を出しても
反応が薄かった。
そこが少し引っかかってね。
もしかしたら。
彼は呪いはと知らずに、
力を使っているのかもしれない」
「もしそれが本当なら。
すごく危険なことね。
それで。
1人は・・っていうことは、
他にも容疑者がいるの?」
私は改めて源之介の顔を正面から見た。
源之介が小さく微笑んだ。
「ああ。
もう1人。
3人が襲われた日の夕方。
松葉肇という生徒が、
怪我をしている。
恐らく。
その怪我は
日頃から彼をイジメていた
岩倉と西陣によるものだろう。
そして。
彼はその日から学校を休んでいる」
「つまり。
イジメの被害者である松葉肇が
加害者達に復讐した?」
源之介は静かに頷いた。
「ただ。
そうなると。
上京が殺された理由がわからない」
「・・そうね。
でも。
どちらにしても。
そういう性質の呪物なら。
私達の探してる物とは
関係がなさそうだけど・・」
私が関白の方を見ると、
関白は興味なさそうに机の上の本に
目を落としていた。




