第37話 ペトリュス
「すまねえな、
いきなり訪ねてきたりして」
浮橋はリビング全体を
ゆっくりと眺め回すと、
75インチの液晶テレビの横に
置かれている写真立てを覗き込んだ。
「構いません。
ジェラのことは
私も気になっていたので」
「ここで男と暮らしてるんだって?}
「・・はい」
牡丹が静かに答えた。
「男の稼ぎが随分といいんだな。
俺とは大違いだ」
浮橋は「へへへ」と自虐的に笑うと、
リビングのL字ソファーに
ドスンと腰を下ろした。
「お飲み物は何がいいですか?」
牡丹がダイニングキッチンから
呼びかけた。
「へへへ。
気を遣わなくていいぜ。
話が終わればすぐに帰るからよ」
「赤ワインでいいですか?
実は昨日、
ペトリュスを頂いたんです。
確か。
以前お店で頼まれていましたよね?」
「ひゅぅ。
そりゃありがたいね」
浮橋が口笛を鳴らした。
「それで。
お話とは?」
ワイングラスを2つ手にした牡丹が
ソファーの角を挟むようにして、
浮橋の隣に腰を下ろした。
浮橋はグラスに手を伸ばしかけたものの、
すぐに飛びつくのは卑しいと思ったのか、
慌てて引っ込めた。
そして。
取り繕うように
白髪交じりのボサボサの髪を掻くと、
わざとらしくゴホゴホッと咳をした。
「変なことを聞くけどよ。
ひと月ほど前。
ジェラがここを訪ねてきただろ?
ジェラは『呪いをかける』
っつてたんだ。
あんたとその彼氏にな」
そして浮橋は牡丹の方をじっと見た。
「呪い・・ですか?」
「ああ。
馬鹿みてえな話だろ?
でも。
あいつは実際に死んじまった。
そもそも。
どうしてジェラはあんたらを
呪うなんて言い出したんだろうな?」
牡丹は小首を傾げると、
小さく息を吐き出した。
「それは・・。
多分、
私がジェラの好きだった人を
奪ったからだと思います」
そう呟くと、
牡丹は男を巡る三角関係について
語り始めた。
「つまり・・。
あんたと甘粕っていう男の関係に
嫉妬したジェラが、
呪いをかけようとしたってことか?」
牡丹が無言で頷いた。
「実際に。
私達には
呪いがかけられていたと思います。
あの時のジェラの目は・・。
普通ではなかったですから」
「ちょっと待てよ。
ジェラの呪いっつうのは、
2人が離れ離れになったら
死んじまうってことだったよな?」
牡丹がふたたび頷いた。
「はい。
ジェラは『同じ穴の狢』
って言ってました」
「でもよ。
結局、
その呪いはまったく効果がなかった。
そういうことだろ?
現に今、
甘粕はここにいないんだからな」
牡丹は今度は小さく首を振った。
「それは・・。
私にはわかりません。
ですが。
呪いは本当に存在するんです」
「おいおい。
何を言ってるんだ?
言ってることが滅茶苦茶だぜ。
それにだ。
呪いなんてあるわけねえだろ」
浮橋がムキになって否定した。
「ふふ。
最初に呪いの存在を口にしたのは、
貴男の方ですよ?」
牡丹が微かに微笑んだ。
「そ、そりゃ・・そうだが・・」
浮橋は額に浮かんだ汗を
そっと手で拭った。
「何だか暑いな」
浮橋はグラスを手に取り、
一気に呷った。
「・・そう言えば。
ジェラは全身から血を噴き出して
死んでいたそうですね。
一体どうやったら、
そんな風に
人を殺せるんでしょうか・・」
牡丹はぽつりと呟くと、
グラスを手に取って徐に口をつけた。
直後。
浮橋の眉がピクリと動いた。
「ちょっと待てよ・・。
どうしてそれを知ってるんだ?
ニュースでは
『血まみれだった』
としか報道されてねえぜ?」
次の瞬間。
浮橋の目と口が大きく開き、
顔が歪んだ。
「あがぁぁぁ・・ぐぁぁぁ」
続いて浮橋の手が
喉の辺りを掻きむしった。
「あげぇぇぇぇぇぇっ」
言葉にならない叫び声をあげ、
浮橋はソファーに倒れ込んだ。
その手が宙を掻き、
テーブルの上のグラスに当たった。
ワイングラスが落ちて、
床を赤く濡らした。
やがてその手の動きも弱まり、
力なく垂れると、
そのまま動かなくなった。
牡丹はパチパチと目を瞬かせて、
無言でその様子を眺めていた。




