第30話 毒
6月も半ばを過ぎたある日。
その日は朝から雨だった。
昨夜。
牡丹から連絡があり、
アタシは今日、
こうして
牡丹と竜次の愛の巣を訪れている。
舞鶴町5番地にある
50階建てのタワーマンション、
『Royal Hills』の4902号室。
推定家賃は80万円といったところか。
「へぇ。
広くて綺麗な部屋だね」
玄関から続くリビングを見回しながら、
アタシは手土産のケーキ箱を
牡丹に渡した。
「そこのテーブルに座ってて。
今コーヒーを淹れるから」
アタシは言われるがままに
ダイニングキッチンのテーブルに
腰を下ろした。
窓の外では、
絶え間なく雨がガラスを叩いていた。
「竜次はいないんだ?
まだ仕事前だろ?」
「うん。
パチンコに行ってくるって。
でももうすぐ帰って来ると思う。
ジェラが来ることは伝えてあるから」
逃げたか・・。
ま。
アタシとしては戻ってくるまで
ここで待たせてもらうつもりだけど。
何せ。
2人揃ってからでないと意味がないから。
「わあ、美味しそう」
しばらくすると。
コーヒーの香りと共に、
牡丹がケーキを運んできた。
牡丹はアタシの向かいに座った。
「このコーヒー。
コピ・ルアクっていう
貴重な豆で淹れたんだよ。
ジェラが来るから用意したの」
そう言って牡丹はにこりと微笑んだ。
「へぇ。
アタシにはコーヒーのことなんて
さっぱりだけどさ。
そんなに気を遣わなくていいんだよ」
「ううん。
退院してからバタバタしてて、
ジェラには何も
お礼ができなかったから」
「気にしなくていいんだよ。
大した事はしてないんだからさ。
それより。
どうなんだい?
竜次とは上手くいってるのかい?」
「うん」
牡丹は俯くと、
嬉しそうに頬を赤らめた。
「へぇ。
幸せって顔に書いてあるよ。
でもさ。
気を付けなよ。
人はそう簡単に変わらないから。
特に。
男なんて頭の中はアノことしか
考えてないんだからね」
アタシは小さく溜息を吐くと、
そっと左ポケットの中の呪物を触った。
つるりと滑らかな感触と、
ひやりとした冷たさが
指先に伝わってきた。
「大丈夫。
人は命がかかってると必死になるから」
牡丹が意味不明なことを言った。
もしかすると。
次に浮気をしたら
今度こそ本気で死ぬと
脅したのかもしれない。
命を人質に相手を縛るのは愛じゃない。
今からそれを教えてあげる。
アタシは右手でカップを手に取った。
コーヒーの香りに混じって、
土臭いような
それでいてどこか生臭いような香りが
鼻に抜けた。
口をつけると、
微かな甘みの中にフルーティーな酸味、
それと僅かばかりの鉄の味がした。
確かに。
これまで飲んできたコーヒーとは
一風変わった味がした。
ただ。
それが美味しいかと聞かれたら、
首を傾げざるを得ない。
世の中。
高価な物が
必ずしも美味しいとは限らない。
価格はその物の価値を計るが、
それが常に正確であるとは限らない。
そして売り手は
商品の価値を高めるために広告をうつ。
いわば。
広告は詐欺に近い。
そんなことを考えていた。
その時。
ふと。
胃の中で何かが暴れ出した。
それはまるで
爆竹が破裂しているような感覚だった。
同時に。
喉が焼けるように熱くなった。
「あがあぁぁぁぁ」
アタシは堪らず叫び声を上げた。
毒。
瞬時にそう思った。
同時に疑問が浮かんだ。
なぜ?
その時。
目の前に座っている牡丹が
小さく笑っているのが見えた。
・・気付いている。
牡丹は竜次の浮気相手が
アタシだということに気付いている。
そこまで考えた時。
左ポケットの呪物が
重くなったように感じて、
アタシはそのまま椅子から崩れ落ちた。
そして意識が遠のいた。




