ドブロブニクの南京そば
どうやら、ドブロブニクだった。
入江の岩肌の石灰岩にオレンジの屋根がまぶされキラキラ溶け出すように丸まっていたから、クロアチアにある世界遺産のアドリア海の真珠と評されるドブロブニクなのはすぐに分かった。
むろん、そんな雲をつかむような世界の果てまで行ったことはない。
写真と映像とそれに付記されている知見の中でのことだ。だから、線を伝うようにドブロブニクと迷わなかった。
そこの1軒だけある南京そば屋に入いる。
大勢の観光客がくる世界遺産だから、中華を張ってるレストランは他にもあるだろうが、明治の日本に入りたての中華そばをいまだに南京そばのまま出しているのは此処だけだ。
店の主は、圓生だった。皇后陛下の古希祝いにと「お神酒徳利」を披露した昭和の名人の六代目三遊亭圓生だった。
その名人が、たんたんとひとり南京そば屋を張っている。
噺のほうは、あんなたくさんの持ちネタがあるのに、此処では南京そばと南京そば大のふたつがあるだけだ。
それを、将棋盤でも拵えそうな本榧の表札に黒々の筆文字で掛けて、「それ以外はどう頼まれたってやらねぇよ」と、生きてた頃と同じ意固地な顔でわたしの注文を待っている。まったくに大人げない。
「ひとつください」と言ってみた。
大はつけなかったから、たぶんこれが普通盛りなんだろうなというのが皿鉢に盛られ出てくる。皿鉢から溢れないよう薄く張られた汁に浸けるように真四角の麵が載せられている。本場高知の皿鉢料理のように、真四角な麵の縁は威勢よく鉢からはみ出し、お客はそれを落とさないよう汁の詰まった真ん中へんに寄せながら切り分け切り分け食っていく。
もちろん、店主は横から食べ方の作法なんて解説しない。天下の名人の圓生が、そんな田舎くさい野暮な真似をするはずがない。
これが正しいのか正しくないのか、真四角の一枚こっきりの麵をそんな風に汁に浸けながら、それでも味触感とも美味しくいただいた。
「ごちそうさまで」が素直に出てきた。
間を置かず「おそまつさまで」が、むかしのあの声で返ってくる。そのまま奥にでも引っ込まれたんではと思い、意を決して聞いてみる。
なんで・・・・
そのきっかけで間にあった結界は取り払われる。圓生は、高座のときと同じに前に置いた扇子を拾うと、「あんた、百年前に南京町で、食ったことあんのかい」とすごんだ顔で一言いって、元のように扇子を置く。一席終えたように羽織の抜けたままの格好で奥に引っ込んだ。
わたしは、金を置いて店を出るよりしょうがなかった。
もっと聞きたいことはあったのだ。こんなドブロブニクまで来たのにと、悔やんだ。でも、あんな顔で追ったてられたら、店を出るよりしょうがないんだ。
真打になった圓生に養父が小言を言った。どうしてお前は皮をむかないんだと、自分というものを見せないんだと。さんざんに言ったのに、会長になっても勲章をもらっても、あたしゃ芸人ですから人柄なんざぁ褒められなくたっていい、芸の善し悪しだけ観てもらえりゃ十分でさぁを貫いた。
それで死んでいった圓生だから。




