前方後円の夜
ひさしぶりのジョギングだった。実の日常でもここ10年ジョギングはしたことないから、夢の中でも久しぶりの感じがした。歩くよりは早いが歩くのと同じに同じペースでひたひたと進んでいく。
真夜中なのか真っ暗闇だった。
夜のジョギングのように瞬く灯りの中に生活のひだが続いている処でなく、平たくなった暗闇だけが層をなして次々に目の前を立ちんぼしてくる真っ暗闇だった。
その層をかいくぐるように真っ直ぐに進んで行くと、そこから急に縁に変わっていって、120度右にそれなければいけなくなっているのが分かった。分かっていたから、走りを止めずに沿って続けることができる。
分かっていくには灯りは必要だ。実の明るく照らすものでなくても、先の見える灯りが。
灯りは、自分さえ見えてればいいのだから、本物でなくても、いい。300メートル上空まで俯瞰して、そこからいままでの足取りとこれからの足取りをちまちま貯金するように緑色した蛍光塗料でなぞっていく。
120度右にそれた辺りから、経路は丸くなる。
縁だと思っていた丸みは案外に大きく、直線を凌いだ円周で、倍近くを丸く進んでいったら、もう一つの120度右が現れ、直線へと続き、方であるそれを描くように、80度した角を二回繰り返したあと、始めた地点に戻っていく。
前方後円墳で最大の仁徳天皇陵だった。
そこのいまは井戸水を張って、濠になった底を延々と進んでいる。3周までも回ったのだから、形も大きさも仁徳天皇陵なのは間違いない。水を張った濠の底を走ったことはないけれど、この形と大きさなのは仁徳天皇陵だけだから、間違いない。
これだけ広いのを3周も回ったからか、中が開ける。
中といっても前方後円墳の中ではないらしい。街中の、店ではないが不特定多数が深夜に関わらず大勢が屯するそうしたスペースだ。
真っ暗闇と正反対の白熱灯が煌々と差している。これだけ眩いのに熱さの方はぜんぜんだから、LEDを使ってなのか、此方までには皮膚感覚は派生して呉れないのかのどちらかだ。
眩いのには理由がある。無駄に此処だけ明るくしてるわけでない。
作業に集中しすぎて男女も老若も見分けがつかくなったような人たちが、懸命に作業している。やってるのは皆んな一緒だ。少し厚みのある10センチ幅のテープから予め点線の施されてる前方後円の方や円を傷つけないようにくり抜く作業をひたすら延々と続けているのだ。
楽しみでない。しかし、給金をもらってするようなワークでもない。文句をいわず、ただただ延々ひたすらやっている。こんな真っ白白に明るくされては終わりは来ないだろうと、そうそうわたしは此処を切り上げる。
おなじ前方後円なら、仁徳天皇陵の濠を走ってる方がましだ。真っ暗闇だから、いずれそちらは終わりがあると、わたしはまだ夜の方についていく。




