0021
風の神に護られし都、ヴェネトス公国。
建国の頃より学術都市としても名高いこの国は、しかし貴族達による派閥争いの絶えない闇の一面が色濃く残る。
そんな貴族が集う都市、ノービリア。
王族の別邸や、公爵の邸宅さえも建ち並ぶ美しい街の遥か上空から、レヴィは翼を羽搏かせて金の瞳を細めていた。
アールから話を聞いた後、転移魔法さえ使わずにレヴィはその地へと飛んだ。
「ここが⋯アリアの生まれた街か⋯⋯」
『クラルス侯爵家、それがあの少女の生家だ』
古き友の言葉を脳内で反芻させながら、神の【眼】を使い格式漂う街並みへ視線を巡らせていく。
アリアが内包する魔力と似た色を探せば、目的とする家は難なくその目に留まった。
広い都市の一画、 見た目だけは華やかな街の片隅で、荒れた庭を有する大きな屋敷。その奥から、少しだけアリアと似た魔力が感じられた。
雲よりも高い位置から見下ろすレヴィは、即座に自身へと幻影魔法を施す。それはレヴィよりも卓越した術者でなければ看破の出来ない、姿を空気中へと溶け込ませ不可視とさせるもの。
準備を整えたレヴィは四枚の翼を大きく羽搏かせて、地上へと急降下していく。
目指すのは当然のように、旧クラルス侯爵家の邸宅。
『公国の女王に仕えるクラルス侯爵家に対して、シエンツァ伯爵家は先代の頃から落ち目だったんだ。だから今代の当主は、クラルス家を追い落とそうと暗躍し続けた⋯』
聞けば聞くほど、愚かとしか思えなかった。
そうして僻みの対象となった侯爵家は、在るべきはずの幸福を人の手によって歪められ、末の子であるアリスティアの運命さえも壊してしまった。
苛立つ心を鎮めながら、レヴィはその地へと降り立つ。辛うじて没落には至っていない侯爵の屋敷は、門にまで雑草が茂るほどの荒廃ぶりを見せていた。
ふわりと跳躍し、締め切られたまま錆びつく門を飛び越える。元は色とりどりの花が咲き誇っただろう前庭を通り抜け、レヴィはしんと静まり返る屋敷へと辿り着いた。
人の気配はほとんど無い。今尚この屋敷に残るのは、それこそ侯爵家に未練を抱く者か、はたまた自分と同じ侵入者か⋯。
蝶番の軋む音を聞きながら扉を開け、ゆっくりと足を踏み入れていく。
長年に渡り放置されていたのか、外からの緩やかな風が入り込むだけで、積もりに積もった埃が舞い上がった。瞬時に薄い水の膜で全身を覆わなければ、吸入してしまっていただろう。
『それでもね、クラルス侯爵家は抗った。代々に渡って優秀な魔道士を輩出する血筋でね、僕も何人かは会ってあげた事があるんだよ』
屋敷の中は、まるで何者かの襲撃を受けたかのような有様だった。家財道具は倒れ、壁にも焼け焦げた痕と、黒く変色した飛沫が散見される。
多くの魔道士を抱えるという侯爵家にありながら、何故これほどの惨事に見舞われたのか。レヴィは悔しげに両手を握り締め、ゆっくりと歩を進めてエントランスを抜ける。
そして金の瞳に映るのは、二階へと続く大階段の正面。高い位置に掛けられた、一枚の絵画。
「⋯⋯⋯アリア?」
額縁は欠け、絵具も乾き切ってひび割れている。けれど今も尚象徴のように飾られている絵には、深い緋色の長い髪を垂らし、柔らかに微笑む美しい女性の姿が描かれていた。
『そんな中でもね⋯今代の夫人は特に優れていた。癒やしの力は、僕らとも遜色が無いほど。その力は、公国に蔓延した流行病の鎮圧にも振るわれたものさ⋯』
飾られた絵画の中で微笑む女性の姿から、レヴィは目を逸らせなかった。僅かに見開かれた金の瞳を縫いつけたまま、朽ちた大階段をゆっくりと登っていく。
「⋯⋯これが、アリアの母親か?」
今も部屋で眠っているだろう、無邪気な少女と良く似た顔立ち。髪も瞳も、母譲りなのだと一目で分かるほど。
そしてレヴィは想像を膨らませる。
今はまだ子供にしか見えないアリアも、この肖像画の中で微笑む女性のように、気品ある美しい淑女へと成長する可能性を。
踏みしめる度に軋む階段を上り、踊り場の壁から見下ろす侯爵夫人の容姿を、レヴィは静かに見つめ続けていた。
『けれど、人々を救い続けたクラルス侯爵家の魔道士もまた、人間。病魔は彼らにも牙を向いてね⋯一人また一人と、倒れていったんだ⋯』




