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無駄足だった⋯そう考えたレヴィは即座に踵を返し、アリアが眠るあの部屋へ戻ろうとした。しかしアールは、そんなレヴィを引き留めた。
「待ちなよ、レヴィ」
振り返ること無く、レヴィは意識だけを背後へと向ける。
「珍しく人間に入れ込んでいる君のために、ひとつ助言をあげよう」
啓示と、そして循環を司る風の神。古き友の目は、レヴィには見えない深淵の流れを捉えている。
だからこそ、風の竜は告げた。
「あの少女にこれ以上深入りするのは、やめた方がいいよ」
友を思うが故の、それは忠告。
「僕ら竜と、人は違う。種も、寿命も、価値観もね」
「⋯そんな事は知っている」
アールが言わんとしている事を、レヴィも理解はしている。掴み所のない性格をしていながら、慈愛と思慮に溢れた風の竜が心から自分を案じていると。
「いつもの気まぐれであの子に同情しているだけなら、あの人間達に託して、君は早く身を引くべきだよ?」
過去にもこうして、レヴィは人の暮らしへ関わりに行く事が度々あった。
だがどれだけ擬態していても、種の違いが露見すれば恐れられ、寿命の違いからレヴィはいつも取り残され、価値観の違いから軋轢すら生んだ。
その度に傷付くレヴィを見てきたアールは、アリアへの傾倒を戒めようとする。
「⋯⋯⋯あんな人間、初めてなんだ」
「え⋯⋯?」
アールへ背を向けたまま、レヴィは絞りすような声で返す。
「欲が無い。我が儘も言わない。竜を見て綺麗だと、訳の分からない事を言う。己が、どれだけ劣悪な境遇にあったかも自覚していない⋯⋯」
同情などと言う半端な感情は、たった数日で塗り替えられていた。
「もう少し⋯教えてやらなければ、託すも何も無いだろう⋯」
親心にも等しい想いを抱き、アリアの笑顔を思い出す。
どんな苦境であろうとそれを表には出さず、朗らかに笑う彼女の表情を思い浮かべると同時に、レヴィは心の中が満たされていくと感じた。
悠久の生に辟易していたレヴィにとって、それは初めての強烈な輝き。
今一度、レヴィはアールへと振り返り、古き友を真っ直ぐに見つめた。
「⋯⋯レヴィ?」
その表情を見て、アールは金の瞳を見開く。
千をゆうに超える年月の中で、初めて目の当たりにする穏やかな顔。
圧倒的な優しい心を持ちながらも、冷ややかな表情を変える事は滅多になかった水の竜。しかしその瞳からは、氷のような鋭さなど微塵も感じられない。
「⋯⋯⋯君を、ここまで変えたんだね⋯あの少女は」
どこか嬉しそうに表情を緩め、ゆっくりと目を閉じるアールも、レヴィに感化されて心を決める。
「彼女の母親はね、生まれつき重い病に冒されていたんだ⋯」
レヴィへ開示するか悩み続けていた、アールが有する多くの情報。悲しい別れを覚悟した上で知りたいと望む友のために、風の竜神はアリアの過去について語る。
「アリスティア⋯そう名付けたのも、彼女の母親だよ。産声を上げる娘を見て、笑いながら、息絶えたんだ⋯」
沈痛な面持ちを浮かべ、レヴィは俯いた。
会わせてやりたいという願いは潰え、その上、アリアの出生と引き換えるように母親は亡くなったと知らされた。この痛ましい事実を本人に伝えるべきかと、レヴィは深く苦慮する。
「アリアは、自分は拾われた⋯そう聞いたと言っていたが⋯?」
答える気になったと思われるアールへ、レヴィは問う。母親の存在と最期を知るなら、今のような境遇へ至った経緯も知っているだろう。
「⋯拾われた、ねぇ?」
どこか含みのある口ぶりで呟くアールの声からは、不快な感情が滲んでいる。
「⋯レヴィ、話してもいいけどさ⋯⋯即座に始末しに行かないと、誓えるかい?」
わざわざ断りを入れるアールの様子から、決して良い話では無いのだとレヴィも察した。
少しの逡巡の後、アールに向けてレヴィは首肯する。
「約束、破るなよ?」
「⋯⋯⋯善処しよう」
再度確かめるも、レヴィは回答を濁していた。事と次第によっては神としての誓約を破り、込み上げる殺意を解き放つ覚悟も既に抱いている。
「⋯信用ならないなぁ。ま、そうなったらその時か」
苦笑するアールだが、そんなレヴィの性格を知った上で尋ねている。善処などという言葉が返されるだけでも上々と、困ったように笑った。
「あの少女の生家はね、僕が守護するこの公国の、侯爵の家なんだ⋯」
「⋯⋯貴族の生まれ、という事か」
そうして風の竜が語るのは、悲劇としか言いようのないアリアの過去⋯──。




