0018
厚みがある訳でもない扉の向こうからは、無邪気な笑い声と、水の跳ねる音が時折聞こえてきた。心の底から風呂を楽しんでいるのだと分かり、待っているだけのレヴィは表情を緩める。
「本当に、子供のようだな⋯」
事実として、彼女はまだ子供なのかもしれない⋯外見や境遇から年齢を推測しつつも、これは出てくるまでしばらく掛かりそうだと、椅子に座ったまま僅かに覚悟を決める。
それからし少しの時が経った頃。
扉の向こうから断続的に聞こえてきた声と水の音は止まり、程なくして扉は開いた。
「随分とはしゃいでいたようだな?」
白いガウンを身に纏い、濡れた髪を肩から垂らすあまりにも無防備な姿で、アリアは浴室から出てきた。
瞬間的に、レヴィは視線を逸らしてしまう。
「えっ?うん⋯待たせちゃった、よね?」
手に持っているタオルで雑に髪を拭きながら、レヴィの元へと近付いてきた。
「大して待ってはいない。それよりも⋯──」
「⋯⋯え?」
微かに狼狽えながらもレヴィは椅子から立ち上がり、しっとりと濡れた緋色の髪へ手を伸ばす。ごく僅かな魔力を指先に込めて撫でるように掬い取り、ゆっくりと毛先へ滑らせていった。
「⋯⋯えっ、うそ?乾いてる?」
水分を含み重く纏まっていた長い髪は、既にさらさらと流れる柔らかさを取り戻していた。
「⋯濡れたままでは、冷えるだろう?」
静かな声で囁き、触れていた髪から手を離す。蒼い瞳を大きく見開いたアリアは、レヴィを見上げて何度も瞬きを繰り返していた。
「魔法⋯?」
好奇心に満ちた声で、アリアはレヴィへと尋ねる。
「近いだろうが、魔法と呼ぶほどのものではない」
水竜であるレヴィにとって、アリアに見せた力はそれこそ呼吸と同じ感覚で扱えるもの。言葉にして伝えるのは逆に難しく、少しだけ困惑の表情を浮かべていた。
「⋯⋯私にも、できるかな?」
そしてアリアは、瞳をきらきらと輝かせてレヴィを見上げる。期待と探究心に満ち溢れた眼差しを受けて、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべて返した。
「さぁ、どうだろうな?」
するとアリアは、僅かに頬を膨らませて不満を露わにする。
「んもうっ!教えてくれる気、無いでしょう?」
初めて見る、アリアの少しだけ怒った表情。だがそれさえもレヴィにとっては『可愛らしい』ものにしか見えていない。
「そんな事はない」
否定しながらもアリアの肩に手を置き、上体を屈ませると至近距離で少女の顔を覗き込んだ。
「教えてやってもいい。ただし⋯⋯──」
「⋯わっ!」
直後、屈んだ体勢からそのまま強引にアリアの小さな身体を抱き上げ、ゆっくりと歩きながら告げた。
「まずは、きちんと身体を休めてからだ」
すぐにもベッドへと辿り着き、両腕で抱えていたアリアをそっと下ろしていく。
やはり上質な寝具を揃えていたようで、重さすら感じない少女の小さな身体はベッドの上で軽く沈み、優しく彼女の体重を受け止めていた。
「うわぁ~⋯柔らかいっ!」
風呂の時と同様に感激の声を上げるアリアを見下ろし、レヴィは微笑んだままベッドの端に座る。手触りの良いブランケットを捲り上げ、敷かれているマットをトントンと叩き視線を向ければ、意図に気付いたアリアがそそくさと中へ入っていく。
「⋯さらさらしてて、柔らかくて⋯ベッドって、凄いのね?」
「そうだな⋯」
彼女にとって、これもまた初めての経験だろう。
どこかの街で見掛けた、親が子を寝かし付ける光景。古い記憶を思い出しながら、横になった小さな身体へ厚手の布をそっと掛ける。そのままレヴィは手を伸ばして、アリアの頭を撫でた。
「疲れているだろう、ゆっくり眠るといい」
「レヴィ⋯は?」
「言っただろう。私を人間と同じに考えなくて良いと」
「でも⋯⋯⋯」
髪を梳くようにそっと頭を撫で続けていると、アリアは少しずつ目を閉じ始めた。
「眠たくなったのなら、我慢するな」
穏やかな声で囁けば、睡魔が訪れたのか瞼を閉じては開きを繰り返している。
もう放っておいても、きっとこのまま眠りにつくだろう。そう確信してベッドから立ち上がろうとした時、白いローブの袖が僅かに引かれて、レヴィは動きを止めた。
「……アリア?」
うっすらと開けている蒼い瞳は、真っ直ぐにレヴィを見上げている。
「……あの、ね」
「ん⋯?」
眠気に抗いながらも、アリアは口を開こうとした。何かを伝えたがっていると気付き、レヴィは身を低めてすぐ側からアリアを見下ろす。
「⋯⋯昔、ね⋯本で、読んだ事があるの」
「どんな内容だ⋯?」
ぽつりぽつりと、零すように呟かれる言葉は、微睡みの中で吐露される少女の願いそのもののようだった。
「⋯⋯お母さんは、ね⋯こうやって、頭を撫でながら⋯添い寝?を、してくれるんだって⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
アリアを見つめたまま、レヴィはその場で固まっていた。
この娘は、一体何を言っているのか⋯。
「あったかくって⋯⋯嬉しくなるんだって⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
少女が何を求めているのかを察したレヴィは、軽く息を吐いてから、無言のままベッドの上へと身体を横たえていく。
「⋯⋯レヴィ?」
ブランケットを捲って、アリアが望む通り彼女の隣へと寄り添う。細く小さな身体をそっと引き寄せ、その手で再び緋色の髪を軽く撫でた。
「眠るまでは、こうしていてやる⋯」
低い声でゆっくりと囁き、何度も髪を撫で続けた。
それまでよりも穏やかに、嬉しそうに表情を綻ばせるアリアは、ぴたりと寄り添うレヴィへと凭れ掛かり、蒼い瞳を閉じていく。
「あったかい⋯⋯」
その一言を最後に、アリアの意識は沈み静かな寝息を立て始めた。




