0017
「⋯⋯レヴィ」
「何だ」
「また、シワ⋯」
言いながらアリアは手を伸ばし、怒りに染まるレヴィの眉間へ指先を軽く押し当てる。ぐりぐりと伸ばすように動かして、少女は柔らかく微笑んだ。
「美人なのに、こんなところのシワは勿体ないわよ?」
あまりにも純粋なアリアの言動に、まるで毒気を抜かれるかのようにレヴィの怒りは鎮まっていく。
深く溜め息を吐き、眉間へと伸ばされた細く小さな手をそっと掴んで離させ、きらきらと輝く蒼い瞳を見下ろした。
「…私の事は気にしなくていい。早く入ってきたらどうだ?」
いずれあの伯爵は、秘密裏にそっと始末しに行こう。内心でそう決意しながら、アリアには優しい声で促す。
「うん…えっと、入っても…いいんだよね?」
「当然だ。これも奴らからの詫びの一つだ」
関係への勘違いは後ほど訂正すればいい。今はアリアの望みを優先するべきと割り切って、三人からの好意を受け取ると決めた。
じっとレヴィを見上げたまま動こうとしない少女の肩を掴んで、くるりと身体の向きを変えさせる。浴室へと向かせてから軽く背中を押し、アリアに一歩を踏み出させた。
「私は外で待っている。何かあれば声を掛けろ」
僅かによろめきながら脱衣場所へ入ったアリアを見届けて、レヴィはすかさず扉を閉めた。
いつまでも顔を合わせていれば、彼女は遠慮して自分を後回しにしかねない。強引に押し込んでやらなければ『一緒に』などと言い出しそうだ。
「⋯⋯全く、手のかかる娘だ」
風呂など、どこぞの火山地帯でも飛んでいれば、秘湯くらいすぐに見つけられる。わざわざここで、アリアの邪魔をしてまで入る必要はない。
これまでの永き生の中で、そうした場所は幾つか立ち寄ってきた。そうした過去を思い出し、扉に背を預けてレヴィはふと考える。
「⋯⋯いずれ、連れて行ってやるか」
扉に凭れ掛かり腕を組んで、特に気に入った地を思い返す。
高所からの眺めが良かった場所。
雪の中に湧く温泉。
森の中に佇む秘湯。
記憶に残っている場所は、そのどれもが人の手が入る事もない隠された地。それどころか、人の足では到底辿り着けないだろう過酷な場所にある。
だが飛竜でもあるレヴィにとっては、その地までの移動など容易い事。それ以前に覚えている場所なら、転移すらも可能だった。
凭れていた扉から離れ、レヴィはすぐ傍に置かれている椅子へと座り、アリアの戻りを待つ。
「⋯⋯⋯溺れていたり、しないだろうな?」
しっかりしているようで、どこか抜けている世間知らずな少女。脳裏を過ぎる不安は、なかなか消し去れはしなかった。
偶然に出会い、劣悪な環境から攫うように連れ出し、それからずっと目を離さなかった。たった一枚の壁越しであっても、こうして手の届かない位置にまで離れたのは、共に行動し始めてからはこれが初めての事。
まだ、彼女を知ってからの時間は短い。だというのに、隣にいないだけで『何かが足りない』と感じていた。
けれどレヴィは、自身が感じた不足よりももっと深刻な、アリアの望みを叶えるべく思案する。
「⋯アリア。本当の名は⋯⋯アリスティア、だったな」
手掛かりは、その名前一つだけ。
だがレヴィは既に考えついている。情報収集にも長けた風の竜ならば、たった一つの名前からでも素性を探れるだろう。
幸いにも今は、古き同胞からの『依頼』をこなした直後で、恩を売ったばかり。頼み事はしやすい。
──⋯会ってみたかった、なぁ⋯おかあさん⋯──
微睡みの中で呟かれた、少女の切実な願い。
この屋敷で安息を与えながらも、レヴィは必ず見つけ出してやろうと、心の中で決意していた。




