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03 恋は下心。



 生まれて初めてフラれたことを、俺は結局友人に話した。客観的な意見と助言を求めて。

 週末休みだということもあり、夜は純平のクラブで飲んだ。

 案の上、金混じりの明るい茶髪の純平は、ソファーから転げ落ちて笑った。

 存分に笑い声を上げる。客が踊るホールが見下ろせるVIPルームにいるから、人目は気にしていない。

 俺は堪えつつグラスで酒を飲み、硝子越しから一階にあるホールを無意味に眺める。踊る客達がきらびやかな光を浴びていた。硝子が振動しているだけで、音楽が微かに聴こえる。


「ひぃーっ……ひぃーっ……!」

「笑いすぎだろ、お前」


 窒息しそうなほど、苦しんでいる純平の笑いを、いい加減止めた。


「変な女に出会っちまったなぁ! ま、お前が接したことないタイプだったんだろ。交通事故に遭ったようなもんだぜ、忘れちまえよ!」


 俺の隣に戻ると、バシンッと背中を叩かれる。


「お前が社長息子だって知っても、付きまとわれなかったのは幸いじゃん。普通は玉の輿で目をギラってするぜ。その子の言う通り、関わるだけ時間の無駄だって」

「……」


 黙りこんでしまう。

 事故だとか、時間の無駄だとか、納得しきれないところがある。しかし、反論は浮かばないため、黙った。


「……久しぶりの恋、だったんだけどな」


 興味が湧いた異性と出会えたというのに。


「本当に恋だったわけ?」


 純平は凭れながら、ニヤニヤして問う。


「単に初めてフラれたから、躍起になっただけじゃねーの?」


 否定できない。


「相手にキスしたかったり、抱いたりしたくなったら、それが恋だと思うね。ほら、心が下にあるから恋は下心って言うじゃん?」


 恋は下心。下心、ねぇ。


「ぶっちゃけ下心は抱いたの?」


 純平は楽しげに問い詰めてくるから、呆れた。


「まだそんなことは抱いていない。可愛い笑顔だったけど」

「酔ったその子を見て、お持ち帰りしたくなった?」

「出会ったばかりの子を、持ち帰るわけないだろうが」


 呆れて返す。純平も冗談で言ったため、またお腹を押さえて笑い、酒を一口飲んだ。


「笑顔だけに惹かれたなら、中身知って冷めるだろ。ハリウッド女優みたいに、絶世の美女ってわけでもないんだろ? 小柄だったんだろ?」

「コートでよくわからなかった。括れていたけど。……まぁ、絶世の美女ではないが」


 俺の中ではもう、あの笑顔は天使。


「あ、天使なんだっけ? ぶははは!」


 純平がバカにしてまた笑う。

 くそ。天使だと思ったこは、伏せるべきだった。畜生。


「笑顔が天使みたいに可愛かったが! 笑うな」


 一度肩を叩いて、笑うことを止める。


「……照れた笑みとか、つられて、俺も笑ってしまうんだ。確かに心地よさを感じていた……」


 ブレスレットをなくして取り乱してしまったことを、照れながらもお気に入りなのだと笑った顔。

 心地よさを与えられた気がする。やっぱり、天使の笑顔だったと思う。


「あんな笑顔の持ち主なのに……どうして、あんな発言をしてしまうのか。知りたくなる……」


 頬杖をついて、ぼんやりと考えてしまう。トラウマが、あるのだろうか。

 はぁ、と溜め息をついた。

 すると、隣で妙な声がする。目をやれば、純平が必死に笑うのを堪えていた。


「ぷっ……くくっ……恋患いの溜め息、ぶふっ!」

「……うるせぇ」


 顔を押さえて落ち込む。もう怒る気が出ない。


「どんどんやけ酒飲んでくれよ。忘れちまえ忘れちまえ。どうせ電話しても出ないし、もう会ってくれないんだろ? ちょっと時間経てば、冷めるさ」


 お酒を勧められ、仕方なく受け取る。

 忘れるべき、か。確かに電話すら出てくれないだろう。

 ここまで拒絶されて、まだアタックするなんて、みっともない。友人の助言は、忘れるべき。

 初めてフラれたから、躍起になったのならば、彼女に失礼だ。結局、蓮野さんの言う通りの結果になりかねない。

 忘れるのなら、早い方がいいのだろう。

 純平に付き合ってもらい、やけ酒。存分に飲んで、ちゃんと自分の足で家に帰る。初めて出会った公園を通って彼女の姿を探したが、当然会えるわけない。気分が沈んだまま家に帰るなり、ベッドに倒れ込んで寝た。

 夢を見た。

 高いところに、蓮野さんがいる。嗚呼、だから俺の言葉が届かないのか。

 あれ、でも、近くなったぞ。

 俺は必死に想いを告げる。どれくらい時間がかかったのだろうか。

 やがて、彼女が微笑んだのだ。天使のように愛らしい笑み。

 俺もつられて笑顔になって、喜んだ。

 その瞬間、夢から覚めてしまった。夢だったという事実が胸を締め付けて、俺は。

 二日酔いの気持ち悪さを自覚して呻いた。何度も何度も思い返しながら、二日酔いを堪える休日になってしまった。

 月曜日は、出勤。もしかしたら、また会うかもしれないと、代わり映えしない朝の景色の中で彼女を捜してしまう。

 見付けることなく、会社に辿り着いた。

 あーもう。捜すな。あんな夢まで見て。バカか、俺は。もう、会うこともないんだ。忘れろ。忘れるんだ。

 グワッと込み上がるなにかを堪えて、一週間の始まりに挑んだ。

 室長室で仕事に打ち込んで、忘れようとした。しかし、丁度日記の新デザインの企画書が来て、顔が引きつってしまう。

 俺のことは日記に書かないと言った蓮野さん。それも、笑顔で。

 ちょっと胸が、ズキズキする。

 蓮野さんは、もう俺のことを忘れたのだろうか。悲しすぎる。

 ……そう言えば、蓮野さんの好みを聞きそびれた。新しい柄の日記は、気に入ってくれるだろうか。喜ぶだろうか……。


「……」


 俺は顔を押さえて悶えた。

 なんで蓮野さんの喜ぶ顔を想像しているんだ。忘れろって!


「室長。ランチはピザを出前してもらうんですけど、室長もどうですか?」


 ノックして入ってきたのは、男性社員。ピザの出前とは珍しいと、呆けてしまった。


「あ、近くにあるイタリアンの店が美味しくてですね。竈のあるピザ専門のイタリアンなんですよ。本当は出前はやってないんですが、近所で常連だから特別に配達してくれるんです」


 にへら、と笑うは男性社員が答える。広報部門の部長、大谷さんだ。

 ああ、そう言えば、近所にそんな店があると何度か聞いたことある。主に女性社員から。

 食欲はないし、ピザなんて重たそうなものを食べれそうにもない。


「運が良かったら、その店の可愛い女の子が来てくれるかもしれませんよ! 笑顔が可愛い女の子なんですよ!」


 笑顔の可愛い女の子か。蓮野さんには劣るに決まっている。……じゃなくて。


「私は結構です。皆さんで楽しんでください」


 ピザも可愛い女の子も、お断りだ。いつものように、にっこりと笑みを作って適当にあしらった。

 少しの間、仕事を続けたが、空腹を感じて手を止める。食欲はないので、コーヒーだけ流し込むことにして部屋を出た。

 ピザの香りがした。空腹に染みるが、食べる気は全線起きないため、広報部門を通りすぎようとした。

 そこに――――彼女がいた。

 思わず二度見してしまう。忘れようとしていた蓮野さんが、いたからだ。俺の会社に。

 微笑みを浮かべていた蓮野さんも、俺に気付いて目を合わせる。

 今日は瑠璃色のコートではなく、ボリュームあるオレンジのジャンバーを着ていた。チャックのところに、眼鏡をかけている。


「あ、室長。ピザ、やっぱり食べますか?」


 大谷さんが俺に笑いかけながら、蓮野さんにお金を渡した。

 笑顔の可愛いピザの店員が、蓮野さん!?

 つまり蓮野さんの職場は、近所のピザ店か!!


「丁度ですね、ありがとうございました。失礼します」

「蓮野さん、こんにちは。ちょっとお話があるのでいいですか?」


 お金を受け取るなり会釈して帰ろうとする蓮野さんを、動揺を圧し殺して笑顔で引き留める。

「……はい」と笑みを浮かべたまま、蓮野さんは俺の元に歩み寄った。


「え? お、お知り合いですか?」


 休憩用の白いテーブルでピザを取り分けていた社員達が注目する。しかし、俺は笑みを返すだけでなにも言わない。

 蓮野さんがついてくるのを確認しつつ、室長室に戻った。

 なんたる偶然。忘れようとした矢先に、彼女から俺の職場に来るとは。

 職場に来たのならば、俺の有望さを示してやる。フるには惜しい男だと、わかってもらうぞ。

 机に腰を掛け、腕を組んで微笑みを向ける。部屋には今まで俺が企画してヒットさせた文具も飾ってある。さぁ、食いつけ。


「奇遇ですね、蓮野さん。こんなにも早く、また会うなんて」


 彼女の職場まで知ってしまい、会おうと思えば、会いにいける。なんだか浮わついた気分にもなった。

 なによりも、嬉しい。


「すみません。あなたの職場だとわかっていたのですが、店長がどうしてもと言うので」


 もう笑みがなくなっている蓮野さんは、肩を竦める。謝る必要なんてないのに。


「私は会えて嬉しいです」


 つい、本音を伝える。諦めた矢先に、再会した。


「なんだか……運命を感じてしまいます」


 勢い余るが、甘い台詞は経験上効果的だ。真っ直ぐに見つめて、蓮野さんの照れた顔を待ったが。


「運命? フン。職場が近所なのだから、偶然会うに決まってるじゃないですか」


 蓮野さんは鼻で笑った。

 だめだ。甘い台詞は、全然彼女に効果がない。俺の嬉しさが踏みにじられた。

 涙が込み上げてきそうだが、蓮野さんが腕時計を確認しようと袖を捲ると、あのブレスレットも見えた。

 つけてくれているのかと思うと、キュンとしてしまう。

 いや、まぁ、蓮野さんは壊したブレスレットの代わりにつけているだけ。


「忙しい時間帯なので、もういいですか?」

「あ、お店はどこにあるのですか? 今度是非食べにいきたいので」


 俺への質問もせず帰ろうとするので、引き留めた。


「……ストーカーに昇格したいと?」

「違います」


 即座に否定する。違う、断じて違うぞ。


「というか、昇格ってなんですか……」

「ストーカーにも色々ありますが、最終的には相手を殺す殺人犯になります」

「ちょっと映画の観すぎではないですか、君」


 断じて違う。思考回路がネガティブすぎないか。

 俺のどこが殺人犯になりそうなストーカーに見えるんだ。社長息子でイケメンで紳士だぞ。


「じゃあ外堀を埋めて、逃げ場を潰すつもりですか?」

「ちょっとドラマの観すぎじゃないか、君」


 そんな落とし方をするつもりは毛頭ない。もしかして、御曹司に偏見でも持ってるのではないか。


「……」

「な、なんですか?」


 じっ、と蓮野さんが見上げてきたから、どぎまぎする。

 やっと俺に興味を?


「会社でも猫被りしているようですが、素でもモテるんじゃないですか?」

「……猫被り?」


 何の話かわからず、目を瞬く。


「紳士ぶってますが、俺様っぽいです」


 蓮野さんが、俺を指差す。


「……え?」


 笑みが引きつる。な、何故、素がバレてるんだ?


「この前話した時、最後だけ俺様口調になってましたよ」

「……!!!」


 絶句してしまう。

 ――それでも……俺は、君に恋をしている。

 ――冷めたりしない。だから、俺にチャンスをくれ。

 確かに素の口調で言ってしまったことを思い出して、顔を覆う。必死すぎて、全然気付かなかった。


「さっきの女性社員さん達、気があるみたいでしたし、俺様で落とせばいいじゃないですか。案外ギャップでイチコロじゃないですか?」

「俺が落としたいのは君だ!」


 なんで蓮野さんにそんなことを言われなくてはならない!

 ショックのあまり、また素で声を上げてしまった。口を押さえるが、手遅れだ。


「フラれたから、意地でも落としたいだけでは? みっともないと自覚してないのですか?」


 哀れみの眼差しを向けられた。グサグサと言葉が刺さった。


「それとも……マゾ?」

「断じて違う!!」


 気持ち悪そうに見るな!


「き、君は一体歳はいくつなんだ? 俺は二十八なんだが」

「二十三ですが」


 ……五歳年下か。思ったよりは近い。よし。


「もう少し年上に敬意を示すべきでは?」

「嫌なら関わらなければいいじゃないですか」


 冷たい返し。天使の目が冷めきっている。

 心が折れそう。うん。断じてマゾではない。

 一体どうすればいいんだ。素はバレてて、立ち直れそうにもない。せっかくまた再会したというのに、諦めたくないと思ったというのに。


「待ってくれ!」


 蓮野さんがドアに手をかけたから、慌ててその手を掴んで止めた。

 それは俗にいう壁ドンに近い図になってしまう。だが、蓮野さんはときめいたりしないのだろう。

 冷めた目で、俺を見上げる。間近で見ると、睫毛が長くて大きな瞳。吸い込まれてしまいそうだ。


「まだ俺の気持ちは冷めていないし、冷めそうにもない!」


 どうしたらいいのかは、まだわからない。

 だが、あの夢のように俺が必死に想いを告げ続ければ、もしかしたら。

 思えば、前よりも彼女の口数が多い。もっと知り合えれば、きっと。


「そんな君でも俺は関わりたいからっ! 俺は諦めないぞ!」


 もう、決めた。

 出会したこの天使を、逃がさない。俺の元に、落としてみせる。


「……しつこい」


 やはり返ってくるのは、冷たい反応。

 こんな近くても、届かない。こんなにも、情熱を感じるというのに、届かない。

 ああ、もういっそのこと、抱き締めてしまいたい。小柄な彼女を両腕に閉じ込めて、熱が伝わるくらい締め付けたい。

 蓮野さんの瞳に、熱を灯したい。


「!」


 込み上げた下心に気付いて、俺は真っ赤になってしまう。

 そもそも、蓮野さんを壁に押し付けているし、手を握っているし、とても近い。

 心臓が、ドッドッと強く高鳴っている。蓮野さんに聴こえてしまうかもしれない。

 蓮野さんの視線は、斜め下に背けられている。短い髪の下から見えた輪郭と首筋が、なんだか綺麗だ。思わず、ゴクリと息を飲んでしまった。


「……叫んでも、いいですか」

「!? っすまない!」


 彼女の弱々しい声に、俺は手を引っ込めて一歩離れる。


「そ、そんなつもりは! こ、怖かったか?」

「……」


 恋人でもない男に、壁に挟まれたら怖かったかもしれない。怖がらせるつもりはなかった。余計、嫌われたかもしれない。

 恐る恐る蓮野さんの表情を確認しようとしたが、俯いた顔が髪で隠れていてわからない。怒ったのか? 怖がられたのか? 

 ビクビクしていたら、ノックする音を耳にした。

「室長、失礼します」と大谷さんの声が聴こえたかと思えば、ドアが開けられる。

 その前にいた蓮野さんは押され、俺にぶつかった。受け止めた俺は、固まる。意図せず、蓮野さんを抱き締めてしまった。

 衝撃的すぎて、言葉が浮かばない。だが、あえて。あえて言うなら、グッチョブ大谷さん!

 確かに彼女の胸の膨らみを感じて、俺はまた顔を真っ赤にする。


「あれ、すみません? 室長?」

「な、なんでもありません! ちょっと待ってください!」


 ドアを閉めて、見られないようにした。すぐに蓮野さんが俺から離れて、そのドアを開けてしまう。


「失礼します。次はお店に食べに来てください」


 蓮野さんは、にこりと柔らかい笑みで大谷さんに言った。

 ……大谷さん、ずるい。

 いや、しかし、蓮野さんの今の発言は、暗に配達させるな、と込められているかもしれない。


「私も食べに行きますね」


 今度は俺が会いに行く。

 笑顔でそう宣言すれば、蓮野さんは振り返った。天使のように愛らしい笑み。

 どくん、と胸の中で熱い鼓動を感じた。

「ciao.」と一言。天使は帰っていった。


「……知り合いだったのですか?」

「あ、はい。最近知り合いまして。店、どこにあるのか教えてもらっていいですか?」


 いつもの調子で、大谷さんから聞き出す。

 出来れば蓮野さんから聞きたかったが、あくまで客として店に行きたい。彼女はあの笑顔で接客しているようだし。なにがなんでも行く。

 ストーカーではない。断じてストーカーではないからな!




20160206

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