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いつから俺の青春が『普通』だと思っていた?  作者: 結城 ユウキ
第1章 『普通』じゃない彼女

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第9話

 体育倉庫に美少女と二人きり。


 そこだけ切り取ればなんと魅力的なシチュエーションだろうか。


 きっと全男子が羨む光景だろう。こんな重い空気でなければ。


 旭丘が座っているマットから少し離れたところに腰掛けた俺は、恐る恐る彼女の様子を確認した。


 俺が買ってきたペットボトルの水を少しずつ飲みながら、彼女は佇んでいる。


 少し時間が経ったことで多少の落ち着きは取り戻したが、依然顔色は悪く、とても本調子には見えない。


「少しはマシになったか?」


 そんな言葉しかかけられない自分に辟易しつつ、旭丘に声をかける。


「ええ……。お水も、ありがとう」

「……」


 面と向かって礼を言われるとは思っていなかったため、思わず目を開く。


「……なによ」

「いや、お礼とか言うんだと思って」

「私のことなんだと思ってるのよ」


 旭丘はそう言って優しく笑った。そんな顔で笑うのは、聞いてない。


 空気が弛緩するのを感じる。


 先に口を開いたのは、彼女だった。


「……情けないところ見せたわね」


 自嘲気味に笑ってそう呟く。自分を恥じているような、そんな態度。


「別に、人間誰だってあるだろ、そういうところは」

「……なんでああなったか、聞かないの?」

「お前は言いたいのか?」

「それは……」

「だったら、言わなくていいだろ」


 言いたくないことを無理に言う必要はない。


 確かに気になることは気になる。が、本人が嫌がっているのに無理矢理聞き出そうとか問い詰めようとか、そんな気は一切ない。


「……それも、そうね」

「ああ、そうだ」

「……」

「……」


 流れる沈黙。


 俺と旭丘の関係値を考えれば当然こうなる。

 ここで湊みたいに気の利いた会話でもできればいいのだろうが、俺にそんなスキルはない。


 たまには授業をサボったっていい。そんな思いで、俺はこの沈黙を楽しむことにした。



 五分、十分と無言の時間が続く。


 不思議と気まずさはないが、なんだか我慢比べみたいになってきてしまったのでそろそろなにか話そうか。


 そう思ったときだった。


「……一つ、聞いてもいい?」


 旭丘がそうぽつりと呟いた。


 それは初めて旭丘の矢印が俺に向いた瞬間だった。嬉しさよりも驚きが勝ち、なんだかそわそわしてしまう。


 まるで俺に興味のなかった人間からの質問だ。それはびっくりもする。


 俺は渦巻く感情を表に出さず、冷静に努めて答えた。


「暇だしなんでも聞いてくれ」

「じゃあ、聞くけど。なんで普通を目指しているの?」

「なんで普通を、か」

「私にはそれを目指す理由が、どうしてもわからないのよ」


 俺と正反対を目指す旭丘からしてみれば、俺の目標は到底理解できないものだろう。疑問を持つのも当然だ。


 とはいえ、会ったばかりの人間に全てを話すほど心を開いてもいない。


 俺は事実を充分に希釈して話した。


「親が普通じゃないから、普通を目指した。そんな感じだな」

「……それだけ?」

「それだけ」

「そう……」

「納得いったか?」

「……」


 旭丘は難しい顔をして黙ってしまった。


 思っていたよりもしょうもなくて呆れているのだろうか。そう思われても仕方のない理由ではあるが。


「……もう一個だけ聞いても?」

「何個でも」

「あなたが目指している『普通』って、なに?」


 俺の真意を探るように、彼女は俺に問いかけた。これまでにないほどの真剣さを孕んだ双眸が、俺を捉える。


 その真剣さには、誠意で答えねばならない。先ほどとは違う、本心で。


「俺が思う『普通』だよ。周りがどう言おうと、世間がどう思おうと関係ない。俺は俺がなりたい『普通』のために生きてる」

「……そう。素敵な生き方ね」


 彼女は腑に落ちたような納得したような、そんな顔をする。


 それもまた、彼女の心からの言葉に聞こえた。


「お前もそう生きているように見えるけど」


 旭丘だって俺と同じように生きていると思っていたが、違うのだろうか。


「最近はね。でも、まだ染み付いてないし、あなたみたいに周りと上手くできない。今回だってそう。どうしてこうなるのかしらね」


 旭丘はまた自嘲的に笑った。その顔を見て、なんだか胸が詰まるような、そんな感覚に陥る。なぜそうなったか答えは出ずに、旭丘が口を開いた。


「……私、東北の田舎の方の出身でね。家族に話したことが翌日にはみんなに伝わっているような小さな町に住んでいたの」


 それは紛うことなき旭丘の独白だった。時折相槌を打ちながら、静かに聞く。


「そういう町だったからね、とにかく『普通のいい子』を求められたの。特に母親にはね。習い事もピアノにバレエに、いわゆる『女の子の習い事』をさせられた。私は兄たちと走り回っている方が好きだったんだけどね」

「ああ、その運動神経はそこからきてるのか」

「そうかもね。男の子の集団に私一人だけ混ざっていたから」


 旭丘はそう言って表情を崩す。なんだか彼女の素を感じられる距離感で新鮮だ。


「それを母親は本当に嫌がっていたから、中学校は地元から離れた私立の女子校に入学させられた。もちろん私に拒否する権利なんてなかった。もうそれが決まり事みたいに母親の中ではなっていて、私があの家で生きていくためにはそうするしかなかったのよ」


 旭丘の家庭では母親が唯一絶対の決定権者だったというわけだ。母親の言うことさえ聞いていればその家では安全に暮らすことができる。だが機嫌を損ねれば、一気に居心地が悪くなってしまう。


 親に頼ることしかできない子供にはあまりにも酷な環境だ。


そこでふと、一つの疑問が浮かんだ。


「聞いていいがわからんが、父親は?」


 話に出てくるのは母親ばかりで、父親の話が出てこない。いないという可能性も充分にあり得るが、世間一般の『普通』を目指す旭丘の母に伴侶がいないとも思えない。


 母親が強権を振りかざす家で、父親はどうしていたのか。


「お父さんは私にとって唯一の味方だった。でも婿入りで母親の家に入ったからあまり強く出られなくてね。だから私の家は母親が絶対だったのよ」


 絶対的な強者。それが旭丘の母だったのだろう。


 だがそれでも、父親だけは旭丘の味方でいようとしてくれたのだ。それだけで彼女はだいぶ救われたと思いたい。


「一人だけでも味方がいるのは、心強いよな」

「ええ、本当に」


 そう答えた旭丘の言葉は、嘘一つない心からの肯定だった。父親のことをどれだけ信用しているかが伝わってくる。きっと二人だけの大切な思い出があるのだろう。


 でも、と旭丘が続ける。


「中学校に上がってからは、本当に地獄のような日々だった。周りの子はいい子なんだけど、それだけ。母親が求めていたのはこういう子どもだったんだろうなって、その時思った」


 自分の過去を話せば、当然その時の感情も込み上げてくる。


 旭丘は話せば話すほど、苦しい表情になっていく。


 それでも彼女は、言葉を紡ぎ続けた。


「平日は学校に習い事、休日はろくに外に出られず部屋で悶々と過ごす日々。それに加えて母親から押し付けられる『普通』。私には耐えられなかった。だから中学三年生になるタイミングで、私は不登校になった」


 旭丘は学校に行けなくなるほど追い詰められてしまった。きっとその生活を問題なくこなせる人もいるだろう。けれど、根が自由で活発な旭丘には致命的に合わなかった。ただそれだけだ。


「母親は当然怒ったわ。顔を合わせるたびに何かしら言われた。もう家にいるのさえ苦痛になるくらい。母親はそれが目的だったのかもしれないけどね。ただそれでも私は学校に行かなかった」


 学校に行っても家にいても苦痛。そんな状況は、俺には到底想像できるものではなかった。学校でも家でも自由に暮らせていた俺とは正反対。目的が真逆になるのもわかる気がする。


「でもね、ある日急にお父さんの転勤が決まったの。しかもずっと憧れていた東京。もうここしかないって思った。だから私はお父さんに頼み込んで一緒に東京連れて行ってもらうことにしたのよ」

「それ、かなり揉めたんじゃないか?」


 話を聞いているだけだが、それを素直に許す母親とは思えない。


「察しがいいわね。母親は当然許さなかった。でも、そんな母親を説得してくれたのはお父さんだったのよ。説得というか、力技だけど」

「どうやったんだ?」

「もし許さないのであれば俺はこの家から籍を抜かせてもらうって、言い切ったのよ」

「かっこいいな」

「それはもう」


 嬉しそうに旭丘は言った。


「お父さんがそんなこと言うなんて思ってなかったんだろうね、母親はそれで渋々折れて、晴れて東京に来たってわけ」

「それで、憧れの東京はどうだった?」


そう問いかけると、旭丘は少し考えるような素振りを見せ、


「……人が多い」


 と真面目な顔で答えた。

 俺はそれがなんだかおかしくて、


「憧れの東京に来た感想がそれかよ」


 そう笑って返した。


「だって本当に多かったんだもの。新宿とか何事かと思ったわよ」

「まあわかるけど」

「でも、みんながみんな他人に興味なくて心地が良かった。誰が何していても、何を着ていても何を話していても、誰も興味を示さない。だから私は東京が好きよ」

「これだけ人間が多いと一人一人なんて気にしてられないからな」


 その後もしばらく旭丘の東京エピソードを聞き、共感したりしなかったり、笑ったり笑わなかったり、気の置けない友人と話したような時間を過ごした。それは俺にとって間違いなく楽しい時間だったように思う。


 落ち着いたところで、旭丘は大きく伸びをした。


「なんかすっきりした。人に話すって、意外と大事なんだね」


 晴れやかな笑顔で、旭丘は言う。憑き物が落ちたような、そんな笑顔だった。


 不意に向けられたその笑顔に、俺は思わず顔を逸らしてしまう。


 いや、逸らすな。なんか意識してるみたいだろ。


 俺は表情を取り繕ってから口を開いた。


「まあそんなんじゃ友達できないだろうしな。なんかあったら聞いてやるよ」

「随分上からね……でも言い返せない……」

「目的は違うが似た者同士だからな」


 普通を目指す俺と特別を目指す旭丘。目的は正反対だ。だが譲れないものがあるという点では、これ以上ないほど共通しているのだ。


「……認めたくないんだけど」

「諦めろ、俺とお前は似てるよ」

「ムカつく……」


 不服そうな顔をしてはいるが、言い返せないのが似ていることを認めているいい証拠だ。


 俺が旭丘を嫌う理由がないように、旭丘も俺を嫌いになる理由がないのかもしれない。


「……じゃあ、そんな似た者同士のあなたに一つ聞きたいんだけど」


 不機嫌そうな顔は変わらず、旭丘は聞いてきた。


「私、これからどうしていけばいいと思う?」


 それはひどく曖昧で、答えのない問いだった。


「随分と弱気なんだな」

「弱気にもなるわ。普通じゃないことをすれば母親の呪縛みたいなものから逃れられるって勝手に思ってた。でもそれは安易な考えで、結局敵ばっかり作っちゃった」


 弱々しく笑いながら、旭丘は言った。


「それでも、普通は嫌。普通は、怖いのよ」


 旭丘の普通じゃないところを目指す姿勢というのは、言ってしまえば母親に対するアンチテーゼみたいなものだ。母親の『普通』を押し付けられてきた旭丘だからこその主張。


 だがそれで解けるほど、母親の呪縛は甘くなかったということらしい。


「どうすれば、この呪いが解けるかしら」


 旭丘は悩んでいる。だが、ここで寄り添って励ましの言葉をかける行為に意味があるとはどうも思えなかった。


「そんなの、俺だって知るか」

「……厳しいのね」

「別にそのまま貫いてみたっていいだろうし、方向転換してもいいだろうし、まだどうなるかわかんないだろ」

「……」

「まあそれでもなにかしたいって言うなら、生徒会に入ってみたらどうだ」

「生徒会……」

「ああ、この前声かけただろ。あれ、まだ募集中だから」


 本当は旭丘しか入れる予定はないが、今はそんなことどうでもいい。今日だってそのために来たはずなのだが、すっかり頭から抜け落ちていた。


「入ったら、なにか変わるかしら……?」

「それは知らん。ただ、普通じゃないことだけは保証する」


 超人みたいな生徒会長に、当たり屋みたいな先生がいるのだ。その環境だけでもう普通じゃないことは証明されている。


「前も聞いた気がするけど、普通を目指しているのよね?」

「ああ」

「だとしたら、その誘い文句はおかしくない?」

「自分で言ってて嫌になってきてるよ」


 普通を目指している人間が、普通じゃないところがありますよと紹介しているのだ。事情を知らなければ俺がただの頭のおかしいやつに見える。


「……変なの」


 旭丘は可笑しそうに口元を緩めた。

 そして決意の籠もった双眸で、俺の目を捉えた。


「……でも、入ってみたい。何が変わるかわからないし、何も変わらないかもしれないけど。それでも、何もやらないよりましだから」

「……そうだな」


 旭丘は一度失敗した。だがそれでも前を向いて、また新たな挑戦をしようとしている。そんな人間の背中を押したくなるのは、きっと俺だけじゃない。


「これからよろしく、旭丘」


 俺は座っていたマットから立ち上がり、旭丘に右手を差し伸べた。


 その手を取った旭丘も立ち上がる。


「ええ、よろしく、立野くん」


 こうして、旭丘唯を生徒会に入れるというミッションは達成された。


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