第30話
目を覚ますと、時計の針は二時を指していた。
「二時……? 夜……? 昼……?」
寝ぼけていてスマートフォンの時計を見ないとそれすらも判断できない。机の上にあったスマートフォンを手に取ると、画面に表示されたのは深夜の方の二時だった。
「ええ……まじで……」
いくら疲れているとはいえ、ソファの上で四時間弱。寝過ぎである。おかげで体も痛い。
向かいのソファを見ると、無垢な寝顔を惜しげもなく晒している旭丘が横たわっていた。なんとも気持ちよさそうな寝顔である。人の家のソファでここまで爆睡できるその胆力は見習いたいところではあるが。
とはいえ、もう終電もないし、高校生が外を出歩ける時間でもない。旭丘の家がある江古田までは歩ける距離ではあるが、こんなところで補導されるのは避けたい。
となるともう泊まっていってもらうしかないのだが……。
「いや、ダメだろ……」
状況的に選択肢は一つしかないが、一般的に考えて付き合ってもない男女がひとつ屋根の下で一晩を過ごすのはありえない。
そしてそれは俺の『普通』の中にも当然ない。当たり前に。
だがこんなド深夜に女子を一人外に放り出すことも、俺の『普通』にはない。
「はあ……」
これ以上自分で考えても仕方がない。旭丘に決めてもらおう。
そう思った俺は、旭丘を起こすことにした。
「旭丘―、起きろー。二時だぞー」
そう声をかけたが、彼女は一切の反応を見せない。
俺は仕方なく、手元にあったクッションを旭丘に投げつける。
顔面にクリーンヒットし、旭丘が反応を見せる。
「ん……」
目をこすり、上体を起こし、壁掛け時計を見る。
「二時……? 夜……? 昼……?」
寝ぼけながら俺と全く同じ反応をする旭丘に、俺は呆れながら声をかけた。
「……夜の二時だよ。おはよう、旭丘」
「あー……、夜の……。夜の!?」
そこでようやく覚醒したらしい旭丘は、慌てて立ち上がった。
「え、私達四時間くらいぶっ通しで寝てたの?」
「寝てたな。ぐっすり。」
「なんてこと……」
「まあそれだけ疲れてたってことだな」
俺も旭丘もそれは事実なので、互いを責めることはできない。起こってしまったことは仕方ないのだ。
旭丘も諦めたようにソファへと腰を下ろす。
遠回しに聞くのもめんどくさいので、俺はストレートに告げた。
「それで、現状いろいろ考えるともう泊まっていくしかないと思うんだが、どうする?」
「泊ま――」
旭丘、フリーズ。
まあ無理もない。急にこんな事言われた誰だって固まる。しかも相手は異性だ。何されるかわかったもんじゃない。
けれど旭丘の再起動は思ったより早かった。そして寝起きながらも、頭はしっかりと回っていた。
「…………それしかないわよね」
終電がもうないこと、制服姿の高校生が外を出歩ける時間でもないこと、だったら泊まっていくが一番安全なこと、それらが一気に頭を駆け巡ったのだろう。その言葉が出るまで、そんなに時間はかからなかった。
「話が早くて助かるよ。風呂はまあ明日入るとして――」
「無理」
次の言葉を紡ぐ前に、拒否の一言で遮られた。
「え?」
「お風呂入らないのは、無理」
旭丘の目は本気だった。有無を言わさない、覚悟が決まった者の目。
「いや、そんなこと言ったってなあ……。あと数時間で家帰れるんだぞ? 我慢できるだろそのくらい」
あと三時間もすれば始発が動き始める。それまで寝て始発で帰れば、家のお風呂に入ることができるのだ。俺からしてみればたった数時間。
「仮にこのまま朝までぐっすりだったら平気だったけど一回起きちゃったらもう無理! お風呂入らないで寝るなんてありえない!」
「ええ……めんどくせー……」
俺にはその感覚がさっぱり理解できなかった。他人の家のお風呂に気を使いながら入るのだったら、自分の家のお風呂入ったほうが落ち着かないか?
旭丘は絶対に譲らないといった目でこちらを見ている。
ここはもう折れるしかないみたいだ。
「はあ……。わかったよ。でも着替えとかどうするんだよ。荷物置いて来ちゃっただろ」
旭丘の荷物は高校に寄る前に置いてきてしまっている。旭丘の服は現在身につけている制服しかない。
「……コンビニに買いに行くとか?」
「お前制服だろ」
「立野くんの服を借りる――これはダメね……」
「結論が早いな」
「だって私が脱いだあとの服どうするかわからないじゃない」
「まあ最低でも匂いは嗅ぐけど」
「……」
旭丘がドン引きしている。それもゴミを見るような目で。いいじゃないか貸したのだからそのくらい。
「じゃあなんだ? 俺がお前の寝間着と下着を買ってくればいいのか?」
「そうなるわね」
「淡々と返すな。少しは嫌がれよ」
「だって身につけてないならそれはただの布だもの。肌と接して初めて意味があるんだからここで恥ずかしがる意味はないわね」
「お前変にたくましいな……」
兄たちに囲まれて生きてきたからだろうか、割り切るところはしっかり割り切れるらしい。買いに行く俺の身にもなってほしいものだ。
「ということで、よろしく」
有無を言わさない微笑みで牽制してくる旭丘に、俺は「はい」と答えることしかできなかった。
コンビニから帰ってくると、旭丘はソファでまたうたた寝をしていた。
そんな旭丘を、手に持っていたレジ袋で叩いて起こす。
「起きろ、買ってきたぞ」
「……ん、ありがと」
そう言って伸びをし、旭丘は立ち上がった。
「よし、じゃあ入らせていただこうかな」
「出かける前にお湯張っといたから、浸かりたいなら浸かってくれ」
「……気が利くのね」
「どうも」
「でも、入るのは気が引けるわね……」
「またか」
「だって入った後のお湯でなにされるかわからないじゃない」
「まあ最低でも飲むな」
「さっきから『最低でも』ってなに? 最低じゃなかったらなにするわけ?」
そんなの、言えるわけない。
俺は適当に肩を竦めて回答をはぐらかす。
「まあ俺は今日風呂入らないでこのまま寝るから、お湯は抜くなり飲むなり好きなようにしてくれ」
「あなたじゃないんだから飲まないわよ。あ、それと私ソファでも床でもどこでも寝られるから気にしないでさっさと寝ちゃってね」
そう言い残して、旭丘はお風呂場へと消えていった。
「やっぱりたくましいな……」
ベッドを譲ろうかとも考えていたが、本人がああいうならリビングで寝てもらおう。
とはいえ寝ることができる最低限までは整えよう。ソファをソファベッドの形にして、クッションを枕代わりに。タオルケットを引っ張り出してきて、ソファベッドの上に置いた。これなら床でも寝られる旭丘なら余裕で快眠できるだろう。
いくら仮眠をとっても、眠いものは眠いし、疲れているものは疲れている。
お風呂に入っている旭丘にちょっかいでもかけようかと思ったが、それすらもできないくらいに体は休息を求めていた。
俺は寝間着に着替え、自分の部屋のベッドにダイブする。
今日は本当に疲れた。
朝から秋田にある旭丘の実家に行って、その前で叫んで、東京に戻って高校に寄り、家に帰ってきてご飯を食べて――。
一日の出来事とは思えないくらいに凝縮されていて、濃密な一日だったように思う。
心の底から疲弊しているが、その疲弊に見合うくらいの価値がある一日でもあった。
旭丘が笑っている、それだけ充分だ。
俺は彼女の笑顔を思い浮かべながら、深い眠りの中に沈んでいった。
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