5話 本物の魔法
あの恐ろしい親戚たちが去り、港町には再び穏やかで優しい時間が戻ってきました。
私のお店『ワンコイン薬局』のカウンターには、今日もふかふかのクッションの上で丸くなる黒猫のノワールちゃんと、そして定位置の松の木のイスで優雅にお茶を飲むクロード様の姿があります。
「……リアナ。今日のお茶も、素晴らしい香りだ。君の淹れるものは、私の心をどこまでも穏やかにしてくれる」
「ふふっ、ありがとうございます。今日は海風が少し冷たいので、体を内側からポカポカにする特別なブレンドなんですよ」
クロード様は、私がお茶を注ぐ手元を、まるでこの世で一番尊い宝物でも見るかのように、穏やかな深い緑色の瞳でじっと見つめてくれます。
親戚たちから「不味い」「洗い方が悪い」と全否定され続けてきた私の手仕事を、町の人たちも、クロード様も、心から喜んでくれる。
前世からの夢だった「温かいお薬の居場所」は、確かにこの丘の上に完成しつつありました。
けれど。
その幸せな日常は、ある日突然、華やかな香水の匂いと共にひび割れることになったのです。
「……信じられないわ!こんな潮風でベタベタする丘の上に、クロード様が毎日通い詰めているだなんて」
カランコロン、とドアベルが鳴り。
お店に足を踏み入れたのは、まるで王宮の舞踏会からそのまま抜け出してきたかのような、見目麗しいお嬢様でした。
縦ロールに巻かれた輝くような金色の髪に、上質なシルクのドレス。
片手に持った豪奢な扇子で口元を隠しながら、彼女は私のお店の中を、値踏みするようにぐるぐると見渡しました。
その日、クロード様は領地の急な視察で、めずらしく夕方までお店に来られない予定でした。
「あの、いらっしゃいませ。お薬をお求めですか?」
「お薬? ……はっ、笑わせないでちょうだい」
お嬢様は、私がコトコトとお湯を沸かしている銅の小鍋や、使い込まれた乳鉢を見て、あからさまに軽蔑の目を向けました。
「私、セシリア・フォン・ローゼンバーグ。王都の最高魔導アカデミーを首席で卒業した、クロード様の婚約者候補よ」
「こ、婚約者様……!」
「あくまで『候補』よ。……それにしても、噂には聞いていたけれど、ひどい有様ね。こんな薄汚れた銅の鍋と、木の棒きれでお薬を作っているの? おまけに、お代は銅貨一枚ですって?」
セシリア様は、ツカツカとカウンターに歩み寄ると、私の大切な道具たちを扇子の先でツンツンと小突きました。
「お薬作りというのはね、星の瞬きを読み解き、大地の息吹を正確に測り取る、神聖で高貴な芸術なのよ。それを、こんな泥臭い道具で……おまけに子供のお小遣いのような値段で売るなんて、薬学に対する冒涜だわ!」
彼女の言葉は、まるで鋭い針のように私に突き刺さりました。
セシリア様は、お付きの者からベルベットの箱を受け取ると、その中からキラキラと輝く純金製の小さな天秤と、透き通るようなクリスタルガラスの調合器具を取り出しました。
「見せてあげるわ。本物の『芸術』というものをね」
セシリア様が美しい手で印を結ぶと、彼女の足元から、万華鏡のように複雑で美しい光の模様が浮かび上がりました。
その光に包まれながら、彼女は純金の天秤で寸分の狂いもなく薬草を量り、クリスタルの器の中で、美しい青色をしたお薬をあっという間に完成させてみせたのです。
それは、見惚れてしまうほど完璧な手際でした。
私のように、手を真っ黒にして泥臭くすり潰すようなことは一切ありません。ただただ、美しく、気高い魔法の結晶でした。
「これが、王宮で認められた本物の薬師の力よ。
……あなた、少しだけ魔力を見る目がいいみたいだけど、ただそれだけでしょう?」
セシリア様の冷たいアイスブルーの瞳が、私を真っ直ぐに射抜きました。
「お薬の歴史も、魔法の理屈も、何も知らない。ただ運良く才能に寄りかかっているだけの、無学な素人。……そんな紛い物のあなたが、クロード様の隣に立つなど、おこがましいにも程があるわ」
その言葉を聞いた瞬間。
私の頭の中に、実家の従兄や従姉から言われ続けてきた言葉が、冷たい水のように溢れ出してきました。
『お前みたいな泥だらけで無能な使用人とは、住む世界が違うんだ』
『ただの雑草摘みしかできないくせに』
……違う。
私は、私はただ、困っている人を助けたくて。
そう言い返そうとしたのに、私の喉はヒュッと音を立てて凍りついてしまいました。
だって、セシリア様の言うことは、すべて『正論』だったからです。
私には、立派な学問も、難しい理論もありません。
ただ、生まれつき『光の粒』が見えるから、それに従って木べらを回しているだけ。もし、この目が見えなくなったら……私には何が残るのでしょうか?
クリスタルの器の中でキラキラと輝く、完璧なセシリア様のお薬。
それに比べて、私の手の中にあるのは、毎日使い込んで傷だらけになった、泥臭い銅のお鍋だけです。
「……何も言えないようね。ごきげんよう。二度とクロード様に近づかないことね」
私が下を向いたまま立ち尽くしていると、セシリア様はふわりとドレスの裾を翻し、勝ち誇ったように足音を響かせてお店を出て行きました。
一人取り残されたお店の中。
ストーブの火はパチパチと温かい音を立てているのに、私の体はひどく冷え切っていました。
「私……ただの、紛い物……」
自分の両手を見つめます。
荒れて、マメだらけの小さな手。
私は、この『光の粒が見える才能』に頼って、お薬を作る職人気取りになっていただけなのでしょうか。
クロード様が私のお薬を素晴らしいと言ってくれたのも、ただこの才能のおかげであって、私自身がすごいわけじゃなかったんだ。
自分に対する強烈な自己嫌悪と、得体の知れない重圧。
『私は偽物だ』という恐ろしい思い込みが、黒いインクのように私の心の中にぽたりと落ちて、じわじわと広がっていくのを感じました。
その夜。
私は眠りにつくまで、何度も何度も「大丈夫、私にはこれしかないんだから」と自分に言い聞かせていました。
明日もまた、笑顔でお薬を作ればいい。
クロード様が美味しいって言ってくれる、温かいお薬を。
けれど。
残酷な朝は、無情にもやってきました。




