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8話

 二人とも何も言わないまましばらく歩くと、ランザは十字路に店を構えている飲食店の前で立ち止まり、そのまま(おもむろ)に店頭に並べられている座席の一つに座った。

 さっきの事が気にかかったままのセシリアもそれに(なら)う。


 テーブル一つにつき椅子が四つセットされている屋外テーブルの一つに二人で座ると、すぐさま店内からウェイトレスがメニュー表を持って駆け寄ってくる。


「ご注文は如何(いかが)なさいますかぁ」


 メニュー表を差し出しながら屈託のない笑顔を向けるウェイトレスに、セシリアは自分が何も考えずに席に座ってしまったことに気付く。


「あ、えぇと」


「クインナッツとコーヒーを」


 軽食から各種ドリンク、王都では見かけない料理名が並ぶメニュー表を急いで目で追いかけるセシリアに対して、ランザはメニュー表も見ずに落ち着いた様子で注文をする。


「はーい。ナッツはいつもので?」


「はい、深煎りで。セシリアさんもそれでいいですか?」


「は、はいっ」


 スラスラと進んでいく会話にセシリアは慌てて頷くことしかできなかった。


 「承りましたーっ」と元気に店内へと戻っていくウェイトレスを愛想良く見守るランザに対し、セシリアは置いてけぼりを食らったまま店内へと消えゆく背中を見つめる。


(でも、クインナッツは王都でもよく見かけるし、普通に美味しかったから大丈夫なはず……)


 無論コーヒーは王都でもよく飲まれている。


「ラ、ランザさんはよくこのお店に?」


 ウェイトレスとの会話を聞いて、セシリアはそう問いかける。


「ええ、ここがお店を開いてからずっとです。かれこれ5年ほどは通っていますね」


 十字路の人が集まる立地とはいえ都市一番の大通りとは少し離れた位置にあり、周りの建物も立派でありながらも建物自体が高すぎず雰囲気が良い。


(さっきのウェイトレスの子の対応も良かったし、確かに通っちゃうかも)


 朝食には遅く、昼食にはまだ少し早い時間帯だったが、周りの席や店内の席にもそこそこの客が入っている。

 そんなことを考えているうちに先程のウェイトレスが戻ってきた。


「お待たせしましたー」


 手早くテーブルにコーヒー二つとナッツの入った小皿を置いたウェイトレスに、ランザはあらかじめ用意しておいた料金ピッタリのお金を手渡す。


「ごゆっくりどうぞー!」


 やはりというべきか、ランザにはチップを渡す素振りは無く、ウェイトレスも要求することなく足早に店内に戻っていく。


「突然付き合わせてしまってすみません」


 いきなりコーヒーを嗜むことになり戸惑いを隠せなかったが、こうしてコーヒーの豊潤な香りを嗅ぐと自分が喉が渇いていたことに気付く。


 ランザがコーヒーカップに口を付けるのを見て、セシリアも湯気を上げるカップにそっと口を付ける。

 入れたて熱々のコーヒーの香りと苦みが口いっぱいに広がる。


(美味しい……けど……)


「やはり王都の方のお眼鏡には敵いませんかね?」


 表情に出てしまっていたのか、セシリアの心を見透かしたようにランザが自虐気味に言う。


「いえ、決してそんなことは……」


 確かにコーヒーの味を王都の物と比較するとここの物が劣っていると言えることは確かだ。しかしウェイトレスの()は店内に戻ったものの、まだ近くに他の店員がいるかもしれない状況で滅多なことは言えない。


 とはいえこんな反応をしてしまえばランザの問いに肯定してしまっているのと同義と言えるが。


 真面目に返答が返ってくるとは相手も流石に思っていなかったのか、セシリアの有耶無耶な答えを聞いてランザは満足したように笑う。


「いやぁすみません。私が知る限りベイストで一番コーヒーが美味しいのはこのお店なんですが、やはり王都には敵いませんかぁ」


「コーヒーは王国よりも南の地域で生産されてますからね、王国内でも屈指のレベルで物流が盛んなベイストと言えど、南からの輸入物は王都には敵わないと思いますよ」


 セシリアはあくまで店主の腕ではなく立地的な物流の問題としての面を上げた。


「それもそうですね。紅茶なんかも王国内で生産されてはいますが、やはりそれも南の地域での生産が盛んですからね。ここではなかなか上質な紅茶やコーヒーには出会えない。とりあえず今はこのコーヒーが私の最高の一杯です」


 そういって持ち上げたカップでコーヒーを嗜む姿は優雅で、貴族教育を受けていたかのような優美さだった。


(しばらくはこれが最高の一杯、か)


 王都で慣れ親しんだ味をしばらくの間もう味わえないのだという事実に、セシリアは今更になって遠い地に来てしまっているのだと郷愁感を覚えた。


 寂しさを誤魔化すように、コーヒーとともに運ばれてきたナッツをつまみ、口に放る。

 西方から乾物として運ばれるナッツは、コーヒーなどと比べて品質の劣化が少ない。王都と同じ味に少し安堵していると、ランザもナッツを手に取った。


「冷たいと思いましたか?」


 手に取ったナッツを口に入れることなく、ランザはこちらを見つめながら訊いてきた。


「えっと……」


 まさかナッツの温度の事を訊かれているわけではあるまい。ましてや目の前で湯気を上げているコーヒーの事でもないだろう。


「仕方ないこと、だと思います」


 先程の事件を冷静に振り返りながらセシリアはそう言った。


 あの場ではなぜ助けないのかとランザを睨むように見てしまったが、あの場で不用意に目立ってしまえばランザ自身は勿論、ギルドや魔獣人(ビースター)全体に悪感情を抱く人が増えていただろう。


「そう言っていただけると幸いです」


 ランザは無理やり笑みを浮かべながらそう言ったが、本心ではランザもあの子を助けたくて罪悪感が胸を支配しているのだろう。


「私には家族(ノケモノたちの家)がいる。それが足枷(あしかせ)になってるとは思いませんが、やはりこういう時に自分本位で動けないというのをもどかしいと感じてしまうことはあります。十年前の私なら間違いなくあの子を抱えてその場から走り去っていたことでしょう」


「家族、ですか」


「えぇ。ギルド名に"家"という言葉が入っているというだけでなく、私たちは本物の家族だと思って生活しています。魔獣人(ビースター)は普通の人間、普通の親のもとで生まれます。例えその両親ともが魔獣人(ビースター)の存在に何の偏見も持っていなかったとしても、自分の子供がその存在だとなれば話が変わります。多くの人が忌避し、自分たちまで悪意ある目に晒されないよう子供を捨てる……。中には苦しまないようにと親がその手で殺すこともあります。ギルドのメンバーのほとんどが自分の親や生まれ故郷すら知りません」


 自ら腹を痛めて産んだ子供を自らの手で殺す。セシリアはまだ子供を産んだことは無いのでその感情を簡単に想像することは出来ない。もし自分の子供を、そう想像するだけで(おぞ)ましいと血の気が引いていった。


 空には燦然と輝く太陽が、周りには人々が活気を伴って歩いている。しかしこの時セシリアは手に持つコーヒーカップすら冷たく感じた。


 セシリアは結婚すらしていない。年齢的には結婚してもおかしくない年齢だし実家からの縁談話は毎週のように届いていたが、それらはすべて断っていた。


「そういえば、ギルドメンバーの中にご結婚されている方はいらっしゃるんですか?」


 話題を変えようと咄嗟にそう言ったが、話の流れ的に良くないかもしれないと訊いてから更に血の気が引きそうになったが、ランザは好意的に受け取って笑顔──今度は無理にではない──を浮かべた。


「実はありがたいことに私は妻を(めと)ったことがありまして、数年前の流行り病のせいでもう会えなくなってしまいましたが、私には過分すぎるほどの良い妻でした」


「すみません……」


 辛い話をさせてしまったとセシリアは頭を下げる。暖かいコーヒーを入れたはずの胃がキリキリと痛んだが、ランザは正面の席から手を伸ばしてセシリアが下げた頭を持ち上げると、今までにない優しい笑顔を浮かべる。


「謝らないでください。子供はもうけなかったので彼女という素晴らしい人がいたことは私の記憶の中でしか語られません。確かに彼女を失ったことは悲しいことですが、こうして私が魔獣人(ビースター)であることを知ったうえで、私と共に生きることを誓ってくれた彼女のことを話せることは私にとっても嬉しいんです。本当に、私には勿体ない人だった」


 確かに、魔獣人(ビースター)と知ったうえで結婚することを決意したその人はこの時代、この国には滅多にいない強く優しい人だったのだろう。


「今度またお時間があれば妻の話をさせてください」


「こちらこそ、ぜひ聞かせてください」


 まだ結婚していないというだけで、セシリアもいつかは結婚したい──いや、貴族であるセシリアには結婚する責務があると言ってもいい。まだ縁談話を断っても次の縁談話が用意されるだけだが、いつかそれでは通用しない時が来るだろう。


──いくらその気が無くとも、貴族のしがらみはいつか自分を捉えて家に縛り付ける。


 セシリアはその事実を再度自覚した。


「あぁ、それと」


 ランザはそう言って声を潜めると顔を近づけてきた。

 セシリアもそれに(なら)って耳を寄せる。


「この手の話はリーンという(かた)にはしないでください。彼女は婚約者を自分への差別の巻き添えで失っています」


(えっ)


「その事件ももう五年ほど前になりますが、彼女はそのことをまだずっと後悔してます。自分のせいで死んでしまった。自分が殺してしまった、と」


 そのリーンという人の婚約者も所謂(いわゆる)普通の人(・・・・)だったのだろう。


「リーンさんは魚……というと怒られますね。人魚の魔獣人(ビースター)です。耳がひれのようになっているので一目見ればすぐわかると思いますが、気を付けてくださいね」


「ッはい」


 セシリアは無駄に力を込めながら返事を返した。


(それにしてもここは地雷(・・)が多いなぁ)


「ちなみにギルド内での恋愛は禁止しているわけではないんですが、今のところその手の話は上がってないですね。やはりというか……先程家族同然と言いましたが、それは親兄妹といった感覚でなかなか恋愛には発展しないみたいなんです」


 ランザはなんだか他人事のように言うが、本人の中ではたとえもういなくなってしまったとしても彼女一筋で、変わりを取ることなど考えていないんだろう。


「あぁでも。少しそれらしい人はいる、かな。あの子がどうするのか、これからの楽しみの一つです」

 そう少し面白そうに笑うランザの姿は、まさに父親が息子の恋愛を見守っているかのようだった。


「まぁ私としては早くザインに身を固めてもらいたいんですがね」


 ランザはギルドマスターであるザインのことを呼び捨てにしてそういった。


(ただの年功序列ってわけではないわよね)


 その事について訊きたかったセシリアだったが、口を開く前にランザは席から立ち上がった。


「さて、もうお昼になってしまいましたね。早く帰らないとお昼ご飯を用意してくれてるカレンさん達に申し訳ないですからね」


 見上げればいつの間にか太陽は空の頂点で輝いている。

 空になった二つのカップと一つの皿を残し、二人はギルドへと続く道に足を向けた。


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