引きこもりの吸血鬼
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──引きこもりの吸血鬼
「そういえばここに来てからもう4日経ちますけれど、1度もエリザベートさんを見てないですね。食事にも来ないし、どうしたんでしょう?」
「積んでいる本を崩しているのだろう。少なくとも死んではいないよ。掃除に入ったメアリーが生きているのを確認している」
「いや。死んでるとかいうことないと思ってましたけれど」
フィーネが心配しているのはエリザベートが全く外に出なくなったことなのだ。
エリザベートはこの家に到着してから部屋に閉じこもり、何をしているのか分からない。まあ、フィーネは夜中はぐっすり眠っているので、伝説で語られる吸血鬼のように夜に活動しているのかもしれない。
だが、それが伝説だということはエリザベートとの旅で分かっている。エリザベートは普通に朝起きるし、夜は寝ている。体の99.9%が魔力であるエリザベートが眠りを必要とするかは分からないが、まあ夜は静かだった。
なので、吸血鬼が夜にしか行動しないというのは、吸血鬼が川を渡れないことや、心臓に杭を刺せば死ぬというように、人々が創作の中で生み出したことだと分かっている。
となると、エリザベートは本格的に引きこもってしまうわけにもなるのである。
「エリザベートさん、本当にずっと本を読んでいるんでしょうか?」
「かなり積んでいたようだったからね。大司書長の仕事から解放された今こそ、思う存分読書をしようと思っているのだろう。本にあれだけ囲まれていながら、それを読めないとはかなりの苦痛だったと思うよ」
「そうですね。大好物が目の前にあるのに食べちゃダメって感じです」
そう言いながらフィーネは朝食のサンドイッチを口に放り込む。
フィーネは基本的に何でも食べる。好き嫌いはない。それからよく動いている。今日は朝からメアリーと一緒に廃棄地域の村落に卵を買いに歩いて出かけたところだ。軽く6、7キロは歩いている。そもそもフィーネは王立リリス女学院時代は陸上部だ。
その賜物か、食べるのはたくさん食べるがスタイルは維持している。背はちっとも伸びようとせず、胸にばかり栄養が行っている感じはあるものの。
「エリザベートさんも日光が弱点でないなら、外に出た方がいいのに。家の中に閉じこもっり切りというのは健康によくないですよ」
「余計なお世話だ」
「うわっ!」
フィーネの背後に突如としてエリザベートが姿を見せた。
「エ、エリザベートさん。いるなら言ってくださいよ」
「さっき来た。で、日光に当たるのが健康と言ったか? 確かに日光に当たらなければ、人間は必要な栄養素が合成できず、また体内のリズムが狂うことによって不眠症などの影響を発することがある。だが、同時に日光は体の組織に悪影響を与えるという事例も報告されている。特にこの地方の人間は日焼けすると赤くなる」
エリザベートはそう告げて席に着いた。
「朝食は?」
「パンだけでいい。カリカリにトーストしてくれ」
「畏まりました」
メアリーがキッチンで支度を始める。
「うう、結局太陽の光は健康にいいんですか? 悪いんですか?」
「人間にとっては適度な摂取が望ましい。吸血鬼である我には不要だ」
エリザベートはそう言い切った。
「エリザベート。本はまだ読むものがあるのかね?」
「それが我としたことがとんだ失態をやらかしてしまった。『エルニア帝国革命記』の21巻だけを忘れてきてしまったのだ。丁度、ドラコ帝国との戦争が始まるところだ。続きが読みたくてしかたがないので部屋から出てきた。エリック、君は持ってないか?」
「あいにく、歴史小説に興味はない。歴史小説のほとんどは経験してきたことだ。まだ思い出に耽るような歳でもない」
「歴史小説は体験した歴史とはことなるものだぞ。我々が知らなかった事実も記されているし、何より著者の視点で描かれている。歴史を通じてその著者の思想を読み解くのも楽しみのひとつだ。歴史を知るだけならば、記録書を読めばいいが、歴史小説を読むのはエンターテイメントだ」
「君はそういう本はあまり好きではないと思っていたのだが」
「もう大司書長でもない。ただの本好きの真祖吸血鬼だ。読書ぐらい自由にするさ」
エリザベートは小さく笑ってそう告げた。
フィーネはそれを見て思う。
魂が肉体を離れて変化するように、エリザベートも大司書長という地位を離れて変わったのだろうかと。
そうなるとエリックもいずれ何かしらの役職についたら変わってしまうのだろうか?
分からないが、分からないともやもやするもを感じた。
自分はあまりにもエリックについて知らなすぎる。知っていることはエリックは唯一死霊術でグランドマスターの地位にある人物であり、冒険者をやっていたこともあり、サンクトゥス教会の神の智慧派という派閥に属し、コヴェントリー辺境伯という有力な友人を持ち、そして死霊術の天才だということだけだ。
エリック個人の人格については何も知らない。
それもしょうがないと言えばしょうがない。まだフィーネはエリックと出会ったばかりだ。個人的なことを知っていくのはこれからだ。そうフィーネは自分に言い聞かせた。
だが、エリックとエリザベートが完全に互いを分かり合った様子で話しているのを見ていると、早くエリックのことを知って、自分も会話に混じりたいという欲求が湧く。
「エリザベート様、今日はお出かけの予定でも?」
メアリーがカリカリに焼き上げたトーストを運んできて尋ねる。
「ああ。シリーズの途中が1巻だけなくなっているというのは、精神衛生上よくない。ウルタールに出かけて調達してこようかと思う。セラエノ書店は今もやっているか?」
「やっております。エルフの経営する店はそう簡単には潰れません」
「それは重畳。早速、今日でかけるとするか」
エリザベートはトーストにバターを塗ると齧った。
「吸血鬼は食事の必要ないんじゃないですか?」
「小説に出てきたんだよ。カリカリのトーストにバターを塗って食べるシーンがな。やはり著者が人間である以上は、人間の食生活も楽しんでおかないとな。腕のいい小説家は目の前にごちそうを広げたように食事シーンを描くぞ。おかげで一昨日からトーストが食べたくてしょうがなかった」
「そうですよね。人間の書いてる小説だから人間に分かるように書いてありますよね」
「そうだ。我が同族たちはあまり文章を記すということに興味がないのか、吸血鬼が書いた本というのはさっぱり見かけぬ。やはりここは我が一旗揚げてやるべきか」
「それだと人間には分からなくなる小説になりそうな?」
「ちゃんと人間向けに書けばいい」
吸血鬼の感覚と人間の感覚には大きな隔たりがある。
そこを調整しないと一般大衆──この世界で人間は9割の人口を占める──には伝わらない珍妙な作品になってしまうだろう。
「それで、お前の方は授業は進んでいるのか?」
「はい! 魂と肉体の共存関係について学びました。今日は純粋な魂の多様性について学ぶ予定です」
「なんだ、まだそんなところなのか」
そう告げてエリザベートがトーストを齧る。
「もう今頃はリッチーになる準備でもしているかと思ったが」
「誰もがリッチーになりたがるわけではないよ。不老不死というのは時に試練となるものだからね。何人もの弟子が私とともに歩み続けることを拒絶した」
「そうだな。不老不死とは冷たいものだ」
こういう会話だ。
エリックとエリザベートだけが理解できる会話。こういう会話があるとフィーネの中のもやもやは大きくなる。
「せっかくだ。私が学習に役立ついい本を買ってやろう」
「へ?」
突然エリザベートが言い出したことにフィーネが目を丸くする。
「エリックの蔵書は彼の研究のために偏っている。弟子を取るのも久しぶりだから、今はもっといい入門書が出ていることも知らないだろう。そこは我に任せるがいい。お前にぴったりの本をチョイスしてやる。伊達に何百年も大司書長をやっていたわけではない」
「いいんですか?」
「構わんよ。我の買い物のついでだ。セラエノ書店は品ぞろえがいい。それにチェスターが言っていたハイパーボリアにおける魔導書の発掘の話が本当ならば、魔導書も仕入れているかもしれないしな。久しぶりに買い物が楽しみだ」
エリザベートはにやりと笑ってトーストを平らげた。
「エリックさんはどうします?」
「私は家に残るよ。先の事件のこともある。君のことはエリザベートに任せよう」
エリックは首を横に振った。
エリックはメアリーやエリザベートは信頼している。だけど、フィーネはまだまだ心配されるばかりだ。弟子だからと言えばそこまでだが、もうちょっと何かしらのことで信頼が得られるようになりたいなとフィーネは思った。
あれ? とそこでフィーネは思う。
さっきからずっとエリックのことばかり考えている。
どうしてだろう。やっぱり師匠だからかな。
いいや違う。エリックはこんなフィーネにも優しくしてくれるからだ。学院を追い出され、行く当てもなかったフィーネを拾ってくれた。だから、フィーネはエリックが好きだ。そうなのだろう。
本当にそうか?
確かにエリックは優しい師匠で、信頼のおける人だが、自分の思いはもっと大きなものを求めている気がする。エリックの個人的なことを知りたい。彼について知り尽くしたいと思うのはエリックが優しいからでは説明が付かない。
なんなんだろう。この気持ちはとフィーネは首を傾げた。
「フィーネ。支度をしておけ。女同士の買い物だ。男に遠慮せずに見て回れるぞ」
「あはは……。この間はエリックさんを連れまわしたみたいで申し訳ないです」
フィーネはこの間も女同士の買い物の気分だった。
「メアリー。お前はどうする?」
「私は特に買うものはございませんのでマスターと留守番しておきます」
メアリーはそう告げて返した。
「では、お前と私だな。準備をしておけよ。まあ、必要なものは特にないが」
エリザベートはそう告げるとさっさとダイニングルームから出ていった。
「じゃあ、ちょっと出かけてきます。授業はまだ今度ということでいいですか」
「焦る話じゃない。ゆっくりしてきたまえ。セラエノ書店は品ぞろえがいいから、君好みの娯楽小説などもあるかもしれない。……ああ。君はまだお金を持っていなかったな。これを使いたまえ」
「わ、悪いですよ。勉強のためならともかく娯楽のための小説にお金を出してもらうなんて。いつか働いて稼ぎ始めてから買いますから」
「弟子の面倒を見るのも師匠の役割だ。気にすることはない。それに君の長所である共感性の高さを維持するには何かしらのコミュニケーション能力を維持しておいた方がいい。娯楽小説は確かに娯楽のためのものだが、コミュニケーション能力を養うこともある。君のためだ。使いたまえ」
エリックはそう告げて2000ドゥカートほど紙幣で手渡した。
娯楽小説は文庫本で1冊が400ドゥカートほど。5冊は買える計算になる。
「で、では、ありがたくいただきます」
本当に娯楽小説を読むことが魔術の才能に繋がるのだろうかと思いながらも、フィーネは読みたい本がないわけではなかったのでありがたくエリックの援助を受け入れた。
「準備はできたか? 行くぞ?」
「はい! 今行きます!」
エリザベートがダイニングルームの扉の前に立って告げるのにフィーネは飛び出していった。エリックとメアリーはそれを見送り、エリザベートとフィーネは再びウルタールへと向かったのだった。
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