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学習の日

……………………


 ──学習の日



「おはようございます、エリックさん、メアリーさん!」


「おはよう、フィーネ」


 ウルタールから帰って1日目。


 学用品も揃えて、いよいよフィーネのエリックの弟子としての日々は始まった。


「朝食です。どうぞ」


「わあ。ミルクトースト! 大好物です!」


 ミルクトーストというのはフレンチトーストのことだ。シナモンの香りか香ばしく、生クリームが添えられているのが甘党のフィーネには嬉しい。


「フィーネ。基礎から始めることになるが準備はいいかね?」


「もちろんです。バリバリ学びますよ!」


 エリックが尋ね、フィーネがそう答えた。


「君は学校でどの程度死霊術について学んでいた?」


「本当の基本の中の基本だけです。冥府と現世の関係とか。降霊術の基礎とか。霊との接し方とか。それぐらいですね」


「ふむ。それと重複する点もあるかもしれないが、一応は基礎からやっていこう。君の特質を考えて実技を交えて学んでいった方がいいだろう」


「学院じゃ実技は全然だったので楽しみです!」


 エリックはフィーネをどう教育するかで少し考えていた。


 それはフィーネの将来について考えてのことだ。


 フィーネの霊との共感性は極めて高い。恐らく1000年に1度の逸材だ。それをただの研究職に進めてもいいものか。もっと、彼女の技術が必要とされている現場があるのではないだろうか。


 研究職に進むなら、正直基礎の分野での実技はほとんど必要ない。基礎の分野の実技というのは言ってみれば、夏休みの宿題で朝顔を育てて観察日誌をつけるようなものだ。それは確かに学ぶこともあるが、将来的にはあまり意味をなさない。


 だが、フィーネが実践的な死霊術師──捜査機関や軍事情報部の死霊術師になるならば、基礎での実技は大きな意味を持つ。それは鑑識の人間が物的証拠を集めていく術を学ぶようなものとなり、将来的に大いに役立つ。


 エリックはフィーネの特性を活かすならば後者の道がいいと思っていた。研究職で物事を解明するには精密な機材を必要とするが、飛びぬけた共感性は必要ない。むしろ、そういう自分にしかないもので計測された数字や事象というのは再現実験で検証しにくく、学術的には問題が生じる。


 それはそうだろう。フィーネが木の霊との交信に成功したとして、それをどうやって確かめるのか。他の死霊術師では木の霊と交信するなどまず不可能だ。木の霊と交信可能であるということは学術的には証明できない。


 エリックは研究職でフィーネの特性が生かせる分野も考えた。彼自身、研究職であるし、教え子たちも研究職に進んでいる。だが、フィーネの飛びぬけた特性を活かせる研究職での場面が思いつかない。科学的魔術というのは個人の特質によるのではなく、平均的に誰にでも検証可能なプロセスというのが重視されるのだ。


 いわば、科学的魔術とは街道を敷設した際の馬車の平均速度を計測して都市計画に反映されるようなものであり、フィーネのような特性の持ち主にとって自分の特性が生かせるのは敷設された街道でレースを行って、最短記録を打ち立てるようなものなのだ。まるで分野が違うことはこれではっきりとわかるだろう。


 だが、無理にフィーネを捜査機関や軍事情報部の道に進ませるわけにはいかない。フィーネの意志がどうしたいのかを決定しなければ。エリックがもっとも尊重するべきはフィーネの意志である。


 今のフィーネは死霊術という地図を持っていない状態だ。


 これからエリックが死霊術について教えていき、基礎を学び、応用分野を学び、地図が完成したとき、そこで初めてフィーネはどの道に進むのかを決断する。


 それまではエリックはフィーネがどの道に進むことを選択してもいいように、きっちりと基礎の分野を固め、応用の分野に進めるようにしなければならない。


 そういう事情でエリックは実技を交えた基礎の教育をと考えたわけである。


「朝食が終わったら私の部屋に来たまえ。まずは死霊術の基本中の基本について教える。正直、もう学んだことかもしれないが、復習だと思ってくれ」


「了解です」


 そこでエリックは朝食を終え、実技に使う道具を取りに地下室に向かった。


……………………


……………………


 フィーネはエリックが朝食を終えてから、15分後にエリックの部屋にやってきた。


「フィーネ。死霊術の根底をなすものはなんだと思うかね?」


「ええっと。魂と肉体ですか?」


「その通り。前にも話したが魂と肉体は切っても切り離せない関係だ。魂の影響は体に及ぶし、体の影響は魂に及ぶ。両者は二人三脚で進んでいる」


 死霊術はふたつの顔を持つ。


 魂を解明し、死者と繋がるという側面。肉体を解明し、肉体を電気的機械として扱うという側面。そして、このふたつの側面は生命というひとつの本質で繋がっている。


 すなわち死霊術とは生命を扱う学問である。


「では、それを踏まえて死霊術の本当の基礎はなんだと思うかね?」


「生命のあり方を追求する?」


「教科書通りだが、その通りだ。聖職者のように魂について語り、医者のように肉体について語る。それが死霊術だ。君のその答えは『総合死霊術について』という教科書からだろう。あれの監修には私も呼ばれた」


「ありゃ。自分で考えた言葉の方がよかったでしょうか?」


「先人の知恵を全て否定してオリジナルを生み出そうとする必要はない。ただ、考えたうえで言葉は引用しなければならない。中身の伴わない引用はただ本を朗読しているだけに過ぎない」


「了解です」


 エリックは先駆者として後進の育成のため教科書の作成にも手を貸している。


「生命とは魂と肉体からなる。死霊術はそれを分解し、もう一度組み立てる学問だ。魂のなくなった肉体から魂を呼び出し、死んだ肉体を再構成する。私の授業で魂と肉体について教えていく。まずは魂からだ」


 エリックはそう告げてこの授業のために準備した道具を披露する。


「……ブレスレット」


「ああ。ある女性が自分を献体にしてくれて構わないとして託したものだ。彼女の魂は今、どこにあると思う?」


「冥府ですか?」


「その通り。死者は冥府に向かう。そして、眠りにつく。冥府がどこにあるのか知っているかな?」


「……分からないです」


「それで正解だ。死後の霊魂を追跡する実験が行われたが、どうやら魂は一定の方向に進んで、急に消滅するそうだ。それでいて降霊術では呼び戻すことができる。考えられるのは我々の全く知らない次元があって、魂はそこに向かうということだろう」


「もー。それって質問にするのはずるいですよ」


「確かに。だが、分かっていないことを分かっていないと知ることもまた学問だ。さて、気を取り直して授業を進めよう」


 エリックは丁重にブレスレットを絹のハンカチの上に置く。


「降霊術でこれの持ち主だった女性を呼び出してみたまえ。降霊術はもう完璧だね?」


「ええ。やれます」


 フィーネは気合いを入れた。


「『冥府の番人よ。我が呼びかけに応じ、その扉を開きたまえ。暫しの間、現世に死者を呼び戻すことを許されたし』」


 フィーネがそう詠唱すると、魔法陣が展開し、うっすらした半透明の女性の姿が浮かび上がっていた。スラリとした体をワンピースで包んでいる。そして、とても美人だ。霊体でも分かるぐらい目鼻立ちがしっかししていて、目はぱっちりとしている。それをあえて細めて、周囲を見るのは色気があった。


『あら? エリック先生ではないの?』


「は、初めまして。フィーネ・ファウストと言います」


『初めまして。もしかしてエリック先生のお弟子さん?』


「はい。そうです」


 女性が朗らかな声で尋ねるのにフィーネがそう答えた。


『私はマリア・モーガン。エリック先生の弟子だったのよ。私は信仰からリッチーへの道を拒絶して、死んだけれどその後もエリック先生には協力したいと思って献体を申し出たの。だから、あなたがこうやって今私を呼びだしてる』


「そうだったのですか」


 意外にもリッチーへの道を拒絶する人はいるようだとフィーネは思った。


 不老不死の肉体ほど魅力的なものもないだろうに。


 しかし、それにしても女性は若い。


「あの、若くして御不幸が?」


『ああ。病弱だったから。肺をやっちゃってね。25歳で死んだわ』


「すみません。ぶしつけな質問しちゃって」


『いいの、いいの。私はエリック先生に協力するって決めたんだから、どんな質問でも実験にでも応じるわ。ただし、エッチな質問はダメよ?』


「そんなのしませんよー」


 この朗らかな女性が既に死んでいるとはフィーネには思えないぐらいだった。


「ええっと。これは降霊術のテストですか?」


「彼女に魂について聞いてみたまえ。彼女自身が今は純粋な魂だ」


 フィーネがエリックに尋ね、エリックがそう告げる。


「魂ってどんな感じですか?」


『重さ21グラム。とても軽い感じだわ。それから思考がクリアになる。余計なことを考えない。今はあなたと喋っていて、あなたとの会話のことだけを考えている。思考がクリアすぎて嘘がつけない。死者は嘘をつかないというでしょう? それは思考に邪念が入る余地がないからよ。思考がどこまでもクリアなの』


「なるほど」


 死者は嘘をつかない。


 どんな詐欺師の霊でも死んでしまえば正直者になる。彼らは嘘をつく力を失う。


『人はどうして嘘をつくと思う?』


「ええっと。何かを隠したいから?」


『違うわ。自分を守りたいからよ。けど、霊になってしまえばもう脅かされることはない。それに加えて思考がクリアになったことで、霊は嘘をつく能力を失ったのだと思うわ。霊には嘘をつく必要がないんですもの』


「でも、現世に残った家族とかのためには……」


『私もそれを考えたわ。もし、エリック先生の秘密を守らなければならないとき、自分は嘘をつけるかって。結局、つけないと分かったわ。人間に備わっている嘘をつく能力は精神の発展で生まれたものじゃなくて、自己防衛のために備わっている本能のようなもののようなのよ』


「ううむ。人間は生まれもってして嘘つきなのか」


『聖典にある人間が犯した罪とはこれのことを指していると聖典学者は判断しているわ。火の力を持った人間が森を追放された。その火の力とは文字通りの火ではなく、人間が嘘をつくようになったこともあると』


「その罪を背負って預言者は火刑になったのですよね?」


『聖典学上は。実際は人は今でも嘘をつく機能を持ってる。人間が言葉というものを手に入れてから備わった器官が嘘をつかせている。自分の身を守るために』


 マリアの霊はそう告げた。


『だが、その機能は肉体の方に宿っていたようね。死んでからはその機能はない。死んでから様々な機能を失ったわ。肺の病の痛み。心地いい日差しを浴びる感覚。空腹に苦しむ飢え。肉体に由来するもの全てを失った。だから、私は思考がクリアなのだと思うわ』


「肉体を失ったが故に、物質的に維持しなければならない肉体に縛られず、純粋な思考だけを行う存在になったということでしょうか?」


『そうね。そんなところよ。肉体から解放された純粋な思考こそが魂。魂については分かったかしら?』


「なんとなく。冥府で考え事をされたりするんですか?」


『冥府では全てが眠りについているわ。流転の魂派はいずれ魂から現世の記憶が全て抜け落ちるまで深い眠りが訪れ、それからまた現世に戻るのだというけれど、私は少なくともこの700年間、エリック先生のことも出会ってきたお弟子さんのことも忘れてないわ』


「頻繁に呼び出されますか?」


『いいえ。先生が相談事がしたいときや、お弟子さんの研究を手伝う時ぐらいよ。ほとんどは冥府で眠っている。眠っているから冥府がどんな場所かは言えないわ』


「ううむ。そうなのですか」


 そこでフィーネがエリックに視線を向ける。


「フィーネ。手を貸してくれるかね」


「はい」


 フィーネが手を差し出す。


「やあ、マリア。久しぶりだね」


『エリック先生! お弟子さん、取られたんですね。久しぶりですよね』


「ああ。先駆者としての義務を果たすべきだと思ってね。それに今、黒魔術は存続の危機にある。それに抗おうと思っているところだ」


『世の中はいろいろと変化するみたいですね』


 降霊術ではたとえ降霊術に関わってない死霊術師がその霊を認識できても、霊からはその死霊術師が認識できない。なので普通は降霊術は円卓を囲んで手をつなぎ合って行われるものなのである。


 そうすれば全員が死者によって認識される。


「今日は授業を手伝ってくれてありがとう。フィーネは基礎を学び始めたばかりだ。また君の力を借りる時があるかもしれない」


『喜んで。このために献体したのですから』


 マリアの霊はそう告げて微笑んだ。


「フィーネ。ここまでだ。彼女を冥府に帰して差し上げるんだ」


「了解」


 フィーネが頷く。


「『冥府の番人よ。我が願いを聞き届けてくださったことに感謝を。その扉を閉ざされたし』」


 そう唱えるとマリアの霊が消え、魔法陣も消失した。


「魂について理解が深まったかね?」


「とても! 肉体を失うということは様々な影響を受けるのですね」


「そうだ。魂と肉体はこのために密接に関係しているのだ」


 肉体を離れた魂は肉体の影響を受けなくなる。飢えることも、乾くことも、病に苦しむことも、傷に痛むこともない。


「これを肉体という枷から魂が解放されたとみるべきか。それとも魂が肉体というよりどころを失ったとみるべきか。それは人それぞれだ。だが、肉体を失った魂というのは、生前の性格をそのまま保存することのない例が多々見られることは事実のひとつだ」


「それだと降霊術で困りません?」


「死者は嘘をつかない。降霊術で生前の人格をそのままにした人物と会話したいのならば、期待外れな結果に終わるかもしれないが、降霊術が行われる大抵の理由は事実を知ることだ。性格が変わっていても問題はない」


 そしてエリックが少し考える。


「生前、酷く意地悪な人物がいて、その人物の遺産配分を巡って争いが起きたことがある。その時降霊術が行われたのだが、そこで呼び出された人物の霊は酷く親切だったそうだ。その人物は自分を守るために偽りの人格を演じていたのだろう。肉体に縛られなくなった魂は冥府で安らかに眠るのみ。誰かに傷つけられたりはしない。だから、正直になる。その人物の演技で演じられていた人格と対話したかったのか、それとも本音で語り合いたかったのかで降霊術での対話の意味も変わるだろう」


「人格にすら大きな影響がでちゃうんですね。魂は肉体と密接な関係……」


「君が先ほど対話したマリアも生前は病弱であそこまで明るい性格をしていなかった。だが、彼女は病を背負った体から解放され、あのように明るい性格になった」


「おお。それはいい変化ですね。けど、生前のマリアさんを知らないのでどれほど変わったのか分からない……」


「まあ、そうだろう。しかし、考えて見たまえ。肺病を患い、日々痛みと死の恐怖に脅かされながら生活していた人物があそこまで明るくなれるかね?」


「確かに。マリアさん苦労してたんですね」


 フィーネは肺病とは言わずとも喘息持ちの学友がいた。絶えず薬を持って周り、安心できる時間はなく、授業も休みがちだった。彼女のためにノートを写させてあげていたのをフィーネは思い出す。肺の病は大変だろうなと。


 それでも、病に侵された肉体から解放されたマリアはとても朗らかだった。死んでよかったなんて言うべきではないが、彼女の場合は病と決別することはできて、こうしてエリックの下で弟子たちの授業の手伝いを行い、充実しているように見える。


「魂と肉体の関係についてはこれからも授業で取り上げるが、まずはこれを読んでおきなさい。魂と肉体の関係について基礎知識が書かれた本だ。このステップが終わったら、次は純粋な魂の多様性について学習する」


「了解!」


 フィーネは本を大切に受け取ると、早速自分の部屋でそれを読み始め、学生時代の時のようにノートに重要な個所を写し取っていったのだった。


 フィーネの学習は始まったばかりだ。


……………………

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[気になる点] 献……体? 身体はなくなっているけど、かといって他に良い表現なさそうですね、魂自体を縛っている訳ではないし献魂も違う。(;´・ω・`)
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