76話 騎士服
長い留守を終えてベルナール様が帰宅した、その翌朝。
私の頬を温める滑らかな肌の感触が、不意に消えて目が覚めた。
「……っ?」
私はもぞもぞと手をのばす。昨夜、眠る前にサイドチェストに置いたメガネを取ってかける。
ボンヤリとしていたピントが合い。クリアになった視界の中で動く、ベルナール様の広い背中を見つけて目で追った。
(あぁ~…本当に素敵。私の旦那様……)
私は歩き回る裸の夫をうっとりと眺めて、ホゥ───……とため息をつく。
ベルナール様は部屋の奥の衣裳部屋へ行き、白いシャツの袖に腕を通しながら出て来た。シャツに頭を通して顔を上げたときに、ベッドから見ていた私とパチリと目が合う。
普段、見慣れている顔とは違い。今朝のベルナール様は無精ひげを生やしたままの、野性的な雰囲気があふれた顔でニコリと笑う。
私の心臓がキュンッ……と疼く。
「ああ、起こしてしまったね。昨夜は寝るのが遅かったから、君はもっと眠っていれば良いよ……」
ベルナール様は仕事で疲れているにもかかわらず。昨夜は遅くまで私に付き合い、話し相手になってくれた。
「いいえ、ベルナール様と一緒に起きたいわ。私だけがベッドに残るのは寂しいから」
(ベルナール様の温かい腕の中で眠ったおかげで、久しぶりに熟睡できてスッキリとした気分だし。このまま眠ってしまうのは惜しいわ)
「おやおや。それなら私が一緒なら、レオニーはもっと眠っても良いという意味かな?」
「ええ。ベルナール様が一緒ならどこで何をしても良いわ」
「ふふふっ……レオニーはようやく、上手に甘えられるようになったね」
「そ、そういうつもりでは……」
(ううっ……確かに今の私の発言は、まるでカモの雛のように甘えてついて回ると言ったも同然だわ。恥ずかしい!)
目を細め深みが増した笑顔のベルナール様が、ベッド脇に立ち私の唇にキスを落とす。
私の頬がポッと熱くなる。でも今はベルナール様から離れたくないのが本音だ。
だから普段なら、目が覚めたらすぐに自分の部屋に戻り寝衣からドレスに着替えるところだけど。
私はもっとベルナール様を見ていたくて。ベッドの上からジッと、夫が身支度を整える姿を鑑賞した。
使用人が持って来たお湯を洗面器に注いで顔を洗う。ブラシを使って手際よく石鹸を泡立て、フワフワの泡を頬から顎にかけて塗る。
ベルナール様は何日も剃っていなかった髭を、指でこすりながら剃刀で丁寧に剃ってゆく。
(何をしても絵になる人だわ……)
何てことはない日常の動作なのに、ベルナール様がやると上品で優雅に見えるから不思議だ。
(惚れた欲目かしら? いいえ、やっぱり違うわ。実際にベルナール様が魅力的な人だからに決まっている!)
美しい夫から目が離せない。
髭を剃り終わるとベルナール様は再び衣裳部屋へ行き、王立騎士団の騎士服を腕に掛けて出て来た。
「あっ! 出かけるのですか?」
騎士服を着るなら、騎士団のお仕事があるということだ。
「うん。大規模な犯罪組織を潰した直後だからね。捕縛した人数が今までにないほど多いんだ」
「また、何日も留守にするのですか⁉ 帰って来たばかりなのに?」
今日は久しぶりに一緒にいられると思っていたから。ふんわりと膨らんでいた私の気持ちが、急に萎んでしまう。
それどころかベルナール様が心配で恐怖さえ感じる。
「いや。夜には帰ってくるよ」
「危険なお仕事ですか?」
「いいや、大したことは無いけど。私がいるところは秘密厳守が基本だから。人数が少ない分、こき使われるんだよ」
今回の件で第四騎士団は派手に動いたから、今までのように隠しておけなくなり。
近いうちに公式発表で第四騎士団の存在を明かし、秘密厳守が解除されるらしい。
──だからベルナール様も、今まで秘密にして来た任務について。
心配し不安がっていた私を安心させるために、話してくれたのだ。
「レオニー、もう少しの辛抱だからね」
「そうですか?」
「うん」
しょんぼりする私の頬をベルナール様が困り顔で撫でた。
「……っ」
(嫌だ。私ったら、子供みたいにベルナール様を困らせたりして)
視線を落とすとベルナール様が手に持つ騎士服が目に入り。私はふと、衣裳部屋で見た使い古された騎士服のことを思い出した。
「あ、あの……北方辺境騎士団にベルナール様が在籍していたときにですね」
「んん?」
「顔に大きな傷痕がある、三十歳ぐらいの騎士様がいませんでしたか?」
「んんん? 大きな顔の傷痕? 三十歳ぐらい?」
「はい。その騎士様にとても親切にしてもらって……王立図書館でお会いして、ハンカチを借りたままお返ししていなくて」
「……っ⁉」
なぜかベルナール様がギョッと目を剥いた。
「お名前を聞いておけば良かったと。後からとても後悔したのをおぼえています」
フレデリック様に婚約を破棄されて落ち込んでいた私は、騎士様との語らいで元気を取り戻した。……そして自分が騎士様に、淡い恋心を抱いていたと気付いた。
「……三十歳と言ったよね?」
「はい、三十歳ぐらいです。……もしかするともっと年上かもしれません」
「もっと年上っ⁉ ……三十歳よりも⁉」
「はい。その方はとても読書家でいらっしゃって、おすすめの本を教えて頂きました」
(会えるなら、もう一度会いたいわ)
「三十歳⁉」
ベルナール様が何ともスゴイ顔をして聞き返した。
「……はい」
(あら? ベルナール様、どうしたのかしら? 驚いた顔をしているわ。なぜ?)
「私は二十四歳だよ⁉」
「はい、知っていますよ……?」
「三十歳⁉」
「はい。私が知りたい騎士様は……あっ! そうだわ。ベルナール様の剣に似た魔剣をその騎士様も持っていました」
「……ああ、うん」
「魔剣とはみんな同じような形なのですか? 嵌っていた魔石も同じ色で……」
ベルナール様が私から目をそらした。
「いや、違うよ。魔剣はそれぞれ特注で制作されるから……私の剣もこの世に一本しかないんだ」
ベルナール様の話では、魔剣を作れる鍛冶職人と魔石を加工する職人がいないからだ。そう言った職人は我が国どころか、海を渡って遠く離れた魔術が盛んなフリュギア王国にしかいないそうだ。
だからウォンボーン公爵家でも何代にも渡って、大切に引き継がれる家宝にしている。
「え? 同じではないのですか? だったらなぜあの騎士様の剣は………?」
私が首を傾げていると。
「それにしても……三十歳かぁ……」
ベルナール様はものすごく渋い顔をして、自分が王立図書館で会った騎士様だと私に教えてくれた。
「ええええっ⁉ あの方が……⁉」
「……うん」
王立図書館で初めて会った時のベルナール様は、身なりに気を使っている様子が無く。肩までのばしたボサボサの髪に、使い古されたヨレヨレの騎士服を着ていた。
そのうえ大きな傷痕を隠したかったのか、髪で顔が半分隠れていたから。
今の洗練されたベルナール様のお洒落な姿に比べると、当時の姿は野暮ったくて実際の年齢よりも老けて見えたのだ。
ベルナール様は私の口から三十歳かそれ以上に見えたと聞き、気分を害した様子だったけれど。
「つまり私は……同じ男性に二度も恋をしたのね」
……と私が告白すると。とたんにベルナール様は上機嫌になった。




