72話 旅の途中2
その日は朝から腹の調子が悪かった。
妻のアンヌとした大ゲンカが原因で、腹を立てた僕は行きつけの娼館へ行き、朝まで強い酒を飲み続けた。そのせいでずっと気分も悪かった。
体調は最悪でも、今日は絶対に外せない仕事がある。
隣国から密輸したエフティヒア(麻薬)の原料を受け取りに行かなければいけないからだ。
森の中の密輸の仲介人たちと待ち合わせている、狩猟小屋の少し手前で。
僕は急に便意をもよおし馬の足を止めた。
「おい! お前たちは先に、狩猟小屋へ行っていろ。僕は用を足してから行くから」
「わかりました、フレデリック卿」
部下たちと別れ。僕は道から外れて慌てて馬をおりると、茂みの陰にしゃがんで排便した。
「こ、こんなところで……うぐぅっ!」
馬の背で揺られたせいで、腹の調子が増々悪くなったのだ。
腹の中の物を全部出すと、僕は茂みに生えていたちょうど良い草で尻をふく。
ずっと気分が悪かったのが嘘のようにスッキリした。
そうなると気持ちにも余裕が出て来て。僕は馬には乗らずゆったりと手綱を引きながら、狩猟小屋へ歩いて向かう。
──だが狩猟小屋の方向から、荒々しい怒鳴り声が聞こえてきて。僕は足を止めて耳を澄ました。
「クソッ──! 放せ──っ! 何かの間違いだ。お前たちは不当に私たちを捕まえようとしている!」
「黙れ、外道な犯罪者が! お前たちはこうされて当然なんだ!」
僕はハッ! ……と息をのんだ。
馬を木に繋いで、森の中に隠し。狩猟小屋が見える位置までこっそりと移動した。慎重に何が起きているのか様子を見ていると……
王立騎士団の騎士たちが、僕の部下たちを地面に倒して剣を抜いていた。
よく見ると密輸の仲介人たちも後ろ手に縛られ、狩猟小屋の横に座らされている。
「これはマズイ! 逃げないと……!」
(エフティヒアを製造して売買していることがバレたのか⁉ そうだとしたら……ここで捕まれば、僕は間違いなく死刑になる!)
馬に乗ってその場から逃げ出した。
「狩猟小屋を知られていたなら……リプリー伯爵家もウォルコート子爵家も、王立騎士団に押さえられているはずだ!」
(以前、密輸の仲介人に聞いた密輸ルートを使って、隣国へ逃げよう。おそらく正規のルートは国境騎士団に止められるから使えない!)
僕はまっすぐ銀行へ行き貸金庫に入れてあった、アンヌに贈った宝石を出して旅費にかえた。
◆ ◆ ◆ ◆
僕は運良く辛い野宿に耐えて、隣国の国境を越えることが出来た。
「もう少しだ!」
(隣国の王都に行けば、父上が少し前に購入した屋敷がある。そこに逃げ込めば……)
馬の背に揺られながら地図を見ると、小さな谷を越えてすぐのところに村がある。
「よし。日が暮れる前に村へ入り、食料を調達しよう……」
地図をたたんで上着の内ポケットに入れると、馬を速足で駆けさせた。
村の手前にある小さな谷に入ると、急に馬が怯えだし僕の指示に従わなくなった。
「お、おい! どうしたんだ⁉」
興奮した馬はヒヒィ──ンッ!とかん高い声で鳴き。ブルッ! ブルッ!鼻息を荒くする。
突然、横から黒い獣が飛び出し、僕が乗る馬に襲いかかって来た。
「うわぁぁぁ───っ!」
馬は狂ったように飛び跳ね後ろ足で立ちあがり、僕はバランスを崩して落馬した。
ガツッ! と肩を地面に強打して、僕は痛みに耐えられずうめき声をあげた。
倒れて横になった僕の視界で。
怯えた馬が死に物狂いで黒い獣たちを振り切り、猛スピードで逃げ出す姿が見えた。
馬がいなくなると今度は僕に、グルルルル……黒い獣が僕を威嚇する。
「ひぃっ……!」
(何だこいつら? 見たことがない獣だ……こいつは魔獣か⁉)
一頭、二頭、三頭……どこに隠れていたのか、獣の数が増えてゆく。
「う、嘘……だろう……? ははっ…… はっ……」
ギラギラと光る赤い目が異様で禍々しく。獣の上顎から伸びた太い牙は口からはみ出し、僕を見てダラダラと涎をたらしている。
「僕を……喰う気……じゃな…いよな……?」
(僕は死ぬのか? 僕はここで死ぬのか? どうして…?)
僕の中で過去の記憶が次々と浮かんでは……消えて行く。
『このアバズレが!』 アンヌをひどい言葉で罵った記憶。
『お許しを! 若旦那様っ! 嫌っぁぁ───!』 若い使用人を酔った勢いで犯した記憶。
『ひどいわ、フレデリック様……』『カマキリ令嬢のくせに!』 僕の侮辱で傷つくレオニーの姿に、喜びを感じてもっと傷つけた記憶。
『お久しぶりです、フレデリック様』 女神のように美しくなった、レオニーと再会した記憶。
(レオニーと結婚していたら、僕は……僕は………)
太ももに激痛が走った。間髪入れずに黒い獣が確実に僕を仕留めようと、急所の首を狙って来た。
「ギャアアアアア──────っ!!!!」
仰向けに押し倒され、黒い魔獣たちで埋め尽くされた僕の視界が、真っ暗になる。




