65話 美しい魔法
薄暗い廊下のはしで上を向き、キスを受け入れる体勢を崩さないまま。アンヌ様はうっとりと一人で立っていた。
ベルナール様は私の隣に立ち、アンヌ様の欲望に火を付ける言葉を放った。
「アンヌ、君はなんて淫らで素晴らしいんだ。君ほど貪欲な女を見たことが無いよ」
「はぁ……ああ、ベルナール。んんっ~……」
ベルナール様が言葉で煽ると、それに反応したアンヌ様は甘くて艶っぽい声を唇から漏らした。
アンヌ様の精神状態に反応したのか、額に浮かぶ魔法陣の輝きが一層強くなる。
ベルナール様に静かにしろと言われたのに。
魔法が発動する瞬間など今まで見たことが無かった私は、ついつい感嘆の声をあげてしまう。
「わぁ……なんて綺麗なの……」
(ベルナール様が何のために魔法をかけたのか。どんな魔法を使ったのかは、素人の私には見当もつかないけれど。魔法が放つ輝きは、息をのむほど美しいわ)
私まで魔法をかけられたように、複雑に描かれた美しい魔法陣の輝きに魅入られた。うっとりとその光景を眺め続けた。
「レオニー、静かに。私の声以外はアンヌに聞かせたくない」
「あっ……はい」
ヒソヒソとベルナール様に注意されて、ハッと我に返り。あわてて私は自分の口を手で塞ぐ。
アンヌ様がうめき声をあげた。
「んんん~っ……! ベルナール、素敵だわ……なんて素敵なキスなの? もっとお願い、ああっ……」
「……?」
(キス……?)
思わず私は首を傾げ、隣に立つベルナール様の顔を見あげた。
ベルナール様は腕組みをして、アンヌ様の媚態を恐ろしく冷ややかな表情で見つめている。
「はあぁぁぁ……もっとキスをちょうだい、ベルナール!」
薄暗い廊下で光り輝く魔法陣を額にくっ付けたアンヌ様は、棒立ちのままベルナール様にキスをねだる。
とても奇妙な光景だった。
「……?」
増々私は首を傾げた。
「額に付けた魔法陣を使い、アンヌが望む淫らな行為の妄想を見せているんだ」
「……妄想?」
「ああ。元々アンヌはこの魔法にかかりやすい質のうえ。今は麻薬を常用しているから、魔法にまったく抵抗できない状態なんだ」
ヒソヒソとベルナール様が説明してくれた。
「……!」
(アンヌ様が望む淫らな妄想⁉ 麻薬を常用⁉ ……んんん?)
この状況だけでも、ただならぬ状態なのに。アンヌ様が麻薬を常用していると聞き、さすがに怖気づいてしまう。
私はほとんど無意識で助けを求め、隣に立つベルナール様の腕に触れると。ベルナール様は淡々と言った。
「アンヌはよっぽど、私とキスをしたかったようだ」
「……そ、そのようですね」
美しく見えていた魔法の輝きが、急に冷たく恐ろしい輝きに見えてくる。
「レオニー、言っておくが。私はアンヌと一度もキスをしたことはないから」
「ああ……はい。でもアンヌ様のほうは、ベルナール様とキスをしたと思っている……と言うことですか?」
「うん。記憶にもそう残るはずだ」
ベルナール様は表情をキリッ! とさせて私を見つめるから。私はコクリとうなずき、浮気の真相を理解したことを伝えた。
満足した様子でベルナール様はニコリと笑い、アンヌ様に向きなおり。妄想の中にいるアンヌ様に、甘い声で質問した。
「ねぇ、アンヌ? 伯爵はいつ領地に戻る予定なのかな?」
「はあぁぁぁ~お父様……? 三日後の予定よ……」
「隣国の商人から密輸した、アレの材料を受け取りに?」
「ええ、そうよ……」
ベルナール様はいくつかアンヌ様に質問をくりかえす。
「……」
(ベルナール様がアンヌ様に魔法を使ったのは、こうして質問をすることが目的だったのね? ……それにしても、アレとは何かしら?)
私はまた、首を傾げた。
ベルナール様は質問が終わると魔法陣が浮かぶアンヌ様の額に、青緑色の炎を作った手のひらをペタリとくっ付ける。
金色に輝く魔方陣を魔力で作った炎で焼き、ベルナール様は一瞬で魔法の痕跡を消し去った。
「よし。終わりだ」
糸が切れたあやつり人形のように、アンヌ様はガクリッと脱力して崩れ落ちそうになり。ベルナール様は咄嗟にアンヌ様の身体を支えて、転倒を防いだ。
「おっと、危ない……」
意識を失っているアンヌ様を、ベルナール様は廊下の壁際に運んで寝かせる。
「……すごいわ!」
(魔法って、こんなふうに使うのね! 魔法士はみんな、こんな簡単に魔法が使えるの?)
魔法の素質がある人自体が少なく、魔法士は貴重な存在だから。私のような一般人には、魔法も魔法士もなじみが薄いのだ。




